2016年8月13日土曜日

読後感「漱石紀行文集」夏目漱石著

18歳位になるまでに、恐らく合計すれば5年以上は世話になった祖母の家の書棚に漱石全集が並んでいた。従って小学生の頃から、閑に任せて思いついてはそれを引っ張り出して読んでいたので、高校を卒業する頃になると20数巻の殆どに一応目を通したことになる。逆に言えば「吾輩は猫である」とか「三四郎」のように日本人の大多数が読んでいるであろう著名な作品を含め、漱石の小説をまともに読んだことが無いとも言える。

そこで今回故郷長野にバス旅行することに決めたので、旅の道連れにこの作品を選んだ。長短9編の作品からなる紀行文集である。うち3篇は外国について述べてている。最初に収められた「満韓ところどころ」は紀行文と言えるだろうが、続く2編「倫敦消息」「自転車日記」は紀行文と言えないかもしれぬ。紀行文は旅行記だと思うので、先ずいつ行ったかとの説明が欲しいが、3篇ともこの記載は抜きである。

「満韓ところどころ」は解説などから察すると明治42年の初秋らしい。日露戦争の終結が明治38年だから、終戦後間もない時期で、ロシアから取り上げた鉄道の経営(日本軍による南満州侵略)が軌道に乗り出したころである。当時この南満鉄道の経営に当たった2代目の総裁(中村是公)が、漱石の予備門(後の一高)時代からの学友であることから、誘われて赴いたことが分かる。日付等の記載はないが、行った先ごとの文章には構成されている。

興味深いのは漱石が満韓地方を訪れた時は、朝鮮併合の直前であって、満州鉄道と言う言葉あっても満州は中国東北部の一地方名に過ぎない時代のようだ。しかし既に日清・日露と2回の戦争を経て、日本はこの地方に大幅な権益を確保しつつあったことが窺える。このところ大分先の大戦の遠因を考えるようになっていたので、その歴史の一端に触れることになったのも有益であった。

この紀行はかなり長文であるが、漱石が明治40年来在籍した朝日新聞に明治43年に連載されていたらしい。それがその年の暮れに途中で筆を折ったような終わり方になっている。理由は伊藤博文氏がハルピンで暗殺され、国葬やらなんやらで、紙面割が取れずに何日も待たされて嫌気がさしたとのこと。当時のメディア事情を知るよすがの一つでもある。

「倫敦消息」「自転車日記」は南満紀行の大分前、漱石が官費でロンドンに留学していた時(明治33年~34年)の滞在記である。前者はロンドンの風物より下宿屋事情、後者は下宿屋の女将に勧められて自転車を習う羽目に至った顛末である。下宿屋との応答を通して、当時の英国人と日本人との関係も分かるし、漱石がノイローゼになった事情も垣間見えてくる。

残る6篇は何れも短編で、紀行と言うより単に随筆と言った方が良いものもあるが、大正初期の晩年に近いものまで収録されている。

どれを読んでも漱石らしい分かり易い書き方であるが、如何せん江戸末期生まれの方であるから、言葉遣いは些か古めかしいし引用する古事等は解説でも観なければ分からない。しかし明治初期の学生とその後の彼らの生き方が如何なるものであったかが少しわかった。そして漱石が漢籍や英語に関してやや天才に近い人であったこと、また生涯内臓(消化器系か)の病苦に悩んでいて、早死にしたことなんかも理解できた。

0 件のコメント: