2016年3月31日木曜日

花見

一昨日とは別の孫のことだ。この孫は小学1年生、我が家からはさほど遠くない城北公園に面するアパートに住んでいる。越してきたばかりの時には、散歩がてら何回か訪問したが、大きな公園と学校群に囲まれた静かな環境であった。夏だったので花は咲いていなかったが、近隣には桜が多く、春はさぞ見応えあるだろうと思ったことを記憶している。昨日娘が出かける用事があるとのことで、婆さんが頼まれて孫の子守がてら留守番に出向いた。

帰宅して話してくれたことが面白い。孫が自慢げに言うには「僕は昨日花見をしたよ」とのこと。確かに目の前の公園には桜が大分咲き誇っていたので公園を散歩でもしたのかと思ったが、帰ってきた娘に聞くとそうではなかった。
自分の家の公園に面した窓を開けて、畳の上にレジャーシートを広げ、段ボールで台を作って、その前に座り、母親に弁当を作らせてそれを食べながら花見と洒落こんだらしい。

まあ、なんと言うべきか分からぬが、ユニークであることに相違あるまい。火曜日に別の孫たちと会った際にも思ったが、こちらは知恵が膨らむことはなくてボケる一方だが、子供たちの成長は目覚ましいものがある。今日は朝からすっきりした正に絶好の花見日和、孫の花見話に触発されて運動がてら九段から皇居東御苑まで花見に行ってきた。殆ど毎年恒例にしている筈だが、昨年は花見をした記憶もないし、ブログや写真などの記録もない。やはり前立腺がんが頭にあって花見の気分になれなかったかもしれぬ。

その分、今日は午前中目いっぱい使ってたっぷりと花を楽しんだ。皇居まで行ったので例の乾通りの通り抜けをしようかとも思ったが、北詰門から吐き出される人混みを見て恐ろしくなって遠慮した。靖国神社も北の丸公園も東御苑もそれなりに結構な人出だったが、それでも未だ木曜日の午前中だから益しな方だったに違いない。花はどこも既に八分咲きとでもいうのか、正に見頃で天気は上々、おかしな酔っぱらいはいないし、実に素晴らしい花見だった。同様の花見客は高齢者と外国人団体客が多かった。

この画像は北の丸門から見た千鳥ヶ淵の北端




2016年3月30日水曜日

次期アメリカ大統領は誰かな

今日はこれから少し用事があるので早めに書いておく。

昨日は目出度く平成28年度予算が成立、夕方総理の記者会見があったらしいが、何を喋ろうと興味が湧かない。多分また無意味で自分でも嘘と分かっている、或いは嘘か本当かも理解できないことを延々と喋っただけのことだろう。明けて今日にはワシントンに旅立つらしい。知らなかったが、明日から始まる核サミットに出席するためだそうだ。これに関するまともな報道がないので、どんなメンバーで何を目的の話し合いかも分からない。

苟もサミットである。ネットで検索してみても余りピンとこない。今回が4回目で、そもそもが2009年4月オバマ大統領がプラハで演説を行い、核セキュリティ・サミットを提唱、となっている。今回は開催地がアメリカでもあり、50か国以上の首脳が集まるようだ。穿った言い方をすれば、各国首脳がレイムダック化したオバマ大統領の送別に集まるようなものだろう。言い出しっぺのアメリカも核軍縮に熱心には見えないし、日本なんかトランプ演説を奇貨として核兵器開発を口にする政治家まで出現するありさまではないか。

名前が出たので序のようだが、アメリカの大統領選は面白い。民主党はクリントン候補、共和党は問題のトランプ候補、彼が大統領になることはありえないと断言する評論家が少なくなってきた。トランプ氏だって大統領になりえるということだろう。クリントン氏がなってもTPPは議会で批准されない可能性があるようだが、日米関係がオバマ政権同様にいけるかは疑問符が付くようだ。
まして、トランプ氏が大統領に選ばれてしまうと、日米関係ばかりでなく、アメリカと世界各国との立ち位置が激変する可能性があるそうだ。

何故ならば面白い見方がある。彼はビジネスマンなので国家経営を経営者の感覚で行う可能性ありと言うのだ。彼曰く「アメリカは金も無いくせに各国に軍隊を送り世界平和の維持に努めている。しかしこれはアメリカの何の利益ももたらしていない。各国がもっとお金を出せば別だが、さもなければ軍隊を引き揚げるべきだ。」ことの次いで「米軍は撤退させるから日本による核兵器の保有を容認する。」とまで言いました。

経営感覚からすると正論なんでしょう。しかし昔これと似た政策をとったのがソ連のゴルバチョフ大統領だそうです。彼は「「わが国は、東欧をはじめ、アジア、アフリカ、中南米の共産陣営まで支援している。わが国の負担は大きすぎ、こんな状態をいつまでも続けることはできない。」で、友好国への支援を切ってしまったそうです。

その結果友好国はソ連の言うことを聞かなくなってソ連が滅亡して今いました。誰しも援助を受けている間はいうことを聞くでしょうが、援助が無くなれば言うことを聞かなくなるのは当たり前ですね。そんなことを考えるとアメリカの大統領選挙が面白いのです。

2016年3月29日火曜日

孫の誕生日

今日は孫が17歳の誕生日、彼が小学校時代の春休みは「ドラえもん」とか「ナルト」のようなアニメ映画に付き合わされたが、ひょんなことから母親である娘に頼まれ、久しぶりに映画を付き合った。映画のタイトルは『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』興味がなかったので、ストーリーも演出者や出演者も知らず何となく付き合った。アニメであればストーリーが比較的シンプルなので分かりやすいが、この映画の構成がかなり複雑でストーリーを理解するのが大変だった。

しかし来月から高校3年生になる孫も成長したもので、この渋い映画を見て「日本では決して制作されない良い映画だった」と喜んでいたようなのでほっとした。主役を演じたイアン・マッケランは実年齢が70代らしいが、60代後半から90代前半まで幅のある年代を見事に演じ、その渋さにはストーリーなんぞ関係なく惚れ惚れしてしまった。ウィークデイの11:05上映開始にも拘らずご高齢のご婦人で8割がたの席が埋まったのは、多分その魅力ではないだろうか。

映画鑑賞の後に彼の母である娘と一つ年上の兄と銀座のステーキハウスで待ち合わせ、1時過ぎで店が空いたのを待って長男の高校卒業祝いと次男の誕生日祝いの食事会としゃれこんだ。この4人が顔を合わせたのは久しぶりと言えばその通りかもしれない。しかし、つい5年前までは、毎年のように4人でスキーを楽しんだものだ。そのために、こちらも一所懸命お小遣いを節約してヘソクリを貯める努力をした。その必要がなくなったのは、有り難いといううよりむしろ寂しい。

長男は今や6尺を超える大男になっているが、いつの間にか高度恐怖症になってスキーはもう無理とのこと。次男も高校3年になろうというのだからスキーどころではないだろう。これからこういう機会が益々少なることを思うと、何かほろ苦い思いも沸いてくる。しかしこれが人の世の定めだろう。3人とも柔らかくて箸で食べられるステーキには大いに満足して喜んでくれた。これをもって善しとしよう

因みに下の写真が5年前の2011年2月、今日誕生日を迎えた下の孫と志賀高原で撮ってもらった思い出の1枚である。


2016年3月28日月曜日

今週は年度末

花は咲けど花見日和になかなかならぬと思っていたが、午後からようやく晴れて気温が上がった。今宵は雨との予報だが、現在5時少し前、この陽気が持てば、やっと花見をしながら職場の懇親会も可能だろう。こちらは高校同窓会の幹事会なので、銀座のホテルでアルコール無しの冷たい弁当の夕食だ。最近は夕食であろうと何であれ、酒を飲む習慣がないので一向に苦にはならぬが若い人は辛いかもしれない。

今日の午前中は前立腺がんの3か月検診。朝8:20から行って帰ってきたのが12時の半日仕事。こちらは3ケ月に1度だからいいが、病院勤務の皆さんは早朝からご苦労なことだと思う。検診結果によれば、今のところ順調な回復で、次回検診後の7月からは現在服用中の薬も一度終了してみましょうとのこと。風邪をひいたのと訳が違うから全快とはいかないのだろうが、そうなれば大分嬉しいことだ。

1週間後の月曜日は誕生日、がん治療で約1年半もやもやしていたが、来年度(仕事もしていないのに国の会計年度を意識するのも変だが)はなんとなくすっきりしそうな予感がしてきた。

2016年3月26日土曜日

日本発の世界不況?

