2013年6月30日日曜日

読後感「エッセイで楽しむ日本の歴史」上 文藝春秋編

月半ばに3日ほど入院したので読みでのある本を買った。作家は錚々たる学者や物書きが百人前後、ボリュームも600頁もあるので読みごたえはある。下巻は読んでいないが、第1章の「日本人のあけぼの」は3万年前から2千年前頃(弥生式文化の始まった頃)に始まり、室町時代の1400年頃までの出来事についてのエッセイが並んでいる。少し前に出雲大社に関する新書を1冊読んで、神話と歴史の関係が少し理解できたつもりでいたが、改めて古代については理解が難しいと認識し直した。

縄文や弥生時代のことは、神話と外国を含め既に発見されている歴史的事実と一致している点がままあるので、余計ややこしい。私の時代は歴代天皇を数えられなくても叱られなかったが、数年上の人は初代神武天皇から124代昭和天皇まで諳んじるのが小学校半ばでの必須だった筈。とは言え、その当時の人だって、2千数百年に亘り皇統が続いているなんてことを信じていた人は多くあるまい。私も勿論その口で、今上天皇が第125代と言うことさえ忘れていたし、125代なんてインチキに違いないと思っていた。

しかし、そうとばかり言ってはいけない。皇統は、少なくともその辺にある過去帳や印刷された家系図と同列に考えてはいけない。根拠の薄い部分があるのは確かだろうが、天皇家は過去1500年くらいは、間違いなく国内に記録があって遡ることが可能である。その他に考古学的には遺跡もあるし、中国や韓半島の古文書もある。初代から30代くらいまでを、後の8世紀の政府がエイや!といい加減に書いたとばかり言いきれない。

中国の史書の3世紀に現われる卑弥呼が歴史上初めて出現した日本の王かとも思っていたが、中国の古文書によれば、1世紀2世紀にも倭国が漢や後漢に遣使をした事実が記載されているらしい。時の王の名前が何であれ、西暦50年前後には既に倭国が存在した事実を知るとびっくりせざるを得ない。しかし日本は血生臭い国で、中央の政権に於いても地方のボスどもの間でも、しょっちゅう殺し合いの闘いに明け暮れている。歴史は常に戦の勝者が書いたり、書き直している可能性を考えると、ますます分かり難くなるのも確かだ。

特に14世紀に入ると鎌倉幕府もおかしくなって、後醍醐天皇から南北朝時代が始まる。ここがまた大変分かり難くく、現代の皇統との関係でややこしい。幸か不幸か上巻は丁度この辺で終わっている。日本史については、断片的な事件について不正確な知識があるだけだが、その繋がりが分かってくるのは面白い。しかし15世紀以降は正に下剋上の時代、ここから先は下巻になるが、それを読む機会は当分なさそうでもある。

2013年6月29日土曜日

池に落ちた犬

外交に於いては相手国の立場も十分に思いを致して交渉すべし。と誰が言ったか忘れたが的を射ていると思う。身近なことを考えても、話し合いをする時に互いに自分のことばかり強調していたのでは、話は永遠に纏まらない。先ず相手の言わんとする事をよく聞いて、相手の立場に立って考えることが出来るのが大人の態度としたものだろう。営業マン上がりなので、兎に角相手の言うことを先ずよく聞きすぎる癖があるのかもしれない。

然る後にこちらが考えていた方向に相手を誘導できるかどうかであるが、これは生半可な理屈だけでは成功しない。何と言っても相手との信頼関係が重要で、そのために営業マンは飲んだり食ったりするわけである。我々の時代によく言われていた「営業の仕事は首から下が問題」は現代では通用しないかもしれぬ。
一国の外交としがない虚業の営業を混同してはまずいかも知らぬが、ひょっとしたら共通項もあろうかと、日中関係について書こうと思った。

どちらかと言えば、鳩山元総理や野中元自民党幹事長の発言を擁護する形になりかねない。で、事前に婆さんに聞いてみた。やっぱり「そりゃ拙いでしょう、発言の場が良くない。相手の土俵に乗せられて踊らされている。」とのご託宣だ。尤もなことなのでこれ以上は書かない。しかし、昨日の報道では安倍総理自身の言葉として「中国に首脳会談を申し入れをしているが、中国が事前に尖閣問題で条件を付けてきているので、妥協できない。」としている。

断固たる意思は結構だが、外交交渉の根回しをかくも簡単に明らかにすることが交渉促進になるのだろうか?テレビで見ていると、国会終盤の参議院でのドタバタについて、コメンテータのほぼ全員が野党第1党の民主党の責任と言っている。特に、問責決議なんてものは元々法的拘束力は何もありません、と簡単にいなすのを聞くと、何か消化不良感が起きてしまう。池に落ちた犬を寄ってたかって叩いていればコメンテータとしての地位は安泰と言うことなのか?

野党が余りにも虚弱なので、マスコミはむしろそちら側に軸を寄せないと、体制翼賛国家になりかねない。自公の毒饅頭を一切拒否してきたコメンテータていないのだろうか?

2013年6月28日金曜日

特になし

後2日で6月も終わりか。気が抜けたような生活が3ヵ月も経ったことになる。一応毎日パソコンは起ち上げているが、仕事らしきことはこの日記以外に特に何もない。振り返って今月は山陰への旅行と検査入院が主な出来事で、山歩きも出来ずじまいになってしまった。孫と半日遊んだことも特筆すべきかな。実に悠々たる人生になったものだ。

これをどう思うべきかだが、つまらんと言っては罰が当たるかもしれない。身体面では、一応大概の場所を不自由なく歩きまわれるそこそこの健康がまだ残っている。たっぷりの自由時間もあるわけだから、少し知恵を働かせれば何か面白いことにぶつかるだろうと思ってた。しかし事はそんなに簡単ではない。自由はあっても金のなる木が無いせいか、どうも毎日考える事なす事がセコクなる。この3か月を考えてもほぼ毎日同じような日ばかりだ。

これが一般的な老後の環境なんだろう。兎に角慣れるしかなさそうだ。

2013年6月27日木曜日

原発報道に見る権力との馴れ合いにうんざり

報道は昨日26日、電力各社が一斉に開いた株式総会について報じ、北陸電力以外の8社の総会では脱原発を求める提案が相次いだこと、しかし何れも否認され、来月8日に施行される原子力規制委員会の新規制基準を受けて、再稼働の申請を予定している、とごく当たり前のように書いている。8社の中には国が過半数の株主である東電も含まれることは言うまでもない。メディアは政権が代わり、かくも簡単に国が原発再稼働に舵を切ることを国民が納得していると見ているのだろう?

