2016年9月2日金曜日

故郷

いつも我が故郷「長野」について書いている。これは紛れもない実感だが、言葉の定義を厳密に見ていった場合に正しいかどうか自信は無い。本籍は長野県の現上田市で登記されている。昔は小県郡秋和村だったような記憶がある。出生地は奈良県奈良市法蓮町で、3歳の時に父の勤務先の異動で奈良県から熊本県熊本市に移転した。従って奈良市の記憶は皆無である。熊本の記憶はかすかにあるが、5歳になった時、父の更なる異動、南洋占領地の行政官としてバリ島行のため、母兄弟と長野市にあった母の実家に引っ越した。

5歳から18歳までの13年間を長野で過ごし、19歳以降はずっと県外暮らしである。しかし少年期の13年間は相当長い。そして周辺から記憶を最も吸収する時期だから、長野を故郷と呼ぶことは許されるだろうと思って使っている次第である。斯様に故郷は人によって使い方がいろいろあろうが、生まれた土地であったり少年期を過ごした土地であることだけは間違いない。故郷についての思いも人様々だろうが、今なおそこに居住する多くの親戚、友人、知人、見慣れた風景など懐かしさにあふれている。

しかし残念なことに我が世代には、外国との戦争に敗戦という一大事があった。我々世代は未だ5、6歳と幼児であったとはいえ、いきなり敵に囲まれて住まいを失くし、命からがら本土の4島めがけて逃げ帰ってきた友人が結構いる。ある人は現在の中国から、或いは現在ロシア領となった樺太や韓半島から、南洋の島々から、多くは母と一緒が多いが、中には父親も一緒だった人もいる。彼らのご両親でつい最近まで存命された方もいるが、100歳を超えて皆亡くなられてしまった。我が友人たちは、記憶の片隅にあっても現在外国領だったり、それ同然の土地を故郷と思いたくはないだろう。

しかし兄や姉の世代になると事情は異なる。故郷には帰ってみたくも帰れない。こんな事情を抱えた人が何人いるか知れないが、終戦直後外地からの引揚者は満州地区だけでも100万に近い数十万所帯があったのではなかろうか。現在生存している引揚者の数については政府も把握できていないだろう。実に戦争とは残酷なものである。それでも戦後71年、戦争に巻き込まれずに来たことには感謝せずばなるまい。安倍総理は北方4島に関してロシアの大統領と交渉することに意欲的だ。引揚者の思いだけではなく、漁業関係者の思いも受け止めているのだろう。

結構なことかもしれぬが、一方で何となく戦争に近寄る気配も濃厚なのが気になってしまう。

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