昨年の通常国会終了後くらいから、多くの経済学者やフリージャーナリストが指摘していたが、遂に今朝の朝日新聞と日本経済新聞が、消費増税の先送りと衆参同日選挙可能性大と報じた。朝日は1面のトップ、日経は英国「エコノミスト」誌からの引用である。昨日の参議院予算委員会は平成28年度予算の大詰めを迎え、総予算を前提に安倍内閣の基本姿勢に関して集中審議が行われた。そこで維新の党真山勇一議員が、この問題について直接総理問い質している。総理は当然ながら「日本経済は順調で、解散は毛頭考えていない」と木葉で鼻をくくった答弁。

朝日も日経もこの質疑応答を確認したうえで今日の記事にしたのだと思う。両紙とも日本の代表的大新聞であるから、相当念入りに多方面からの裏取りをしたうえでの発信であろう。来週中には参議院での審議も終わり、28年度予算が成立する。財務省だって馬鹿じゃないから、頭は既に29年度予算に行っているだろう。現政権の日銀を巻き込んで行った経済政策が間違っていたこと承知の介(麻生財務相の答弁を聞いていると、安倍総理の方針に内心賛成でないのが言葉の端々に出てくる)で、次の予算は相当緊縮せざるを得ないことも覚悟しているはずだ。

それによって日本の経済がどうなろうと彼等の生活が苦しくなるわけでないので、どうでも良いのかもしれぬ。今週火曜日に書いたばかりだが本当に「馬鹿にするな」と言いたい。大方の国民は総理の腹をとうに見抜いて、生活防衛策を講じ始めていることは様々な指標で表面化しつつある。増税先送りは吾輩のような貧乏人に好都合であるのは間違いないが、世の中貧乏人ばかりではないから、これで景気がよくなるなんて甘い考えだろう。

とにかく何でも自分に都合良く考えるお人柄でもある。消費増税の再先送りの原因は、年明け以降の世界経済の変調にあり、なんて言って言い訳の準備もし始めているが、中国人や石油産出国の人が聞いたら怒るだろう。こちらも聞いていて恥ずかしくなる。ネット上には様々意見があり、28年度早々に5兆円の補正予算が組まれて、世界のマネーが再び日本に集中なんて与太記事もあるし、外国の特派員の中には母国に日本経済要注意の警報を発している人もいる。どれが正しいか全くわからないが、今年日本発の世界不況が世界を襲うことが無いよう祈りたい気分になってきた。

2016年3月25日金曜日

要注意:新たな詐欺

つい先日正月を迎えたようにも思うが、もう彼岸が過ぎてずい分陽が長くなった。近所の小中高校が一斉に春休みに入ったようで、朝の人通りが急に減った。暖冬だったので桜の開花も早かったそうだが、昨日今日は都内でも朝の気温が氷点下のところがあったみたいで真冬並みの寒さだ。自然現象は気ままなものと思うか、自然はそれなりの理由があるのに人間が我儘なのか、どちらでもいいことだけれど、桜が長持ちすると喜ぶ向きもあるが、早く暖かになってほしいのが正直なところ。

ところで昨日のテレビで、最近脅迫型のメールが横行して被害が大分出ているとの報道があった。不用意に添付ファイルを開くとマシンが持っている全てのファイルが開かなくなってしまう。そこに第2のメールが届いて、ファイルを回復したければ5万円払えと言ってくるらしい。セキュリティー会社の専門家の解説によると、セキュリティーソフトを搭載しているパソコンでも、添付ファイルを開いてしまうとアウトとのこと。もちろん5万円支払ってもファイルの復元なんかしないので、詐欺ということになったらしい。

このニュースをご覧になった方も多いかと思うが、タイトルは「Document2」である。実は当方にも今週このメールが2通入っていた。幸いすぐ削除したので実害はなかった。しかし恐ろしい世の中である。なんかの拍子で備忘録が初期化されてしまうとパスワード一覧なんかとても思い出せない。他にもここ10年くらいの写真は全て紙焼きをせず全部パソコンで保存している。失くすにはやはり惜しいので、20分近くかけてバックアップを取った。

2016年3月24日木曜日

日本人が書けないスパイ小説

昨日防大卒業式について書いたので序に書いておきたい。近年世界中から連日のようにきな臭いニュースが飛び込んでくる。なんで外国ではこんな血なまぐさい紛争が起きるのか、正直言って理解できない。我が国には尖閣列島等若干の国境紛争地域の問題があるにしても、日本は戦争の危険からは程遠い国だと思う。かと言っても、地球の裏側の事件が日本には全く無関係ということにもならないのも事実だろう。ましてや昨今、隣国北朝鮮の若殿が嘗ての日本よろしく、貧しい国民を傍目に軍事の増強にご熱心で、世界中の神経をイライラさせている。

従って、名称や外国軍隊との関わりはどうであれ、軍事組織を保持することの必要性は認めないわけにいかない。むしろ思うのはその組織(自衛隊)が保有する機能の問題についてだ。平和ボケを象徴する世代でもあるので軍事に関する知識は皆無に等しいが、子供の頃から軍事小説やスパイ小説が大好きだったので、そこで培われた知識から生まれた空想で今日は書いている。一寸脇道にそれるが、小学生から中学生時代の愛読書に山中峰太郎氏の作品がある。戦時中の少年少女向け戦争小説の第1人者で、古い少年倶楽部に連載小説が掲載されていたことから知って、当時貸し本屋にあった単行本は全て読んだ。ここから始まり、セミクラシックとしては「007」や「寒い国から帰ってきたスパイ」とか「針の目」等々この手の小説はだいぶ読み漁ったものだ。

終戦前の日本版戦争小説はこれら欧州のセミクラシックと比較して決して見劣りせず、ただ勇ましいだけでなく、アジアに覇を唱える(或いは共同体を建設する)国家思想に基づく軍事戦略が語られ、別して諜報戦略の重要性がテーマになっていたように思う。ところが、近年日本版スパイ小説なんぞ皆無に等しいようだ。安全保障やインテリジェンス分野が売りの麻生幾氏とか元傭兵の作家さんとか元NHKアメリカ総局長手嶋龍一氏とか、何人かの作品を読んだこともあるが、とても昔読んだ小説の血沸き肉躍る迫力には欠けている。

それは致し方あるまい。所詮日本の防衛省や外務省にはそのモデルとなるべき戦略もなければ、情報収集の手段も持たない現実があるからだろう。ジャーナリストより少しましなのが、精々元外務省官僚でロシア語遣いの佐藤優氏程度のところだろう。残念ながら彼とて軍事知識が乏しいので、書いたものに迫力不足は否めない。やはり高等軍事教育の中に諜報員専門のコースがきちんと設定され、そこを出たエリートが世界に散らばって情報を収集、分析することから始めないと、スパイ小説はもちろん、日本の独立なんかとても覚束ないだろう。

日米関係を大切にすることと、日本独自の情報収集能力を高めることは、何も矛盾するものではあるまい。現代のように軍事情報のすべてをアメリカに依存していたのでは、与えられた装備の劣悪さにも気づくことなく、予算的には立派な軍事大国化してるにも拘らず、自衛隊が玩具の軍隊になりかねない。別に褒めるつもりはないが、軍事的見地からに限れば、北朝鮮の若殿の方が、核やミサイル、はたまたサイバーなどの科学分野に力を入れているし、スパイ活動は昔から折り紙付きであることを思うと、余程戦略的に国家運営をしているように見えなくもない。