マスコミが何の疑問も感じないことが不思議でならない。現存する50基の高価な設備を時を経ずに廃炉にするのは、経済的大きな損失であるのは間違いなかろう。しかし銭や金の問題ではなかろうと思っている人も多いだろうし、メディアの中にも居そうなものだが、そうではないらしい。福一の事故については未だに原因さえ究明されず、終息の見通しが全く立たないことは万人の認めるところだ。

まさかそれ故だからと強弁するのではなかろうが、この事故で責任を取った人間もいない。東電元会長勝俣氏や清水氏はその職を辞しても、関連企業に優雅に天下っているのも周知の話。昨日読後感に書いた小説の中に旧軍部の責任体制に関して書いてあった。「作戦の失敗であっても偉い人に責任は及ばない。常に犠牲になるのは戦いの現場にいた兵員だけである。従って同じ失敗が何度も繰り返された。」

ある学者によれば、日本で震度6の地震が発生する確率は10年に1度より高いそうだ。来月発表の新規制基準に依ると「適合しない発電所も、5年の猶予期間を設けて稼働を認める。」なんて書いてあるらしい。まるで日本語の態を成していないと思うが、マスコミの反応は鈍い。柔道界や野球界も同じだが、一体に大マスコミ程責任者への責任追及が甘い。むしろ現場では、コンフェデで3連敗を喫したサッカーチームを率いるザッケローニ監督には非常に厳しいが。

偉い人間同士は身内意識があってかばい合うものらしいが。勝手な想像をすればメディア自身が偉い人の身内なのか。それとも責任を追及すると報復が怖いのかね、だとしたら看板を下ろせよ。

既成事実化する原発再稼働を目前にして、ネットの方が一読に値する情報がある。参考までにそのごく一部を転載する。
以下は【岩上安身のニュースのトリセツ】6月26日配信からの引用である

<そもそも地震や津波などによるメルトダウンの危険性を無視し、対策を講じようとしなかったのは、第一次安倍内閣である。2006年12月13日、日本共産党の吉井英勝衆院議員が、津波や地震によって原発の炉心冷却機能が失われ、メルトダウンをもたらす危険性を警告する質問主意書を提出した。

これに対し12月22日付けの安倍内閣の答弁書は、「地震、津波等の自然災害への対策を含めて原子炉の安全性については、経済産業省が審査し、その審査の妥当性について原子力安全委員会が確認しているものであり、御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期している」とし、メルトダウンをもたらす燃料損傷の可能性についても、その評価すら行わないと答えている。

安倍総理は、「安全を確認している」という言葉を軽々に用いて、事故を招き、その責任をとってこなかった前科があるのだ。この決定を下した当時の政府担当者、第一次安倍内閣の閣僚、安倍総理を含め、誰もその責任を追及されてはいない。>

前後を省略しているが、この数行読むだけでも如何に無責任で反省がないことが窺えるではないか。

2013年6月26日水曜日

読後感「永遠の0(ゼロ)」百田尚樹著

数日前のこと、著者の百田氏がテレビのクイズ番組に出演して、小説を書く上で事前の調査がいかに重要であるかを力説していた。ゼロ戦については語り尽くせないほどの知識を蓄えたことを自負しているようだった。翌日すぐに購入して読んでみたが、テレビでの発言は尤もだと思う。私よりは大分お若い著者だが、時代背景にしても実に良く調べていらっしゃる。

主人公は特定されない一般名詞の『ゼロ戦』であり、構成の芯柱であることに間違いないが、配する要素が多彩で非常に厚みのあるドラマとなって、面白さでは近来稀に見る感がある。極言すれば少年時代に夢中になって読んだ講談本や山中峰太郎の戦記物以来かもしれない。12章で構成されているのだが、各1章毎にドラマの盛り上がりが置かれ、さらに最初から最後まで貫くドラマの起承転結もきちんと整理されている。これは著者が放送作家出身故に他ならぬだろう。

ゼロ戦は1940年即ち皇紀2600年に誕生している。しかしその寿命は戦闘機ゆえに、終戦までのたった5年しかなく、生産台数も精々1万機そこそこだったらしい。(以下内容に触れないように書きたい)そしてその殆どが戦争中に撃墜または空襲で破壊されたしまった訳である。当然のことながら操縦する搭乗員は、機と運命をともした人が殆どと考えていた。しかし、機が撃墜されても運良く生き残った人もいたことは事実に違いない。

著者はそのことを前提に、膨大な取材を重ねて構想を練ったのだろう。時代小説も同じことだと思うが、特定の人物に照準を絞って発想すれば、時代考証もその人物の周辺に絞って行うことが可能だ。例えが適切でないかもしれないが、時代考証は殆ど必要はないし実在する人物も多すぎるだけに、却って何処をどのようなフィクションにするかは難しく、事前調査は大変だったろうと思うのである。

結果的に登場する人間の主人公が、この作品に見事な命を吹き込んでいる。普通の時代小説とはもちろん、司馬遼太郎小説あたりとも異なり、最も近代の戦争にまつわるドラマである。センチメンタリズムやヒロイズムに過ぎても嘘っぽくなってしまうだろう。かと言って「3丁目の夕日」のようにヒューマニズムに過ぎると安ぽくなりすぎる。しかしさじ加減は絶妙だった。

最後にタイトルが意味深である。『ゼロ戦』は先の大戦で出した莫大な犠牲の一つ。その上に日本の平和が築かれていることは誰もが承知のこと。我々後の世代が犠牲から学ぶべきを学び、2度と同じ過ちを繰り返してはいけないのも当然だろう。現代世相を見るに、必ずしもそうでないところもある。それは余りにもむなしく、永遠にゼロではないか?

2013年6月25日火曜日

富士山

3日前に富士山がユネスコ世界文化遺産として登録されることが決まったそうだ。ユネスコ世界遺産なるものに関心があまりないので知らないが、自然遺産としてなら少し理解できるが、文化遺産と聞くと「何故文化、どうして?」と疑問が湧いてくる。いくら日本が特殊な国であっても富士山をして文化遺産は無いだろう。登録されるとどんなご利益や義務が生ずるか分からないが、余り碌なことにはならないのでは心配だ。

ウィキペディアによると、文化遺産たるゆえんは「信仰の対象と芸術の源泉」となっている。そう言われりゃそうかもしれない。毎年1度は浅間神社への年参りとして登る友人もいる。昔から多くの詩歌や絵画の主題になっているのも事実だろう。でもね、信仰の山とはチベットのカイラスや、雲南省の梅里雪山のように人間を寄せ付けない山でないとピンとこない。

そこにいくと富士山は少し俗っぽ過ぎはしないか。良いとか悪いとかの問題ではなく事実を指摘しておきたいだけだけど。日本一高い山だから、多くの登山家の憧れであるのも現実で、彼等の大部分は特別の信仰心を持たずに登っているだろう。小生も一度だけ登ったことがある。山頂で日の出を拝んで、何とも言えない清々しい気分になったのも事実だ。でもこの気分は浅間講の人は別だろうが、大部分の登山者には他の山でご来光を拝んでも同様ではなかろうか。

山歩き愛好家の一人として言わせてもらえば、登山者の数が多いからと言っても、富士山は日本の最高峰である。登山歴の少ない人が余り軽々しく登れる山でないことを認識してほしい。先日の報道によると、世界遺産登録決定の翌日には既に山頂まで登山者が列をなしたようだ。実態がよく分からないが、山開きは例年7月1日と聞いている。今年に限って早く山を開くとは思えない。

開山前と言うことは、登山口から上の小屋はまだ開いていないのではないか?それを承知で登るのだから、皆相当の経験者ではあるのだろう。しかし経験者であっても出物腫物の処理はどうするのだろう?どんなに健脚で、一番高い5合目からの登山でも、山頂を往復する間に1度も用を足さずに済む筈がないと思う。エベレストの登山者が増えすぎてゴミ問題が深刻と伝え聞く。世界遺産登録を目指し関係者が一所懸命の努力して、やっと浄化に努めた神聖なお山だ。

