2016年8月17日水曜日

発言責任

卓球女子団体もメダルを取ることが出来て、めでたしメデタシだ。これで愛ちゃんも安心して太郎か外国人か知らないが嫁に行くことが出来るだろう。佳純ちゃんと美誠ちゃんは、愛ちゃんの気持ちが分かる齢になるまでは未だだいぶ年月がある。益々強気で頑張ってもらいたい。それにしてもアスリーとの言葉は聞いて気持ちがいい。多分嘘が無いからだろう。

残念ではあるが世の中にはその正反対の人間もいる。古今或いは洋の東西を問わず政治家の発言はどこまでまともに聞いていいものか、所詮一庶民には分からない。その上最近はメディアがこの発言を取り上げて、尤もらしく解説までするので、まともに受け止めなくてはと思う人も多いだろうが、後で聞くと「あの発言は何だったのか」と後悔することが度々だ。政治家の発言全てが眉唾だと断定するのも如何かとは思うが、結果において無責任である場合が多いことも否定しがたい。

大体小池都知事の選挙中の発言を初めから真に受けるほうが間違っているような気もするが、それは290万人の選挙民に失礼かな。そんな小さな話は兎も角、トルコのエルドアン大統領とかシリアのアサド大統領くらいになると、自らの命を懸けて嘘か本当か分からない言葉を吐き続けなければならないのだから、偉くなりすぎるのも容易なことではない。比較するに我が国の政治家は気楽なものだ。少しは考えてものを言っているつもりだろうか?他人の振り付けで踊ることを商売とする芸能人ほどにも責任感を感じられない。

いつも政治家の悪口ばかり書き連ねているので、たまには己を含め最もお気楽な庶民の立場を考えてみたい。民主主義ほど危険な思想は無いと看破した人がいたが、同感でもある。そりゃそうだろう。個人は特定されないし、常に安全な方向に靡いていればいいのだから、これほど気楽な立場は無い。それでも近年はブログなんぞが出現しているので、ある程度個人が特定できるが、政治家と異なり顔をさらす必要が無いのだから無責任にならざるを得ない。

そこで少しは反省して、責任の持てる言辞のみを弄したいが、言うに安くして実行するのは難しそうだ。

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