2016年3月23日水曜日

防衛大学校卒業式

昨日だったか一昨日だったか防衛大学校の卒業式だったようだ。卒業の身体頑健は言うまでもない、また頭脳明晰も間違いないだろう。卒業までの4年間で学生一人当たり500万円近い国費が投入されているようだ。本人はさることながら親御さんにはとってこんな素晴らしい大学(文科省管轄でないので正式には大学校)はない。さぞ誇らしく思われることだろう。大昔可愛がってくれた祖母が入学を勧めてくれたし、個人的な憧れもあったが、身体は何とかなるにしても学力が平均以下では期待に応えようがなかった。

400人強の卒業生のうち、自衛隊に任官しない生徒が1割強いたことが世間を騒がせている。理由が面白い。まず総理閣下の指摘は「アベノミクス効果で民間企業の業績が回復して、魅力的な採用条件を提示する企業が増えていることの証明」一般的に言われるものは、昨年の安保法制改訂で、海外派遣の危険が増大したことに対する嫌気。これはあまり的を射ているとは思えないが、なるほど思ったのは、ある卒業生の親御さんが元外交官の天木直人氏メルマガ宛てに送ったメールに書いてあったこと。「自衛隊内部のいじめが深刻で、まともな者が逃げ出しているという。」

逃げ出した者がまともかどうかは別として、百年以上前から相も変わらず軍隊教育とは変わらぬものらしいことが想像できる。昔で言えばお侍さんや高級軍人さんだから、飛び切りのエリートを国費で養成するのは理解できる。一方で卒業時に目的としていた自衛隊への任官を拒否するのも個人の自由でもある。しかし、この時その人に投じられた国費は弁償義務があるのだろうか?弁償については聞いたことがないので多分無いのだろう。

少し妬みっぽいことになるかもしれぬが、果たしてこのことはどうなんだろう?確かに授業料分くらいは、一般の奨学金並みに月賦でも返済を求めるほうが自然かもしれない。日本の国立大学の奨学金制度は、奨学金ローンと揶揄されるほど返済条件が厳しいそうだ。数か月前に婆さんに突き付けられて、奨学金の無利子を求める団体の署名に協力したことを思い出した。

2016年3月22日火曜日

馬鹿にするな!

今さら、来年4月に約束していた消費税率引き上げをしようとしまいと、誰もびっくりしないだろう。この人から嘘を聞くのはそれほど当たり前になっている。問題は税率引き上げを再延期するには相当な手続きとコストが掛かることかもしれない。一昨年の11月暮れの忙しいさなかに総選挙を持ち込んだ際、総理は格好をつけて次のように言っている。

「来年10月の引き上げを18ヵ月延期し、そして18ヵ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年(17年)4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。」なんでそこまで芝居じみた言い方をしなければ気が済まぬのか、相当賢い人でも、先のことについては断定的な物言いはしない。

政治家たるもの、言葉に対して責任を持つことについては、ただでさえ人一倍神経を使うはずだが、この人の神経には全くその種の回路が無い。先ず一昨年の総選挙を盛り上げるため、否、与党を有利に導くためにだろうが「景気判断条項を付すことなく」の一言を態々挿入している。このために増税再延期に関して、やや複雑な法律を再び作らなくてはならないらしい。

これは官僚や政治家が苦労すれば済むことで、こちらには関係ないようにも思うのは間違い。この手続きに費やされる人員の時間と経費は莫大になるとのこと。もちろん税金が壮大に無駄となる。おまけに選挙と来た日には、多くの国民にどれほど時間とお金を掛けさせることになるかは推して知るべしだろう。他にもこの独りよがりのパフォーマンス(小芝居)を打つために、海外から著名な経済学者を招聘して会議を5回も開くとは何事だ。

同じように著名な経済学者にお墨付きを貰い、自ら声高に叫んだ経済政策とやらが、間違っていた、或いは幻だったことを異なる学者に証明させてどうするのだ。誰の言うことも理解できていないことの証明そのものではないか。先のことなので断言できないが、日本の総理が経済政策の失敗を認めざるを得なくなれば、まさにその時こそ日本が、「世界経済の大幅な収縮」の発信地もなりかねない気がする。総理は、従来の「リーマン・ショック級、大震災級の大きな出来事がない限り、引き上げる」との表現を微妙に変えて「世界経済の大幅な収縮」を条件に挙げ始めているそうだが、笑い話になりかねない。

現役時代に、社員の中に嘘をつくのが上手いというべきか、平気な奴がいて苦労した経験がある。その時に同僚から教わったのが「虚言癖」についてだ。これは一種の病気とのこと。国民を馬鹿にするなと言いたいが、病気であっても仕方ないでは済まされない。傍が迷惑するのは大問題である。

2016年3月20日日曜日

読後感『ボローニャ紀行』井上ひさし著

著者が亡くなってからもうだいぶ経つ。同じくらいの生まれかと思っていたが調べてみると、6歳上で物故されたのは2010年満75歳だった。何十年も前に大ベストセラーとなった「吉里吉里人」を読んだ記憶はあるが、風変わりな小説で、ぶ厚かったことぐらいしか覚えていない。著者についても、原稿の字が几帳面で1字書き間違えると初めから書き直すエピソードがあったこと、眼鏡に特徴があったことぐらいの印象だ。

従って、書店でこの本を発見しても読むに至ることはなかったに違いない。しかし先週、高野孟氏ののメルマガに出ていた記事で急に読みたくなってアマゾンに注文した。読後の今は著者に対する評価を一変せざるを得ない。なんとなく田舎者で大衆小説作家のイメージがあった著者であるが、なかなかのハイセンス、芸術家としてのグレードもかなり高いと再認識した。それもその筈、上智大学ドイツ文学科と外国語学部フランス語学科の出身で、この紀行を書いた頃はイタリア人女性を妻とされていたようだ。

さて本論であるが、著者は元来ヨーロッパには長期滞在を含め何度も足を運んでいるようだ。その中で、イタリアのボローニャには特に強い思い入れがあって、そこに長期旅行をした際の紀行文である。イタリアはおろかヨーロッパに行ったことがないので地理的には全く不案内、ボローニャなんて地名も知らなかったに等しいが、本書を読むと行ってみたくなる。それだけ上手く書けているということだろう。

更に魅力的なのが、著者の政治的思想が非常に巧妙に表現されていることだ。生前から作家活動の傍ら共産党員としても活動していたことも思い出したが、このボローニャ地方(都市かもしれぬ)は組合活動が盛んであると同時に地方自治を大変大切にする土地柄のようでもある。同時に古来多くの学者や芸術家が集まってきた土地柄でもあり、その歴史を大切にしていることから見どころが多いようだ。

旅行は2003年のことらしいが、時のイタリア大統領ペルルスコーニや日本の内閣(小泉純一郎)を完膚なきまでにこき下ろしている。読んでいても痛快であるが、筆が過去の独裁者ムッソリーニに及ぶと、まるで安倍政権のことを論じているように感じてしまう。とても10年以上も昔の本を読んでいる感じがない。

*高野孟子のメルマガにあった本書から引用は下記のとおり。

「労働者の国」の立憲主義
 イタリア憲法第1条は「イタリアは、労働に基礎を置く民主共和国で
ある。主権は、人民に属する。人民は、この憲法の定める形式および制
限において、これを行使する」としている。

「まずここが労働者の国であること、そして憲法は国家に対する人民か
らの命令書であることが示されています。さっそく注釈を入れると、憲
法が人民から国家への命令書であるのに対し、法律は国家から人民への
命令です。では、憲法が法律と衝突したときはどうなるか。もちろん、
そのあらゆる場合において、憲法が法律に優越します」

