2017年6月8日木曜日

マスコミの役割

「嘘つきは泥棒の始まり」は多くの人の間で常識化している警句かと思う。ところが、こう毎日大勢の政治家や官僚が平気で嘘をつく姿を見せつけられてはたまらない。このままでは嘘をつくことに対する罪悪感が薄れてしまう社会になりかねない。元文科事務次官の前川氏によれば、文科省大臣以下の職員の発言は、嘘にならないようギリギリの線で頑張っているとのこと。だから責めないでくれ、と言うがこれはおかしい。

有ったものを無いと言えば明らかな嘘だが「確認できない」だけでは嘘にならない、との理屈だ。そんな理屈でどうすれば子供たちを得心させられるかだ?「宿題はしましたが、家に忘れてきました。」と言えば、先生は「今から家に帰って取ってきなさい。」と言うに違いない。本当に家にあるなら取ってくればいいし、もし嘘だったらその場で謝らざるを得ないだろう。

それをどこまでも嘘を通そうとすると「今帰宅しても家が留守で、僕は鍵が無いので入れません。」なんて嘘に嘘を重ねていくことになる。子供はこんな悪知恵が働かないからいいが、いい年をした大人たちが、衆人環視の中をこんな情けない手段で乗り切ろうとしている。テレビ画面で嘘の上に嘘を重ねていく姿を家族や友人知人はどう見るのだろうか?

官僚のトップにいるのは総理大臣だから、その組織で飯を食っている以上、組織の倫理に反することは出来ない。これがその正当化の理由だろう、それは分からないでもない。昔から講談や浪花節に出てくるヤクザの世界は「親分が烏は白いと言えば、黒い烏でも白い。と言うのが子分だ。」これはよく知られているが、官僚が総理から扶持を貰っているわけではない。本当の雇い主は国民であるのは前川氏の言う通りで、殆どの官僚も分かっているだろう。

だがしかしこれも前川氏の言う通り、その場(組織)に身を置いてしまっては言い出せないのも事実だろう。総理は自らを誰からも批判されることない立場だと勘違いしているから、嘘のつき放題である。下にぶら下がる官僚はいい迷惑だ。からと言って、これほど大々的に嘘つきを容認するのは社会を根幹から腐らせていくことに繋がりかねない。このことを声を大にして警鐘乱打するのはマスコミ以外あり得ない。

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