心無い人によって再び汚されないことを願ってやまない。

2013年6月24日月曜日

落選議員への応援歌

昨日の都議会議員選挙では投票した無所属の新人が落選してしまった。彼は昔ある代議士の秘書をしていた若い頃から、うちの婆さんが目を掛けていた青年で、区会議員の何期かを経て今回初めて都議選に出た次第。婦唱夫随で投票したが、昨日の夕方になると「自公は決まりだが、残り1議席が頼みの綱。但し投票率が低いと、共産党に持って行かれるかもしれない。」婆さんが心配していた通りになってしまったようだ。

都議会なんて、どんな人間が何をやっているか分からないようなものだから、関心を持って投票しようなんて自発的に思う人間が半分以下と言うのはよく理解できる。もし連れ合いからの触発が無ければ小生も棄権しただろう。我が住まいする豊島区は都心の割には比較的小さな区で、定員は3名。応援した候補者は2万票確保を目標に頑張っていたとのこと。結果は12,614票で次点、3位当選者が13,320票だから相当悔やまれるだろう。しかし一旦志した以上は、後4年間の間に、今回の獲得した票をメンテナンスしながら、更に7千5百票の上積みを図らねばならない理屈だ。

政治家の生活実態を知らないので失礼ではあるが、どう考えても真似が出来ない仕事であるのは確かだ。彼は46歳、未だ若いといっても子供が3人もいるらしい。他人事ながら、これから4年間どうやって生計を立てるのか心配したくなる。ただ言えるのはうちの婆さんが昔から彼の人柄を非常に高く評価していることだ。政治家に向いてるか否かではなくて「まじめ過ぎる程に真面目」だそうだ。おばさん連中には圧倒的に受けがいいので「きっと、いつかは」とのこと。

以上総て婆さんから聞いた話の受け売りばかり。暇に任せてネットで検索したら彼のホームページが出てきた。未だ区議時代の気配が濃厚だが何となく清潔な感じがする青年であることが分かった。ブログの最後のコメントが面白い。http://furubou.com/

2013年6月23日日曜日

小沢一郎についての関心事

昨日はほぼ1年振りで長女が孫を見せに来てくれた。我が家流の「祖父の日」だそうだ。5歳以下の子の成長は早い。随分大きくなったし、互いの意思疎通が大分スムーズになってきたのが嬉しい。孫も役割を心得ているかのようで、半日以上2人きりで大人共とは別の部屋(場所か)に閉じ籠ってくれた。お陰でと言っては何だが、娘や婿殿とも久し振りにも拘らず殆ど話が出来なかった。話はしなくても、大人は互いに元気な顔を見るだけで善しとしたものだろう。

こちらも孫と何時間も一緒にいたが、特段何を話したわけでもない。ただ孫に言われるまま、あっちに行ったりこっちに来たり、一瞬の休みも無いので結構疲れる。彼は普段狭いマンション住まいなので、2階への階段と廊下がお気に入りで、階段を上ったり下りたりと忙しい。こちらも疲れてきたので「外の公園に行こうよ。」と水を向けるが「今日は公園には行かないの。」とつれない返事。結局こちらはプールも行けずで運動不足が心配になったが、ある種の満足感からか、入院で少し変則的だった睡眠からも解放され、久しぶりに夜はゆっくり休むことが出来た。

今日は都議会議員選挙を朝一番で済ませ、いつも通りに午前中は水泳、午後は昼寝をしてから少し読書の後パソコンを立ち上げて好みのメルマガを読んだり、Youtubeで面白そうな動画を見る。久し振りに小沢一郎がニコニコ動画に出ていた。昨夜のニュースで都議選前の各党党首の映像が流れた際、生活だけは党首の小沢氏でなくて幹事長鈴木氏だったので、健康上にでも何かあったのか心配していた。先ほどニコ動を見る限りでは健康に全く心配なさそうだ。
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-9089.html

彼は「小沢は終わった」とする人が多いのも百も承知で3年後の選挙を見据えている。彼の廻りには多くの政治家が群がり、そして離れて行った者が多い。その連中に言わせると小沢のご都合主義を非難して、自分は変わらないことを自慢する人間が殆どである。しかし小生は大分見方が違う。政治である以上政策や組織運営の細部に於いて変化しなければならないことは数あることだろう。
しかし、人間としての基本みたいところの何かは、変えようと思っても変えられるものではない。その何かを感じるにつけ、1度は彼に総理をさせてみたかった。

多分そのチャンスはもう無いだろうが、自分でもそれを知りつつ尚諦めない根性は偉い。マスコミに登場する政治家の発言を聞いていると、これまでにどの程度の勉強をして、現在どういうところから情報を仕入れて、この発言に繋がっているかについて大まかな想像がつく。勿論勝手な思い込みだから的外れかもしれない。人間に与えられた時間だけは公平で、睡眠を余程節約してもこの時間枠だけは越えられない。もう終わったとされる小沢氏の場合、確かに発言の場を相当制限しているのは分かるが、情報のインプットを誰に頼っているのか?

彼がぶれないように見えるのは、情報のインプットラインが細ってもカバーしうる基本がしっかりしているのか、それとも他に何かあるのか?とても興味深い。

2013年6月21日金曜日

何処を見ているのか

都議選の終盤だからだろうが、選挙カーの騒音だけが終日聞こえてくる。誰がこれをまともに聴くのだろうか?喋っている方も誰かに聞いてもらえる、そして投票に繋がるとマジで思っているのだろうか?投票率がどの程度になるか分からないが、投票に行く人は公示前から投票者を決めている人が殆どで、この騒音を耳にして投票を思い立つ人がいるとはとても思えない。都議選が終わるとすぐに参議院選に入る。共に投票先は決めているので、選挙戦の騒音は迷惑以外の何ものでもない。

内閣支持率も高く、二つの選挙で自民党圧勝と予想されている。総理大臣は外国を飛び回り、諸国から日本の経済運営について高い評価を受けていると自画自賛しきりである。マスコミも歩調を合わせるかのように、総理のコメントで頻繁に使われる将来の明るさや、現状に於いても景気が良くなりつつあるようなトピックスを好んで拾っている。景気は気からの喩えもあるせいか、好んで景気の悪い話を取り上げる必要も無かろうが、2年先や10年先に景気を良くします、てなことをまともに受け止める人が本当に居るのだろうか?