2016年3月18日金曜日

志位和夫と小沢一郎

己の経済政策にあれ程までに自信満々の態度を示している安倍総理も、内心大分弱気になってきたようだ。官邸で経済関係閣僚に日銀総裁まで加えてお勉強会を開いた。ところが、一昨日開かれたこの勉強会(5回も開く予定のようであるが、その第1回目)に麻生財務相が参加していないのところが味噌と言うか、わざとらしくて嫌らしい。何故なら、この会議に先生役で招待されたノーベル賞受賞の経済学者のスティグリッツ氏と言う人が「日本は来年にかけて景気が益々落ち込むので、消費増税すべきでない」とのご託宣。それを受けて総理は「結構なご示唆を頂いた」と受け止めた。と報じられている。考えれば、自信満々はものを知らないことの証明だったとも言える。

巷では、これで来年の夏に約束されていた消費増税が無くなり、衆参同時選挙が決まったような騒がれようだ。選挙のことは関係ないが、増税が無くなることは我が家にとって有難い話ではある。それは一応措くとして。何を今更お勉強かである。コンピュータと違って、学習能力に欠けるお歴々がお勉強する振りこいてもどうにもならない。昨日の参議院の財政金融委員会で民主党大塚勉氏が、この第1回会議について麻生大臣に皮肉たっぷりに質問していた。

内容は「総理が有難く受け止めたご託宣をどう思いますか?」麻生大臣は当然であろうが「私とは見解が異なる」として「消費増税は予定通り実施します」と答えざるを得ない。民主党の質問者は「見上げたお考え」と変な持ち上げ方をしている。田舎芝居もここに極まった感がある。昨日2回目の勉強会だったようだが、ここに招待されたハーバード大学のデール・ジョルゲンソン氏も著名人らしい。

新聞の見出しは『ジョルゲンソン氏「消費増税は必要」 第2回分析会合で提言 』となっていたので、麻生大臣の応援団が登場したかと思ったが、ネットで確認すると記者団の質問に答えて「やはり来年の消費増税は時期尚早」と言ったらしい。自民党では「民進党」を野合と避難ごうごうだが、安倍政権こそ選挙の為であれば2枚舌だろうが嘘だろうが、本当に何でも来いだ。国会では相変わらず軽減税率がどうのこうのと騒いでいる。これほど国民を馬鹿にする話もあるまい。ネット上には「増税の前にやるべきことがある」と一貫して主張し続けている共産党の志位委員長と小沢一郎氏を讃えるコメントがあった。共感せざるを得ない。

2016年3月17日木曜日

非正規社員の増加

やっと彼岸の入りなのに春らしい陽気で、近所の桜も蕾がすっかり大きくなっている。今年は春が早くやってきそうで嬉しいことだ。昨年の今頃は前立腺がんの宣告で消沈していたが、今年は大分元気が回復した。秩父の山に石楠花が咲いたら見に行く約束までしてしまった。多分5月の末頃になるだろう。それにしても、昨年の秋に雲取山で顎を出した苦い経験があるので、無様を繰り返さないよう、そろそろ奥多摩辺りでトレーニングを始めなければなるまい。

活躍しろと言われても直接的な社会的貢献は何もできないが、今年は医療費を少なくすることを目標にしたい。これが唯一の社会貢献だ。健康が最大の財産として気楽な毎日を過ごせるのは年金のお陰だ。現役時代は有難さを意識しなかったが、厚生年金に加入していて本当に良かった。正直なところ、明日のことを殆ど考えない性格だったので、今日生き延びれば明日は何とかなると考えていた。

これが大変な間違いで、70歳になった途端に明日はどうにもならないことにやっと気が付いた。もし年金が無ければ今頃乞食になっていたことだろう。2か月ごとに区役所から振り込まれる貴重なお金。40万円弱だが、これが死ぬまでもらえるのだから有難いことだ。少なくとも飢え死にはしないだろう。現役時代に給料から天引きされる社会保険料が多いとかなんとか、文句たらたらだったかもしれぬが、とんでもないことである。日本で100万社を超える中小企業の中には年金に加入していない企業も少なくないようだ。

若い頃は全くと言っていいほど気にもしなかったが、渡り歩いた会社4社のどれも小企業だったが、厚生年金に入っていてくれたことは素晴らしい。小生のように万年平社員は有難味が分からなかったが、企業経営者からすれば、負担しなければならない社会保険料は実質賃金だから有難くないことだ。そこで、竹中平蔵みたい小父さんが経営者が喜びそうなこと提案して、派遣社員の大流行になったわけだ。勿論この傾向は現政権にも引き継がれて益々強化されている感もある。

我が現役時代はその時を待たず幕を閉じたのが幸いだった。今やどんな一流企業にも非正規社員が溢れているらしい。雪国の農家の親爺が冬場に都会で出稼ぎに出るのと訳が違う。政府は、自由を求める若い人も好んでする、みたい理屈をつけている。どこを押せばそんな屁理屈が言えるのだろう。将来、厚生年金を貰えなず、数万円の国民年金だけの老人が増える社会は想像するだに恐ろしい。元気な年寄りが非正規社員として活躍するのは結構なことだ。

大いに総活躍すればいいだろう。しかし若い人は絶対に悪徳派遣会社(因みに竹中平蔵氏は代表的企業、パソナグループ取締役会長)の餌食になってはいけない。どんな企業でもいいが、社会保険完備企業の正社員になるべきである。

2016年3月16日水曜日

勉強不足

断っておくが自分のことや家族のことを棚上げにして、我が国の政治家諸氏のことを批判したい。昨日の読後感に書いた本からも学んだが、中国共産党の幹部は殆ど例外なく中国共産党中央党校で、政治指導者に必要な理論を叩きこまれるものらしい。これは過去に於いて自民党派閥が行ってきたとされる新人教育とは大分趣を異にしているようだ。両方とも知らない世界のことだが、少なくとも前者はwikに<哲学、経済学、科学社会主義、政法、中央党史、党建設、文史の7つの教学研究部がある>と記されているからには、かなり論理的教育であるのが推測される。一方派閥の先輩による教育とは、国会議員としての実務教育だろうから、おして知るべしである。

我が国政治家には弁護士資格所有者もいるし、役人上がりで国家公務員資格所有者もいない訳ではない。他には松下政経塾出身者なんて人もいる。こういった種類の人は、それなりに若いころ法律や政治ついてある程度の勉強をした経験はあると見るべきかも。しかし、その勉強の目的が政治家を目指すところにあり、それなりの国家目標をベースにしての勉強であったかどうかは甚だ疑問である。会社の社員でも同じであるが、学生時代の成績より、入社してから実務に即して教育されたことの方が遥かに重要である。

この観点からすると日本の国会議員の勉強不足は否めない。1年生議員が有頂天になって不倫をするとかの問題ではない。大臣になるようなキャリアの人間についてのことである。昨夜のテレビで、石破地方再生担当相の法案読み間違いと、佐藤経産相の原子力発電とその結果生じる放射性廃棄物処理に関する認識の甘さが指摘されていた。佐藤経産相の問題は参議院予算委員会で民主党大塚耕平氏の質問で立ち往生したとのこと。

今日改めて件の質疑をネットでチェックしたが、酷いなんて事では済まされない。経産省は28年度に、核燃サイクルに絡んで新たな認可法人(天下り先を増やす腹だろう)を作ることを意図しているようだ。大塚氏はそのことに関係して、原発関連の質問を佐藤経産相の他に丸川環境相と馳文科相に対し、軽いと言っては何だが、基本的な質問を投げかけた。

考えてみれば当然でもあるが、3人とも大臣就任まで原子力政策なんか考えたことも無かったろう。核燃サイクルに関する質問をしますとの事前通告があったにしても、核燃サイクルなんか一夜にして理解することは不可能である。表面的な質問には官僚が用意した文章を読んでやり過ごしても、そこから各論に突っ込まれたら立ち往生するのは目に見えている。そもそも原子力政策が3省の縦割りになっていることにも異論があるが、今日は脇に置く。

要するに、大臣は役所のお飾りだから年季が入った政治家なら誰にでも勤まる、との考えが決定的に間違っている。政治家こそ、政治家になってから、自分で決めていいし、先輩からの指示でも構わない。テーマを決めて真剣に勉強して己の得意分野を持つべきだろう。得意になったのは集票能力と集金能力だけの長老議員が多すぎるように見えて仕方ない。大臣はまるで通告が無い質問には答える義務が無いように考えている風情だ。マスコミには、そのことを正当化する評論家まで存在するから呆れるばかりだ。国民は壮大な田舎芝居を観るために高い税金を払っているのか?東京政治学院でも創って、政治家の教育と国家試験が必要に思えてきた。

2016年3月15日火曜日

読後感「China 2049」
マイケル・ピルズベリー著 野中香方子 訳

<秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略>とサブタイトルにある通り、中華人民共和国政府は1949年の設立以来、国家構想として100年後の2049年には、現在の覇権国家アメリカを出し抜くことを前提に国家戦略を固め、現在その戦略(原語のタイトルは「100年マラソン」)が着々と進んでいる。これを証明しようとしている著者は、ネットで調べても年齢は不詳ながらスタンフォード大学卒業後コロンビア大学大学院博士課程修了している。

1969年以降、リチャード・ニクソンからバラク・オバマにいたる政権で、国務省や国防省に所属して対中国の防衛政策を担当。現在ランド研究所分析官、ハーバード大学リサーチフェロー、上院の四つの委員会のスタッフを歴任・外交問題評議会と国際戦略研究所のメンバー。日本の外務省や防衛省のお歴々しか知らない小生にとって類似の日本人を思い浮かべることは出来ない。著者の博士は30年間も対中国外交の実務に携わっているので、米中の要人とは直接コンタクトできる立場であり、当然両国の政策事情については熟知している立場である。

余談になるが中国は我が国の隣人でありながら、双方共に必ずしも理解が進んだ間柄とは言えないかもしれない。本書の中でも触れられているが2013年の世論調査(「中国日報」と日本のシンクタンク「言論NPO」)によれば、両国ともに約90%が相手国の日本と中国を好意的に見ていない。尖閣事件直後で急増したことがあるにしても、歴史認識などのずれから好意的に見る人間が少数であることは間違いないようだ。特に現政権は価値観を共有しない国家として、中国包囲網を敷くことを隠そうともしていないのは知っての通りだ。

日中間の問題刺身のつま程度で、本論は米中間のことである。著者自身、当初中国は緩やかに民主化が進み、何れの日にかは民主的で経済的にも豊かな国家になるべく中国の指導者は努力を続けていると信じていたし、アメリカの政権が変わろうと一貫してその思想に基づいて支援を続けてきたと証言する。しかし、考察が進むにつれ、その考えが間違っていたことに気付く。その要旨がこの作品に述べられているのである。

端的に要約すれば、中国の国家戦略は建国100年にして米国を出し抜き、世界に覇を唱えることにあった。そのために民主化なんて初めから毛頭考えず、アメリカを凌駕する戦略を只管追い続けているのだ。その戦略の骨格は意外なことに「孫子」の兵法や「囲碁」の戦術に基づく長期戦であり、戦法の基本は「敵を知り、己を知ること」と目的達成までは意図を徹底的に秘匿することにある。

中身で少し触れているが、中国の政治指導者にはそのための学校が用意され、徹底した教育がされるらしい。特に敵であるアメリカがどのようにイギリスからの独立を勝ち取ったかにつていては、アメリカの主要文献に基づいて研究しているようだ。その他にも、目的達成のために現在最も力を入れているのが、内外における情報のコントロール。アメリカにおける与論形成のためのロビー活動やスパイ活動のためのサイバー戦略の重視とか、面白いことが盛りだくさんである。

中国人は元々「嘘は方便」が国民性かもしれぬ。著者は騙されていたと気付いたようだが、オバマ政権末期になって気が付くと、この100年マラソンは意外なスピードで進行している。意図はアメリカへの警鐘であるが、読後日本人として思うのは、我が国は両国のどちらからも、一人前の国家と見られていないことである。高校同期のスキー旅行を一緒した友人からの薦めで読んだが、久し振りに面白くてためになる本に出会った思いだ。

2016年3月14日月曜日

粗雑な思考

先週の報道は5年前の東北大震災と福島原発事故のオンパレードだった。テレビの映像で復旧と復興の遅々として進まぬ現状を見るにつけ、我が国の政治と行政の意思決定システムのどこかに大きな欠陥があるように思えてならない。一方先週の初めにはこんな報もあった。「<自民党>大震災初動対応の検証する組織 党内に設置へ」とのタイトルだ。

先日原発事故の国会事故調黒川委員長の思いを読んでいただけに、とてつもない違和感を覚えた。莫大な国費を投じて調査してもらった大事な報告を一顧だにすることなく、自民党内だけで、改めて地震や津波までを包含する検証をどのようにしようと言うのだろう?しかもご丁寧に「初動対応」とのことだから、当時野党の自公は外野席にいたので、観客の立場からプレーヤーのご粗末ぶりをてんこ盛りでやっつけようとの魂胆が丸見えではないか。

聞くだけで恥かしくなるような言動は現政権の十八番にしても、ちと冗談が過ぎるだろう。せめて国会内に設置することを野党にも働きかけたぐらいにしておけば、反自公の市民も反対は出来ぬだろうに。そうかと思えば政権が急ぐ原発再稼働では、運転を開始したその日に緊急停止する始末だ。再稼働は関西電力の問題で、政府と関係ないとしらばっくれるだろうが、何となく意図することとなすことが何処か間が抜けていると思わざるをを得ない。

天皇陛下を引き合いに出すのは実に畏れ多いが、陛下には総理官邸ほど多くのスタッフが付き添っている筈もないだろう。従って陛下の情報源は我々下々と大差ないのではと推測させて頂く。陛下は今週また福島や宮城に行幸されるとの報道がある。いつも思うのは、陛下が折に触れて発せられるメッセージが悉く心に響くことである。総理は自分が発する言葉の空虚さには当然気が付いていまい。

当然一定の年齢に達した大人は、どうしても若い頃からの勉強の積み重ねが言葉に出てしまうし、表情にも出るものらしい。今更自国の総理をくさしてどうにもならぬが、自民党には総理に学ぶべきことを指導する長老がいないようだし、お友達同士でもいいから、総理に思考すべき事柄と発言についての勉強会でもして貰いたい。

2016年3月13日日曜日

「言い訳」見っけた

なにかうまい言葉、或いは文章を書いてみたいと思って、ブログを始めてから早や8年になってしまった。残念ながら才能に乏しいと見えて、未だに思いの丈が上手く書けたと実感できる日は無い。最近の出来事から思いついたことがある。例の「日本死ね」のブログである。国会中継を観ていて最初に知った時は「幼稚でおかしなブログ」程度にしか思わなかった。

その後騒ぎが大きくになるにつれ、結構な文章書きの先生がこの文章、文体を褒めるのを知って改めて読み直してみるに至ると、成程そう言うことかと思い至った。婆さんなんかもべた褒めしている通り、無駄の無い文章でリズム感があって、言いたいこと、即ち我が身の不幸と政策批判を明確に訴えている。流行歌の作詞家になれるのではと言われると、そうかもしれないと思ってしまう。

どうすればこんなに訴える力を持つ文章が書けるのか。我が身の才能についてはおくとしても、先ず第一には発想が平凡に過ぎることに気が付いた。他人から見ればどうかは知らぬが、自分が最も大切にしたいと思っている価値観は「平凡と中庸」である。故になるべく過激な思いは持たぬよう心掛けている。そのこと自体は別に悪くは無いだろうが、その気持ちのまま文章を書いても訴える力は出ないようだ。