世間一般を自分だけの感覚でとらえるのは間違っているかもしれない。それを承知で言えば、3本の矢と聞いただけで明るい気持ちになって、一寸贅沢しようと本気になるお目出度い人間がそんなにいる訳はないだろう。今ほどに政治に対して白けた気分になったのは久し振りのことである。総理が何を勘違いしているか知らないが、国会開催中にも拘らず世界中を飛び回っている。何と言っても衆議院で圧倒的な多数を持っているのだから、内政で心配することは何もないのか。外遊していた方がテレビ取材で取り上げられるチャンスが増え、アッピール度が高いと判断しているのか。

テレポリティクスを今更批判しても始まらないが、メディアも注意してもらいたいものだ。総理が外国で喋ったことを大々的に取り上げるのは仕方がないとしよう。問題はその後のフォローである。新聞社もテレビ局も世界中に自前の記者を駐在させるのが今は常識。たまには彼らをして、総理が去った後に日本との関係がどのように変化しているのかをリポートしてもらいたい。ロシアとの関係、中東諸国との関係、インドやインドネシア諸国との関係、訪問国ではないがアフリカ諸国との関係等々、まるで劇的な変化が生ずるが如き報道のその後はどうなっているのか?マスコミが批判的にならなければ政権支持率は動きようがないだろう。

そりゃ手のひらを返すようにはいかないにしても、あれだけ大風呂敷を広げて来れば何か変化があっても罰は当たるまい。オバマ大統領には相手にもしてもらえず、安保絡みでは米軍のやりたい放題を許し、中国には強気一辺倒の姿勢を取りながら特使を極秘に送り込んで会談を申し入れたりして見苦しい限りだ。前政権であれば簡単に首が飛んだであろう発言も、何が怖いか知らぬがマスコミは追及不足だ。マスコミが政権の茶坊主になったのでは世も末である。

2013年6月20日木曜日

退院してきました

一昨日の昼前から今日の昼前まで足かけ3日、日大板橋病院に入院して前立腺の生体検査の為に細胞摘出手術を受けてきた。4年前にも1回検査して、癌細胞は発見されなかったのだが、PSA値(腫瘍マーカー)の上昇がどうしても高すぎるので念のためとのことである。2回目なので特に念を入れたいのだろう、前回は6か所で済んだ摘出が今回は14か所と2倍以上になっている。結果は7月2日まで待たないと判明しない。癌細胞が発見されようとされまいと、前立腺が異常に肥大しているのだから、問題が何かあるだろう。

過去5年か6年ほど前に掛かりつけの内科医が、「PSA値が標準の4を超えているので泌尿器科専門医の診断を受けて下さい。知り合いの泌尿器科が無ければ日赤を紹介します。」と言った。知り合いは無かったが、日赤は遠いので遠慮して、池袋駅北口前にある性病科・泌尿器科の看板を見つけて飛び込んだのが今通っているクリニックである。先生は小生より少し若い初老の先生が一人、場所柄どうみても性病患者さんが多そうだ。ここの先生は残尿検査と血液検査(PSA値だけ)が半年に1回、触診が1年に1回くらいか。

もっぱらPSA値に頼って、今回2回目の生検を強く勧めてくれたわけである。前回の細胞摘出はこの先生が毎週1回診療に行っている病院で受けたが、今回は趣向を変えてと言うか、セカンドオピニオンも必要かと思い、敢えて大学病院を希望した。前回は検査結果を掛かりつけの先生から聞いたが、同じ先生からの紹介とは言え、今回は検査結果について大学病院の外来に来るように言われたので、治療方法についても少しはセカンドオピニオンが聞けることを期待している。如何に加齢現象とは言え、癌でないことを一度確認しながら同じ薬を5年以上飲み続けて、効果が全く見られないことに些か不満なのだ。

とは言っても、自分の身体のことを医者のせいにするのは感心できないかもしれない。たった2泊のことではあったが、大病院の8人部屋で過ごしただけで身体が資本としみじみ思い知らされる。多分泌尿器科の病棟だったのだろうが、同室の患者さんは他に一人検査入院がいただけで、後は全員癌患者だったみたいである。隣のベッドは今日の夕方手術が予定されているようで、手術の段取りについて丁寧な説明を受けていた。背中から全身麻酔で行われるようだが、「心配しなくてもいいですよ。」と言われるほどに心配が募っていく気配が感じられるし、同じ立場に立てば我が心も同じことになるだろう。

この人もそうだったが、同じ年恰好の人が既に多くの病気で手術を受けたり、長期の療養をしている。小生も病気の種類は多々あって、何度も入院はしているが、幸いなことに今のところ大事には至っていない。ここから先どんなことになるか、神のみぞ知る事ではあるが、この日記のテーマも「老化と健康」で病気の話ばかりでは面白さに欠ける。もう暫くは広い世間を見つめ、面白そうなネタに挑戦したいものだ。

2013年6月17日月曜日

入院準備

東京では土曜日の夜から昨日曜日の午前中にかけて梅雨らしい雨になって、久しぶりに涼しかった。しかし列島全体に雨が少なくて猛暑が続いている。東京も湿度は高いが雨は落ちてこない。本州では梅雨が明けた沖縄より暑い地点が何か所も表示されている。気象庁が発表する気温とは地上から1.5m、風通しが良くて涼しい屋内を想定した環境で測定された値であるとのこと。気象庁発表で30℃ともなると、アスファルト上の温度は倍近くになることもあるらしい。

湿度90%だそうだから、30分ほど歩くだけで全身汗が噴出してくるのも仕方あるまい。山ではなるべく50分程度歩き続けるのを一つの目安にしているが、都会で50分歩き続けるのは結構難儀なことである。そろそろ帽子をかぶらないと街中で熱中症になりかねない。明日の午後からは雨と予報は言っている。当たるかどうか分からないが、明日は午前中に入院して午後は生体検査(一種の手術)だから丁度いい塩梅かも知れない。

検査は一度経験しているが、あまり気持ちの良いものではない。前回は1泊で済んだが、今回は術後の安静期間を1日延長して2泊の予定になっている。先週も旅行で少しゆっくりしたばかりなのに、またゆっくり寝て過ごすことになりそうだ。寝読書用の文庫本を1冊購入した。少し活字が小さいのが気になるが、夜はどうせそんなに読書なんかしないだろうから良いとしよう。後は入院手続き用の書類に必要事項を記入したりサイン・捺印したりする。

記入しながら感じるのは、病院側はこんなに詳しい情報を記入させて、どのように利用したり管理したりするのだろうか?である。データ化して管理するなら情報漏洩は避けがたいだろう。たまたま今月は、個人情報やら国家機密のハッキングが国家レベルで行われていることについて話題になっている。一昔前までは米国の電話盗聴が有名なことで、日本の政権担当者の電話は総て、米国の情報当局に筒抜けであったことがよく知られている。

情報のやり取りのメインがネットに依存するようになってきているのだから、権力者が然るべき業者に圧力をかけてデータを丸ごと召し上げようと画策するのは当然のことだろう。我が家の情報なんぞどこに何が洩れようと別に困ることは何もない。いつも笑ってしまうのは、既に嫁に行って不在になっている娘あてのDMが未だに何度も届くことだ。業者もそれなりにコストを掛けているのだろうが、データの更新がなされないのは無駄もいいとこである。

兎も角データ化された情報は洩れて当たり前とするしかないだろう。政府も外国に盗まれることを心配するより、米中に引けを取らないハッキング技術を磨くべきだと思う。しかし未だに例のなりすましメール事件の解決すら覚束ないようでは前途遼遠だな。

明日から2日か3日、この日記もお休みです。健康診断みたいものですからご心配なきよう願います。

2013年6月16日日曜日

行ってよかった、名所旧跡



滅多に観光旅行をしない方だと思うが、歳のせいかもしれない、急に山陰の出雲大社と序でに山陽の白鷺城見物を思い立った。一昨日雨を予想していたのだが、快晴で兎に角暑かった。午前中に出雲大社、夕方は姫路の白鷺城を見物した。両方とも名前だけは遥か若い頃から聞き及んでいたが、我が目にするのは初めてのこと。長い列車の旅の甲斐もあったと言うべきか、良い冥途の土産になった。出雲大社については、今年が60年振りの大修復の年にあたり、5月に遷宮式が行われたばかりであることは周知の通り。

国宝になっている本殿の檜皮葺の屋根が実に美しい。日本で最も代表的な檜皮葺建造物で、ここ以外には信州の善光寺と京都の御所以外に匹敵するものが無いらしい。素材も技術もややもすると失われがちなものを、遷宮と言う形式で修復しながら長年使用していくのが木造建築の素晴らしいところだ。それにもましてびっくりしたのが、神殿の重厚さである。日本人と言うより個人的なものか、宗教観や信仰心と関わることだが、神や仏はイメージとして具象化しにくい。平たく言えば「無」であるような気もする。

伊勢の天照大神にしても女性と言われてもピンとこないし、参拝する時、賽銭箱の先に何もない空間があるだけというセンスが、洒落て都会的なので気に入ってるところもある。ところが出雲は正反対、山門や仁王門こそ無いが、まるで寺のように賑やかで堂々とした造りである。普通神社には狛犬ぐらいはいても家来らしき気配は無いとしたものだが、年末に全国から八百萬の神が集まるせいか少し堂々としすぎる。家来なんかも大勢いるのだろうか。笑

考えようでは何とも田舎臭く泥臭い。とは言っても出雲の神が日本最初の地付きの神で、お伊勢さんは昭和のアメリカ軍的なポジションかも知れない。とは行きの車内で読んだ本による。とは言え信濃のお諏訪さんは正に出雲の直系。かく言う小生はその末に繋がるらしいと再認識。それに4月4日生まれの小生にとって4がラッキーナンバーでもあるが、出雲の神は4偶4本がお好きなようでもある。参拝は2礼4拍手1拝とあったので、柏手を4回打ってきた。

早朝から神様への参拝を済ませ、中国山脈を横切って太平洋岸に出て、3時前には姫路に到着。陽が高いし猛烈な暑さである。白鷺城までは駅から直線で約1キロ、山と違って疲れ方は違うが、汗が同じように噴出してくる。こちらも国宝で世界文化遺産指定の第1号だそうだ。肝心の天守閣は現在修復工事中で、巨大な櫓が組まれてシートで覆われている。その代り覆いのシートの中に入ることが出来て、修復中の屋根や漆喰をまじかに見ることできる。これまた先月、大屋根に据え付けられた鯱を目の当たりに見ることが出来た。


天守閣は修理中ではあったが、代わりに普段非公開の回廊櫓が特別公開されていたし、西の丸周辺の見学コースからみる石垣や漆喰の美しさは十分堪能できた。城郭のスケールだけでは江戸城の方が上だが、江戸城は城郭としての美しさは味わえない。石垣と城との組み合わせがかくも優美で美しいことにはびっくりしてしまった。

2013年6月15日土曜日

読後感「出雲と大和」村井康彦著

<古代国家の原像をたずねて>と副題がついている。古代史や考古学に特段の興味があるのではないが、急に出雲大社に行くことになったので、参考のために読んでみた。著者は私より10年先輩で京都大学で博士号を取得されているバリバリの学者先生。

日本古代史は神話と密接な関連があることは容易に想像がつくが、これほど深い関連があるとは初めて知った。私にとっては神話即ちお伽噺なので、何一つ系統だって記憶されているものは無い。神道についても深く考えたことも無く、何となく神頼みをしているだけで、それも伊勢神宮が神社の総本山らしいから、ここが一番霊験が高い筈と勝手に決め込んでいるだけである。本書は別に神道について解説している訳ではない。

祀られている神々から逆に日本の古代史を探ろうとしているのである。従って、どうしても神社と神々の話が沢山出てくる。困るのは同じ日本語でも神々の名前は殆どまともに読めない。その上出雲大社の主神である大国主神なんて神は名前を沢山持っているので、読んでいると頭がくらくらしてきてしまう。神話の世界では天照大神が世界最高の神で、その弟の須佐之男命が地方の神であった大国主命を助けて日本国を作ったみたいイメージが主であると思う。

こういった話の出所は全て古事記または日本書紀に依っている筈。しかしこの二書は何れも8世紀(712年と720年)に編纂されたものらしい。ところがこれに先んずること300年以上前から日本には邪馬台国なんて国があって、そこに女王卑弥が存在したことが外国(魏-現在の中国)の資料で明らかになっている。ここから少しややこしいのだが、神話の登場人物が極めて人間味を以て書かれているので、歴史学者は神話の中に歴史事実の反映があるものと考えるらしい。

従って、神社は単にお伽噺としての神話を反映したものに過ぎないだけではなく、著者は歴史を反映するものとして見直していく必要ありとしている。要するに神話をひっくり返して古代史を解説しようとしているので、読者である私は年代についても登場人物にしても相当頭が混乱してくる。著者が謂わんとすることは、大和朝廷が出雲大社の造営を命じたのは事実であろうが、大和朝廷が確立する以前から出雲地方に日本古来の部族がいて、大陸との関係を持っていた。これを出雲一族と仮称すると、彼らは北陸から紀伊半島にかけて広大な勢力圏をもっていた。

4世紀の卑弥呼も出雲一族の一人で、彼女は大和地方に本拠を構えていた。ところが、5世紀以降7世紀迄の間に九州の宮崎あたりから非常に強い部族が襲来して、大和から出雲一族を駆逐してしまう。出雲一族は結局九州部族に降伏して、政権を譲ることになる。しかし九州部族側も出雲一族を無視もできず、国政に参加せせた。この辺の経緯が全て神話(大国主命の国譲りやら神武天皇の東征)に反映されているのだそうだ。

他にも出雲大社が伊勢神宮より遥かに立派な建物であることは、九州から来た新政権が講和条件を破り出雲一族を軽んじたので、新政権に祟りが続いた。恐れをなした新政権が出雲に立派な神社を造営することになった。現在地とは異なるが、出雲大社の遺跡が伊勢神宮より前の時代に存在していたことを示す証拠が沢山発見されている。等々それぞれに理屈がつくのである。8世紀に編纂された古事記と日本書紀に卑弥呼についての記述が全くないのも、この書を編纂した政権が卑弥呼時代と血統が代わってしまったからであるとも断じている。

考古学とはロマンに満ちた想像が許される面白い学問である。当然ながら読み物としても面白いこと請け合いである。

2013年6月12日水曜日

お役所仕事

多くの著書がある近藤誠さんは日本でも有名なお医者さんの一人だろう。残念ながらまだ1冊の著書も読んでいないが、書店でしょっちゅう立ち読みしているので、言わんとするところは大体想像できる。比較的近著のタイトル『医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法』(アスコム 2012)が象徴しているように、年を取ったら余りジタバタせずに病気と上手く付き合って、適当なところで死ぬのが幸せでしょうと仰りたいようだ。

どの本か記憶が定かではないが、店頭で瞥見して印象に残った次の一節がある。「診断結果を、加齢によるものですね、と言ってくれる医者はある程度信頼していい。」小さい頃からの友人で今でも親しくさせて頂いているお医者さんも似たようなことを言っている。健康保険のお陰で医療費負担が1割になって喜び、毎月几帳面に医者通いしているので偉そうには言えないが、この先生方が仰ることがある程度分かるような気がする。