「日本死ね」ブロガーさんの文章は実に過激だが、思想が過激とは限らない。思想がどうであろうと表現方法は別の問題なんだろう。アメリカの大統領選でも過激な発言が大流行だ。共和党のトランプ氏なんかも意図的に過激発言を繰り返して人気を集めているらしい。民主党のサンダーズ氏にしても同様だろう。北朝鮮の挑発に乗ったのかどうか、米韓の軍事訓練の名前が「斬首作戦」には恐れ入るばかりだ。

幼い頃から「言行一致」を教え込まれたので、どうも嘘やハッタリが得意とは言い難い。文章が上手くならない絶好の理由が見つかった。嘘とハッタリは自公政権に任せることにする。

2016年3月11日金曜日

見えないことは信じ難い

自分が経験しないことでも、読書やテレビなどのメディアを見聞することで、ある程度実感に近い感覚で記憶の中に埋め込むことは可能だ。しかし見たことも聞いたことも無いことについて信じるのはなかなか難しいことだ。今日は東北大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故から5年目に当たる。様々な思いが浮かび上がるなかで、やはり一番強烈なことは「津波」の恐ろしさを映像で見せつけられたことだろう。

山国育ちだったことも少しは関係あるかもしれぬが、それまで脳裏に何も無かっただけに、初めて目にした「津波」には言葉を失う思いがあった。被災して亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、今なお復旧の半ばにある多くの方に心からお見舞いを申し上げたい。更に福一の原発事故も同じことだ。水素が爆発するなんてことは学校で習ったかもしれぬが、これまた全く想像を絶することでもあった。どちらも何十年或いは何百年に一度のことかだろうが、たまたま生きている間に実感に近い感覚で遭遇したとも言える。

特に後段で述べた原発事故に関してであるが、311以前と以後で大きく認識が変わった。と言うのは311の事故報道に接するまで、日本では原発事故なんか起きる筈がないと固く信じていたのである。特に現役時代の後半、正確には47歳から55歳までの8年間であるが、原子力発電の広報(何故かPRと言わずPAと称していた)に深く関わっていたからである。注:PAとはパブリック・アクセプタンスの略

この仕事は現在も進行している可能性があるので、嘗てそこに身を置いて結構なお鳥目を頂いた恩義を思うと、余り明らさまに書くのは気が引けるが、少し個人的な言い訳だけはしておきたい。

如何に無知とは言え、それまでに旧ソ連のウクライナではチェルノブイリで大規模な事故が起きたことも、アメリカのスリーマイル島で起きた事故のこともある程度の知識は持っていた。しかし報道からの知識は外国からのニュースだけに印象としては極めて薄く、逆に周辺の権威ある人から「日本で事故は絶対に起きる筈がない」との確信に満ちた刷り込みにあって、それを簡単に信じ込んでしまったのである。

でも今にして思うと、日本にも正確な知識を持った学者さん達がいたのも事実。亡くなった元日立製作所勤務だった高木仁三郎氏なんかが典型だろう。この人や著作まで出版して警鐘を鳴らし続けていた広瀬隆氏なんかも同じだが、こういった人は世の中をミスリードする悪い人だ思い込んでしまった訳である。まして、身を置いた世界が産官学ばかりかメディアまで包含すると巨大な世界である。責任を転嫁して思い込まされたとは言いたくないが、余りにも幼稚だった。

さて、その世界を卒業して事故が発生した訳で、こちらの認識は180度転換した。国家的にも認識の転換を計る必要ありとの思いもあったのだろう。国会に事故調査委員会(国会以外にも2つの事故調が設置)が設置されて大掛かりな調査が行われた。今日この事故調の委員長を勤めた黒川氏のコメントを読んでびっくりしてしまった。以下に一部を引用させてもらう。以下引用

「国会事故調は報告書の中で、規制当局に対する国会の監視、政府の危機管理体制の見直し、電気事業者の監視など「7つの提言」をした。調査結果から導き出された「7つの提言」は、本来、国会で充分に討議された上で、「実施計画」が策定され、その進捗状況は国民と共有されるべきものだ。ところが、事故から5年が経った今も、国会では「実施計画」の討議すら満足に行われていない。

にもかかわらず、九州電力川内原子力発電所(鹿児島県)の再稼働、関西電力高浜原発(福井県)と四国電力伊方原発(愛媛県)の再稼働計画、安倍晋三首相が推進する原発の輸出などが進められている。日本は3・11以前の原発政策に戻りつつある。」

実は為政者に対してもっと厳しいことが書かれているが、スペースの都合で割愛する。下に黒川氏の近著へのリンクを張っておく。



2016年3月10日木曜日

人工頭脳か

昨日の報道によるとグーグルが開発した囲碁のAI(人工頭脳)が世界でも最強とされる韓国のプロ棋士(イ・セドル氏)に勝ってしまったらしい。一昔前ご指導頂いたアマ強豪の先生がいて、早稲田の理工学部のご出身で数学やコンピュータにもお詳しかったが、囲碁の変化を考えると、コンピュータに計算させても月に人間を送り込むことより難しい筈、と仰っていたのを思い出す。しかしコンピュータの世界は数学の世界だろうから、前進する方向さえ間違えなければ、こういう日が来るのも当たり前かもしれぬ。

それに引き換え進歩が無さすぎるのが人間どもの世界だ。外国のことはいざ知らず、どうでもいいようなニュースばかりではないか。スポーツ選手が賭博をしたと大騒ぎになっているが、それがどうしたと言いたい。野球や相撲のプロのスポーツ選手が博奕をしようが、買春をしようがいいではないか。彼等に一般人の模範になるような生活を強いる方が無理だろう。道徳の手本を求めるなら先生と言われる職業の人に求めるべきだ。

テニスのシャラポワ選手で明らかになったドーピング問題もまた然り。アマもプロも境の無くなった現在のことだ。いっそ、薬物も無制限にして人間の体力をどこまで引き出せるか競わせた方が、観ている側からすれば面白いだろうに。偉そうな顔をしている小父さんたちが綺麗事を言いながら、陰で薄汚い事を考えたりしているのは決して表に出てこないが、時々語るに落ちるのでうんざりする。有害行為とか反社会勢力との繋がりとか言うが、反社会勢力即ちヤクザと最もつながりの深いのが警察、そしてその延長に君臨する政治家のお歴々だろう。

話しが逸れてしまいそうなので、これでやめとこう。兎に角コンピュータがプロ棋士に勝つと言うことは、コンピュータが人間の考えていることを読み取っているに等しい。もっと発展して、政治家共の発言について「○○%の信憑性あり」とか、もっと進んで「本当の意図は○○です」なんてところまで進んでほしいものだ。

2016年3月9日水曜日

人間の過ち

春先の定番三寒四温だろうか、ここ数日から今日にかけての天気の移り変わりが激しく、朝から雨が降り出して日中にかけて気温がぐんぐん下がっている。季節の定番とあらば我慢するしかないが、日中運動(ただ歩くだけ)する気にもならず6千歩程でやめてしまった。

今日は孫の卒業式とのこと。目出度いとも言えるが、大学入試に失敗したらしいので、これから予備校を探すことになるらしい。本人は余りめげてもいないようにも聞いているので救われる思いだ。高校時代と変わって遊ぶことより勉強を優先することは、小生なんぞにはとてもできぬ芸当だが、本人が自ら選んだ道のようで、正直敬服している。確かに長い人生を思えば、そんな時間は有益なことかもしれぬ。1年の雌伏で志を遂げることを祈ってやまない。

明日は陸軍記念日で東京大空襲の日、その翌日は東北大震災の日、更に娘の誕生日や孫の誕生日があって、3月は何かと昔を思い出すシーズンでもある。そんな折も折、昨日嫌なニュースを聞いて個人的にも嫌なことを思い出してしまった。広島県の町立中学校3年生児童の自殺事件である。原因が、やってもいない万引きの記録があるとの理由で、志望校への推薦を受けられなかった。これで世をはかなみ自殺してしまったとは、聞くだに哀れでならない。

学校や教員がどんなに謝ろうと、死んだ生徒が甦ることは出来ないのだから可哀そうなんてことは通り越して救いようのない事件だ。事件の詳細はよく分からないが、学校のコンピュータシステムには、この生徒が万引きをしたと一旦間違って入力され、後にそれが訂正された記録が残っている。にも拘らず、口頭で間違いが伝承されたとの報道である。要するに、最初(1年生の時)に誤認した教師と、今年になって誤った情報を授受した教師同士(複数であることは間違いないが何人であるかは不明)のミスが2重3重になっていることだけは分かる。過ちを犯さない人間は皆無だろうが、何ともやるせない。

最終的に面接した生徒と教師のやり取りと、その後の生徒の行動、とくに家庭に戻ってから、については承知していないが、ひょっとすると、生徒は親にも相談できなかったのではないだろうか。我が家族の女性陣であれば、すぐにモンスター化して学校に怒鳴り込むだろう。しかし我が思い出に繋がるのだが、全く似たような経験で親に報告出来なかった事件があった。小学1年か2年生の時であった。

前にも書いた気もするが、休み時間の最中にいきなり入ってきた担任の先生から、ものも言わずにビンタを食らったのだ。「金魚鉢に小便をたれるとは何事か!」勿論寝耳に水もいいとこで、誰かがデマの告げ口をしたのである。この時の悔しさは未だに忘れられないのだから相当なものだ。結局告げ口の犯人も分からずじまいに終わっているが、教師に対する不信感も未だに変らない。しかし何故かこの事件を親に報告せず、翌日お腹が痛いとずる休みしたのを覚えている。

当時は学校での出来事を一々報告する時代でもなかったが、今でも似たような環境下の生徒もいるのかもしれぬ。

2016年3月8日火曜日

低俗すぎる

なでしこジャパンがオリンピックへの出場権を獲得できなかったのは残念だが、昨日の対ベトナム戦では大量得点で勝利したようだ。マスコミは残酷で、今日は引退する選手や監督について軽く触れるだけで、勝利した試合結果や今後への期待についてはどこでも殆ど報道しない。引き換えに、世界卓球選手権で男女とも現メダルを獲得して健闘したチームメンバーが帰国したことを、お祭り騒ぎで煽っている。

紙面・時間が限られているとは言え、もう少し何とかならぬものかと思わぬでもない。さもないと読者・視聴者である我々自身が、常に目前にある束の間の現象に一喜一憂する癖がついてしまうのではと心配になるのだ。マスコミ社会では、常時配信・発信する情報を大局的見地から統括しているのは編集長とか編成局長だろう。ところが、この職にある人がどんな体制で以てするにせよ、どこまで責任を持って自社の情報を管理できるかは甚だ疑問である。

ありていに言えば紙面なり時間が豊富過ぎるのである。資源が豊富過ぎて有難味が薄れ、逆に質が低下する典型かもしれぬ。テレビで言えば、同じニュースの繰り返しにうんざりしている方が多い筈。解説者を置いた情報番組と称する似たような番組が幾つかあるが、これとて大同小異で、社会事情の深堀には程遠い。新聞にしても同じことだ。分厚い印刷物として朝夕配達される新聞の内容が希薄なこと、広告の間にニュースが埋め込まれている感でテレビ報道と大差がない。

ニュース以外は文化とか教養と称するもので時間と空間が埋められることになるが、これまた酷いの一語に尽きる。先日同期のスキー会で友人が言っていた。「外国人は日本のテレビを観て、グルメ番組の多さにびっくりするらしい。」尤もだと思う。普段何を食っているか知らないが、馬鹿面したタレントが何を食っても「美味しい」を連発する下らなさ。同じようなタレントが下らぬ知識を競い合うクイズ番組、この手も似たようなもの多いが、情報を出す局側の知恵の浅さを感じて鼻白むばかり。

老人の常で過去をあげつらうことになって恐縮だが、ラジオ時代からテレビの創成期にかけての「話の泉」「20の扉」等の企画者や出演者に改めて敬意を表したくなる。何れにせよ、現代のテレビ番組はどの局でも下請けプロダクション頼りだから独自の企画なんか出にくいのは当然で、プロダクション側の制作陣に際立った人材が集まるような社会構造には残念ながらなっていない。新聞の場合は、下請け制度が無い筈なのでましかと思うが、政治部なんかで実際に現場にいるのは何故か若い記者ばかりだ。

教育が必要だと言うことは分かるが、先輩記者はどこまで指導しているのだろう?記事を書かなくなった記者は、後輩の指導より官僚や政治家とつるんで個人的に甘い汁を吸っている、なんてことは無いことを祈る気持ちだ。メディアによって国民が啓発されるより、メディアが一億総白痴化を推進している感も否定できない。政府が意図してメディアにプレッシャーを掛けずとも、メディアが進んで政府の希望通りに動いてはいないか?

これも昨日から大々的に報道されているが、田母神氏の事務所に特捜のがさ入れがあったそうだ。こんな事どうでもいいじゃないか。甘利氏はどうなったのかね。

2016年3月7日月曜日

ネット上での買い物 焦ってしまった

ほんの出来心とでも言うべきか、一昨日インターネット上で見つけたあるPDFファイルをデスクトップにダウンロードした。そのファイルを開いて改めて見ると、横に「wordファイルへの変換が楽にできます」みたいことが書いてある。PDFファイルは画像なので、仕事をしていた頃はテキストファイルへの変換が厄介で苦労したことを思い出し、現在はどのくらい楽になっているか試す気になってしまったのが間違いのもと。

暇に任せてやってみようかと思い、指示に従って進んでいくと、有料であるらしい。それでも1か月200円とのことなので、そこをクリックして8ページほどの文書を変換してみた。確かに短時間で変換は出来たものの、相変わらず文字化けする漢字が幾つもある。昔ほどではないので便利と言えば便利かな程度の感想は持ったが、仕事も無いので有料で使うほどの代物ではない。その感想を持った後で、製造元のAdobeから来ているメールをチェックして「しまった!」と焦ったと言う訳である。

メールの内容が次の通りである。「ご注文ありがとうございます。正常に発注されました。」とあって次が請求先情報で、ここはこちらのカード情報。続いて「ご注文概要」で、年額2400円プラス消費税の2592円で、下に<毎年更新する>と記載されている。冗談じゃない、1か月200円の心算が毎年2592円もふんだくられたのでは敵わない。すぐにサポートに連絡して何とかしなければ、と気は逸るが土曜のこととてサポートのスタッフはお休みのようである。

それでも月曜日に備えて準備をしようとAdobeのホームページに行ったが、先ずクレームを言う心算の製品を特定しなければならない。購入したアプリは<Adobe Export PDF >なる代物だが、これに該当する場所が見当たらない。しかし契約変更に応じられない製品一覧の中にもこの品名は見当たらない。兎に角サポートへの電話連絡先だけでも見つけようと努力したが、これも結局見つからず。不安な2日を過ごして、今日やっとサポートへの電話番号を見つけることが出来た。

午前中医者に行ったりしていたので昼近くになってしまったが、これが意外に繋がりやすい時間帯らしい。比較的簡単に電話が繋がり、目出度く契約を解除することが出来た。問題が解決してから改めて検証すると、Adobe側がわざと意地悪しているのではなくて、単にこちらが不慣れなため慌てただけのことかもしれぬ。それにしてもインターネットでの買い物は難しいものだ。もう少しボケが進んでいたら契約解除なんか出来なかったかもしれぬ。婆さんがいつも言うように「買い物は現物を現金で」に限るようだ。