小生のように理屈を知りながら不心得に医者通いをする老人が多いせいで、健保関連の社会福祉財源を圧迫して国家財政を悪化させているのかもしれない。今日はそのことを棚上げして書きたい。昨日、区から1通の分厚い手紙が届いた。差出人は区の高齢者福祉課介護予防係、表に「生活元気度チェック」調査回答のお願いと枠囲いしてある。調査依頼書を読むと、今年度から健康診断とは別に実施するもので、調査票は医療機関に提出せずに直接返送すること(ご丁寧に返送用封書が同封されている)。

回答者には、1~2か月後に「結果アドバイスと介護予防のパンフレットを送付します。」とある。親切ご丁寧なことなので有難く思うべきかもしれないが、豊島区の高齢者(65歳以上)人口が気になって調べてみた。約5万4千人(総人口約27万人の20%)である。当然ながら要介護予備軍もそれなりには居るだろう。それにしてもだ、5万人を超す全高齢者を対象に、手間暇コストが何ぼか知れないが、こんなことをする発想は普通のビジネス感覚からは出てこない。

冒頭に紹介した近藤先生からすれば、健康診断すら几帳面に受けることが果たしていいのかと言うことになる。国民をして健康に目覚めさせ、以て医療費の増大を防ぐとの名目に異を唱えることは出来ない。問題はそこから先の具体論の筈、区役所の官僚が考えることも霞が関の官僚の考えも大同小異。大義さえあれば、後は十把一絡げにして己の権益の確保だけに専念するように見るのは僻目だろうか。

お役所仕事に於いては、いつも「費用対効果」が考慮されないし、何をするにしても平均値をもって基準が形成され、基準による公正だけが重視される。結果、無駄な事業がはびこり、救われない人間が大量に発生する矛盾を如何にすべきだろうか?

2013年6月11日火曜日

<サミット> 意義?

やっと梅雨らしい天気になったが雨量はイマイチである。これまでのお天気続きで本州の水不足は深刻らしい。都会暮らしで感覚が鈍いが、農作物への影響が心配になってくる。砂漠に建設された国家と異なり豊葦原瑞穂の国とて、水の心配だけは無いなんて暢気に構えることが未来永劫可能かどうか、序でに考えてみた方が良いかもしれぬ。山の中にはダムが至る所にあるが、今年は何処のダムも異常渇水になっているようだ。森を伐採して山を削る貯水方式が理に適っているのか?元長野県知事田中康夫氏の言う方が正しいのか?

判断はつきかねる。降雨量は多くても、外国から飲料水を輸入したりしているのだから、潤沢な水資源とは言えないかもしれぬ。水道システムも外国に輸出すると胸を張るくらいだから、まさか東京で給水制限なんてことは起きないよね。しかし世の中には「まさかの坂もある」と言った人もいる。我が家は嫁が来ても数年間は水道が引かれていなかった。井戸水の生活だったので、名残に今でも井戸水の蛇口を1本だけ残している。

しかし井戸本体は蓋をして手押しポンプも外しているので、停電になればアウトだ。従って本当の非常時には何の役にも立たない可能性の方が高い。兎に角少し晴天が続くと渇水で、降ったと思うと今度は台風の被害予想、四季の変化に富む我が国も、それなりに適応していくには、些か頭を使わねばならない。大事なことは、やたらに自然を克服したり超越しようと考えないことではなかろうか。

元々日本人には「自然と共に生きる」意識が濃厚にあり、様々な日本文化を生み出してきたと思う。どうも最近は、夜郎自大と言おうか、何事に対しても不遜な態度の人が目についてしかたがない。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とはよく言ったものだ。

少し飛躍するが、「サミット」なる会議がある。先進○か国首脳会議(G○)または主要国首脳会議とも呼ばれる。日本は1975年開催の第1回会議から参加している。フランスの大統領が提案して、第2次世界大戦々勝国の英米仏と敗戦国独(西)伊と日本の6か国が参加した。会議の趣旨は1973年のオイルショックを受けて混乱に陥った世界経済再建のために、6か国の財務を預かる政府高官が集まり、経済的課題を討議する会議である。メンバーであるから、当時の日本は主要先進国であったのだろう。

来週17・18日英国のロック・アーロンで39回目を迎えるこの会議は参加国が多分20か国と大幅に増えている。しかし、この中に中国やインド、ブラジルなんかは入っていない。討議される内容については定かではないが、経済的に大きな意味を持つのかどうか、疑問を感じなくもない。40年近くも前から世界の主要国クラブに入っていたとは目出度い限りではあるが、今もポジションが変わらないと思うのは、大きな勘違いに繋がりそうだ。

2013年6月10日月曜日

価値観外交

株価の上下に一喜一憂する内閣の姿は、国家中枢のピントが外れているのを見る思いで情けないことではあるが、それと同じか或いは以上に奇異に感じるのが外交姿勢である。日本が自給自足できる国でないことはもとより明らかで、外交が政府の重要な仕事であるのも勿論のことである。その基本姿勢に最近「価値観外交」がしきりに言われる。

どんな意味なのかウィキペディアで調べると、我が国の外務省が次のように定義している。「普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)に基づく外交。つまり、こうした価値観を持つ国々や人々との連携・協調を推し進め、また支援し、広めようとする外交方針である。」元々はアメリカで提唱されたものの受け売りのようだから、属国日本の政府としては無批判に受け入れたのかもしれない。

その結果、中国と前政権以上にぎくしゃくした関係に陥ってしまっている。その間に本家のアメリカが宗旨を変えたのかどうか、この週末には中国と親密な関係を演出している。宗旨替えの連絡は当然事前にはなされまい。属国日本の誇りからか、政府関係者からマスコミに登場する知識人の殆どが「日米同盟は不滅です」てなことで、不安を紛らわしているのは滑稽ですらある。
正に外交こそは国の根幹に関わることであれば、小なりと言えど独立国日本として、それこそ骨太の方針を持たねばなるまい。

現在の日米同盟をやみくもにけなそうとも思わないが、これを半ば永遠の拠り所として良いかは別問題の筈。つい半世紀前までの政治家は、敗戦の結果繋がれたこの重い軛を断ち切ることに政治生命を賭けて取り組んだはずである。現総理の祖父にあたる岸信介氏でさえ、日米安保の不平等を無くすために、結果は別にして必死の努力をしている。その志を知ってか知らずか、孫の総理が「日本には米軍の基地があるのですから、日米関係は揺るぎようがない。」と胸を張られたのでは、岸氏も浮かばれないだろう。

そもそ外交に於いて「同じ価値観を持つ」国だけと付き合うなんてこともおかしいし、自国の価値観を他国に押し付けるなんてとんでもない心得違いだろう。個人的に考えても、お付合いを願う多くの友人がいるが、同じ価値観を有する友人ばかりなんてことは先ずありえない。強いて言えば同じ組織に属するやくざ同士であれば或いは、と思わないでもないが、それでも互いに独立した人格であれば、なかなかそうはいかないであろう。第一、移民国家のアメリカと我が国では、自由や法の支配には大きな差異があるのも明らかではないか。

極端なことを言えば同じ価値観の国なんて一つも存在しないと思う方が自然な筈で、異なる価値観の人間と上手く付き合えるのが大人の証拠だ。米中会談の中身を詳しく知りたいと言われても、大人の話を子供に聞かせる訳にいかず、アメリカも苦笑いをしているのか。

2013年6月9日日曜日

中国地方旅行プラン

ずっと好天が続いていたが、今週末からやっと本格的な梅雨前線が列島に接近しそうだ。そのうえ週末には台風も上陸の可能性があるとのこと。今週末婆さんの仲良しだった従姉の法事があるので「週末はどこかに出かけませんか?」と聞かれても、流石に山行きの計画を立てる気にならない。代わりに、ならばこの機会に出雲大社に行ってみようかと昨日思いついた。天気が悪そうだし、夏休み前でもあるから、そう混雑していないだろうとの目算である。

そこで昨日JTBのカタログを見てツアーを申し込んでみた。ツアーの内容は出雲大社と安芸の宮島から瀬戸内海周遊2泊3日で、お一人様49,800円とある。意外に高いなと思ったら往復が飛行機になっている。電話をしてみると、残念ながら今週末出発のツアーは既に締め切られてしまっていた。後から考えれば当然だが、ツアーは概ね2週間前には申し込みを打ち切るものらしい。

しかし折角思いついたので、JRを利用して一人でのんびり旅することに変更。昨日ネットで調べるとJRの交通費だけで43,700円も掛かることが分かった。やっぱりツアーに比べると相当高くつくことも再認識したが、この機会を逃すと、また何時のことになるか分からないので、出掛ける決心をする。但しプランは少し変更して出雲大社と姫路城見学にする。松江は、サラリーマンになりたての20歳代に、仕事の関係があり、松江駅が東出雲郡揖屋と言う田舎町への通過点で、何度か訪れてはいるが出雲大社は一度も行ったことが無い。

当時はたしか東京発19時か20時の夜行寝台で、福知山で乗り換え松江着が翌朝10時か11時頃とえらく遠く感じたものだ。現在は新幹線で岡山まで行って乗り換えるのが便利らしい。それでも出雲市までは6時間ちょっとが必要だから、遠いといえば遠い。先ほどJR緑の窓口に行くと「のぞみ」はジパング倶楽部の割引が利かないが、「ひかり」であれば通常の30%引きですと親切に教えてもらえた。急ぐ旅でもないし安いことが一番なので、窓口のお兄さんにスケジュールを全て組み替えてもらう。

出発の時間も帰宅時間も当初の計画と大差はない。しかもトータル金額が26,270円になったので当初見込みの6割になった。ホテルはお馴染みの東横インで、何れも1泊5千円だから総経費はツアーで行くより安くあがりそうである。少し残念なのは姫路城が大改修中であることだが、婆さん曰く「普段見ることが出来なところ見ることが出来ると、態々行く人がいるみたいよ。」だから、それも善しとしよう。

問題は台風の進路だけだ。昔、東海道新幹線で台風に遭遇、大阪東京間で7時間近くかかったことがある。同様な事態に遭遇したら、また幾らか払い戻しがあるだろう、みたいセコイことを考えたりして。

2013年6月8日土曜日

読後感「激走!日本アルプス大縦断」 NHKスペシャル取材班著

久し振りに面白いノンフィクションだ。昨年放送された番組を見て感動したので手にした。読後改めて番組を見たかったが、既にオンディマンドでは見ることが出来ない。DVDが発売されているのだ。NHKもすることがセコイ。この点だけが少し不満である。書き手は番組の構成を担当した名古屋放送局勤務の斉藤さんと言いう方。スタッフリストにはディレクターの一人として名前が載っている。

本の内容以前に、少し番組制作に関わった経験を持つ者として、NHKの人材の厚さに驚いてしまう。制作と演出サイドが14人、撮影サイド(音声を含む)に51人の名前が連なっている。他にプロの山岳ガイドや車両担当の名前も明記されているが、ポーターについてはスタッフとして勘定していない可能性もある。取材は8日間のレースと前後を合わせると膨大な量になるのだろう。特に丸8日間昼夜を分かたず繰り広げられたレース中の取材は、山岳技術も半端な者では勤まらない。過去5回のレース経験者が多数採用されたようだ。

番組も見応えあったが、この著作はアマチュアの出来を遥かに超えた本格的ノンフィクションとなっている。そもそもテレビ番組の良し悪しは、その大半を構成作家の腕によるものだから当たり前かもしれない。内容は勿論昨年8月の半ばに行われた『トランス ジャパン アルプス レース2012』(第6回TJAR)の取材者レポートの形を取っている。このレースについては、番組の放送まで全く知らなかったが、2002年から隔年で実行されていた。

コース全長が415キロで制限時間は8日間、富山湾から駿河湾まで、間に横たわる北、中央、南の3大アルプスの峰々を踏破しながら日本を横断する過酷極まりないものである。第1回目の参加者は5名、6回目の今回は参加者が28名で完走者が18名。もちろん事前に厳しい資格審査があり、エントリーできるだけでも、最近流行のトレールランナーにとっては名誉なこととは頷ける。トップランナーは5日と6時間24分でゴールしている。

本書に於いても狂言回しとして主役的な立場を演じているが、この人が得たものの中にメダルとか賞金とか賞品すら何も無いのが素晴らしい。走ること、山を愛することが好きな人が集まって、自分たちの為に自分たちの手で作り上げているレースなのだ。トップランナーもリタイアした選手も含めた連帯意識には取材者側も理解し、現場スタッフはかなりのめり込んだのではないだろうか。先にも少し触れたが、取材する側の危険度も選手と変わらないこともよく分かった。これまでに事故を起こしていないことも素晴らしい。

誰かに何かの縁があって、三重放送局に持ち込まれたこの企画の実現で、来年の(第7回TJAR)の参加者は急激に増加するのではないだろうか。そのことでこれまで大事に育ってきた山屋の精神が、変な商業主義に穢されないこと、無事故で回を重ねることを祈ってやまない。

2013年6月7日金曜日

老人の街 我が町内

我が居住エリアの40数年前、新婚当時の頃は、家から1歩出て隣の家の角を曲がれば、千川銀座と銘打たれた商店街だった。向かいが蕎麦屋で隣は豆腐屋さんで、朝早くから賑やかなことではあったが、「年子で子供が出来ても、買い物が近所ですべて間に合ったので子育てが凄く楽だった。」今でも婆さんがよく述懐している。恐らく似たようなプチ商店街は東京のいたるところに存在していたのだろう。それが今や商店が1軒も無くなり、小さな住宅が連なる中にこれまた小さな駐車場がポツンポツンと存在するだけの街に変わった。

昨年、隣の豆腐屋さんの向かいにあった酒屋さんの後に整骨院が開業したのが目新しい。年中聞こえていた子供の遊び声は聞こえなくなり、腰が曲がりよぼよぼ歩く年寄りばかりだから整骨院は繁盛しているのかもしれない。我が家の真向いで蕎麦屋を営んでいた同じ年のご主人は、廃業して悠々自適なのだろう、自宅は数軒離れた場所にあり、町会の役員としてご活躍頂いている。交通安全週間には朝から黄色い旗を手に交通整理をしたり、週に一度は早朝に火ばさみとゴミ袋をもって道路のゴミ拾いをしてくれている。町内は結構な広さだ、頭が下がる。

そんな最中によく顔を合わせるが、いつも機嫌よく声をかけてくれるばかりで、「あんたも手伝え」みたいなことを仰らないので恐縮するばかりだ。我が町内は広い。朝8時前にいつも家を出るのだが、顔を合わせる人は決まっている。何れも年寄りばかり。家の前を掃除したり花に水をやったり、ゴミだしをしていたり、何処にお住まいか知らぬが我が町内を犬の散歩道と決めている人もいる。いつも顔が合う子供はほんの数人で5人といない。実に寂しい限りだ。