2016年3月5日土曜日

床屋の風景

春めいた陽気に誘われて、少しさっぱりしようかと行きつけの床屋に入った。昼少し前で丁度午前中の客が一段落したのだろう。最初は他に客がいなかったが、暫くしてやけに声が大きい爺さんが入ってきた。この店は同世代の老夫婦と息子さんの3人が理髪師で、椅子も3脚用意されている。その真ん中の椅子に座って、主人がこちらのおつむをバリカンで刈りはじめた時である。入ってきた老人も多分古い馴染みなんだろう。

奥で待機していた息子さんが飛び出してきて、丁重に隣の椅子に案内した。そこに座る前に、件の客が「ご主人にお土産」と言って紙筒を息子さんに手渡した。「ご主人に」と言われてしまっては仕方ないだろう、バリカンを持つ手を止めてそちらに向き合わざるを得ない。こちらも別に急ぐ身でもないから、どうでもいいが、この客人にいらざる興味を持って、それからずっと彼の話聞いていた。

土産に持参した紙筒には江戸風景を描いた浮世絵の印刷物2枚が入っていた。床屋の主も「紙筒は持ち帰るので開けて見ろ。」と言われて、仕方なさそうにちらっと見るまで付き合ったが、流石に直ぐこちらの作業に取り掛かってくれた。この店の主は風景写真が趣味で、自分の作品を4点を額に入れて店に飾り、毎月更新している。今月は既に華やかな桜や桃の木の風景に代わっていた。客の方もその習慣を知らない筈はない。

しかし客の方は押し付けるように主にその印刷物を渡し、椅子に座って散髪を始めてから延々と自分の好意(行為?)について話し始めた。曰く「この絵は30年ほど前にシカゴで求めたもので、1枚10ドルしたものだ。円に換算すれば3600円だ。(1ドル360円なら1850年のプラザ合意以前だから30年よりもっと昔のことだ)だから紙も印刷も当時の日本のものより遥かに優れている。」

ご主人は絵がお好きなようだし、サイズが店の額に合いそうなので持参したとのこと。客人は昔会社の偉い人だったのだろう、どうやらバス停で二つ三つ離れたところにお住いのようだ。近くに住む娘さんが面倒見ているらしいが一人住まいで、趣味の読書と翻訳でお過ごしと推察した。現在91歳で、今日は杖もつかずにバスに乗ってここまで来たらしい。中に時々英語が混ざるのがご愛嬌で、アメリカでも中産階級が無くなりつつあるなんて高尚なことも話している。同じ話を何度も繰り返してくれたので、小一時間黙って聞いて、客人のキャリアや生活が偲ばれて面白かった。

待合ベンチにも客がいなくて相客はこちらだけ、店の主は有難迷惑と感じているのは見え見えだが、手を動かしながら上手く話を合わせている。長閑な春の一時だったが、親切の押し売りも如何と思う一方、91歳ともなれば大抵のことは許されるだろうな。俺は果たしてそこまで生きるだろうか?との思いもあった。

2016年3月4日金曜日

読後感「中国で考えた2050年の日本と中国」丹羽宇一郎著

著者は民主党政権時代に民間人(元伊藤忠会長)でありながら中国大使に任じられたことで有名であり、年齢的には読者の小生とほゞ同年である。現在も時々テレビ等には出演して、どちらかと言えば政権を批判する側に立つので好感を持っているが、世の中の大勢からすれば評価は低い方に属するのだろう。本論から少しずれるが、同じ民主党政権で防衛大臣に任じられながら、政権が代わった途端に自公政権に寝返った森本聡氏とは大分スタンスが違う。

この読後感を書くために著者の経歴をウィキペディアでざっと調べてみた。ところが、2年半に及ぶ中国大使としての話題で褒められるようなことは一つもない。要するに伊藤忠時代から中国べったりで、国益を損ねたような話ばかりのようだ。本の冒頭に「尖閣に始まり尖閣で終わった」と著者自身が書いているし、北京滞在の約2年半とも書いているので、この間地方に一度も出張しなかったと言われるのも事実なんだろう。

しかしながら著者の中国に関する知識が浅いと断定していいものでもない。伊藤忠時代は食料関係部門を長く担当したことから、世界中を駆け巡ったようで、訪中回数は記憶にあるだけで数十回に及ぶとも書いている。食料は人間の存続に関する基本中の基本条件である。まして日本は食料自給率が4割を割る国柄である故、商社にとっても最重要商材であるだろう。しかも食料は生ものであり、長期の保存も難しいし、その補給については相当長期レンジで考えなくてはならないものである。

従って著者の考え方の基本にあるのは、タイトルにあるように、かなり長い先を見据えてものを考えることにあるようだ。地理的には互いに隣国同志で、国土の広さと人口は比較ならない程の差がある日本と中国。この本自体は2013年頃書かれたようだが、今から数えて35年後の2050年に互いの国がどうなっているか?目先に拘らず冷静に考えてみてはどうか。単に日中関係だけではなく、日米関係にしても今までの延長線上にあるのか無いのか。

時恰も、今にも中国経済が崩壊しそうとする人も多い。著者は態々「中国経済は崩壊しない」と言いう章まで設けて断言している。先のことは誰に聞いても分かりっこないが、長期スパンで考えてみることが必要であることだけは理解できた。旅の車中で読むに相応しく、読みやすくて分かり易い本だった。


2016年3月3日木曜日

齢は取っても

先月29日から1日にかけての2日間、志賀高原で5名の旧い友人とスキーを楽しんできた。28日午後から出掛けて、今やモンキーパークで有名になった麓の上林温泉に住む弟の家で1泊。とても2月とは思えない暖かさのうえ、雪が少ないので、頭の中にある冬の志賀高原とは全く異なる風景に戸惑う思いだった。翌日の29日から1日の午前中にかけて天気が変わって雪になったが、スキーにはベストと言えないコンディション。それにもめげず滑っていると、天が愛でてくれたのか昼前から晴れて、1日の午後はパウダースノーの新雪が舞い上がる絶好のコンディションになった。

結局終りよければ総て善しで、一緒に滑った友人共々満足できるスキーとなった。先ず全員が大のスキー好きではあるが、年齢が年齢である。それぞれ往年のキャリアは相当であっても無理は禁物、楽しみながら滑りながらも怪我をしないことが最優先事項だ。本来シーズン最盛期だろうが、スキー場関係の経営者には申し訳ないくらい客が少なくて、我々にとっては有難く広々した斜面で齢相応ではあるが、思い切り滑ることが出来た。若い時を思えば嘘みたいなことだが、たった2日間のスキーで結構な疲労感が残り、昨夜は思いがけないくらいじっくり寝ることが出来た。お陰で今日は爽快である。

更にと言うよりそれ以上に素晴らしかったのがアフタースキーである。宿泊施設が快適で食事も美味いが、何より結構な談話室が備わっていた。そしてこれも客が減っているせいでもあろう、2晩に亘って我々が独占できた。この談話室にそれぞれが持ってきた大量の酒とおつまみを拡げて長時間の談話を楽しんだ。6人全員が同じように年金暮らしであるが、同期であった高校以降は学歴職歴全く異なっているから、話のバラエティーが豊富なんてものじゃない。実に刺激的で感心するばかりだ。

同じ年齢ながら多大な社会貢献をしている人もいるし、豊富な読書量や内外のメディアに接触して益々知識を高めている人がいる。小生以外は海外経験が豊富なうえ、殆どが会社経営者を経験している。従って同じテレビ番組を視聴しても、例えばアメリカ大統領選でもいいが、関連して出てくるコメントが、なまじなテレビ解説者なんかのコメントなど足元にも及ばないほど興味深い話が多かった。会話の内容が知的で、若々しさに溢れていたとも言える。高校同期の仲間ならではの感が深く、専ら聞き役ではあったが改めて母校長野高校を誇らしく思った。