しかし先行きを考えるに、もう数年この寂しい状態を辛抱すれば、再び世代交代で現在家を出て借家住まいしている若年層が帰ってきて、商店街は兎も角としても若い人の賑やかさは戻ってくるかもしれぬ。何かにつけ年寄りは悲観的に考えがちだ。一寸話が飛ぶが、同じ高齢者絡みのこと。昨日総理は官邸に三浦雄一郎氏を招き、今年5月の史上最高齢80歳での世界最高峰・エベレスト登頂をたたえる「三浦雄一郎記念日本冒険家大賞」創設を提案した。との報道がある。

三浦氏のエベレスト3回目の登頂については、山好きの立場からは何ともコメントしにくい。行為そのものが余りにも凡人離れしているのと、目的が平凡な山好き小父さんのそれとはかなり異質なものを感じるからである。但し冒険家となると少し違うのじゃないかと異論を唱えたい。本人は光栄に思ったそうだが、他に沢山居るであろう大勢の冒険家から「そんな賞は要らねえ」との声が聞こえてくるような気もする。自戒を込めて言ううのだが、老人は思慮深く冒険をしないのが一番偉いと思う。

2013年6月6日木曜日

旅行について

婆さんは近隣に友人が多い。比較するに小生は近隣には殆どいないに等しい。彼女の友人はバライティーが豊富と言うか、いろんな種類の人がいるみたいだ。その中には有難いことに、旬の野菜をたくさん届けてくださる人がいたりする。豊島区在住の主婦がどこで旬の山菜なんぞ仕入れるのか不思議に思って聞くと、ゴルフ帰りのお土産のお裾分けだったりする。お返しは殆ど婆さんの手料理らしい。皆近くの人なので、一寸声を掛けると喜んで取りに見えるそうだ。

栃木や静岡にも友人がいて、彼女たちからも果物や野菜が届くことがあるらしい。そのお場合のお返しについてはどうしているか知らない。婆さんは23歳の時に嫁に来た。今朝テレビで「女性の平均婚姻年齢が30歳」と報道されたのを聞いて笑っていた。当時は25歳になると行き遅れと言われたそうだ。若い時分小生が大阪に転勤になった時、3年ほど(こちらの在大阪勤務の半分だけ)の不在を除いて現住所に住みついている。小中高は静岡で東京の短大を出ている。

こちらは4年生の大学まで出ているので、友人は遥かに多くても良さそうだが、最近は圧倒的に彼女の方が多く、付き合いも頻繁に見える。付合いと言っても、出歩くのを億劫がる方なのであまり外出はしない。代わりに電話での長話が多いみたいだ。同じ豊島区に住む仲のいい友達に海外旅行が大好きで、1年に最低3回は海外に出かける人もいるらしい。婆さんは飛行機に乗らない主義なので、どんなに誘われても行かない。今朝この人のことが話題になった。

昨年御主人を亡くされたので益々その傾向に拍車が掛かっているとのこと。今度はロシアに行かれるらしい。これがきっかけで旅の話になったが、考えてみると自分も余り旅をしたことが無い。65歳過ぎて山歩きは頻繁にしたが、海外旅行は勿論、国内も旅行らしき経験が殆ど無い。思えば熱海に新婚旅行の話が出たが、何だかんだで結局止めた位だ。強いて言えば毎年几帳面に行っているお伊勢参りがあるが、いつも駆け足で旅行とも言えない。

このところこちらが「暇だ。」連発するせいか。「今年はご遷宮でお伊勢さんは人気のようよ。お伊勢参りのお陰で折角毎月JTBから旅行案内が送られてくるのだから、少しは見て研究したらどうですか。」てな話になって、バスツアーのカタログ6月号を出してきた。分厚い中身をパラパラと見ると、5千円程度のバスツアーから豪華客船のクルージングまで盛り沢山である。婆さんの感化で、小生まで旅行が億劫な性格になってしまった。しかし国内旅行ぐらいはもう少し経験してみるか。

一瞬そんな気持ちになりかかったが、今月は前立腺の入院検査もあり、来週はその予備受診もしなければならない。梅雨明けが早ければ、気持ちは山に向かってしまい、国内旅行は又忘れてしまうだろう。

2013年6月5日水曜日

国家の豊かさ 人生の豊かさ

段々浮世離れしてきているようで、考えることが普通でなくなっている感じがしないでもない。特に今日の日記は若い人には決して受け入れられないかも。青年時代は誰しも高い志をもって努力をするのだから、その結果で徐々に収入も増えていく。昨日のサッカーワールドカップアジア地区予選で終了間際に同点ゴールを蹴りこんだ本田選手は、若い時から世界の一流プレーヤー、そして年収40億円を目指して頑張っているとのこと。その意気や善しだ。

スポーツの世界には同じように溌剌とした若者が大勢いるのは誠に喜ばしいし、どんな分野においても殆どの若者たちが同じように頑張っているいると信じたい。そのパワーの結集が日本の未来を豊かにしていくのだろう。この場合の「豊か」だがこれを経済学的に言った場合「経済力」とか「国内総生産」或いは「景気」の向上にそのまま繋がるかどうかはイマイチよく分からない。直結しないまでも、その活力が必要条件であることは経済学を全く知らない小生でも十分理解できる。

このことに水を差すつもりはないが、一方において好むと好まざるとは無関係な事実として、少子化の影響で日本の人口は減り続けている。老人が増える一方で生産年齢層の若者が減り続けている現実は変更のしようがない。どんなに逆立ちしようと、今から予測できる2050年までのトレンドは、2005年に8400万人であった生産年齢層は2050年に約3500万人減って5000万人弱になる。これは現実的なことだから善悪の問題ではないし、悲観すべきことでもないだろう。

どこの家庭でも自分の子孫を考えれば当たり前の話で、当面の心配は自分の墓をどうするかぐらいで、子や孫くらいは盆や彼岸にどこに会いに来てくれるか想像しながら茶飲み話をする家も多かろう。少なくと我が家もそうである。我が家は娘二人が他家に嫁いでいて、息子がいないので、孫世代に地上どこかに己の記憶が残っているかさえ怪しい。そんなことを悩んでも仕方がないし、子や孫がどこかで平和に暮らしていければ十分であり、あれこれ心配するのは年寄りの要らぬお世話で、彼らの力できっとそうなるに違いない。

むしろ心配なのは墓に入るまでのことだ。本田選手たちとは大違いの我が子や孫は、親に似てと言おうか、経済的にも決して豊かでないごく普通な人間である。従ってこちらも、出来るだけ子や孫の世話にならずにあの世に旅立ちたい。その第一は何と言っても健康を損ねないこと。第二に経済的には支給される年金の範囲で暮らすべく安上りの生活を目指すこと。両方とも難しい課題だが、年寄りにもそれなりの志があってもいいだろう。

その志に沿って考え、実践を心掛けるのは単衣に無駄を省き余計なことをしないことに尽きる。現実は意に沿っていないことも多々あるが、それでもかなり身辺を整理して、嘗て所持していたものを処分して余計なことを考えないよう努力はしている。多分同輩の友人達が考えるのも似たようなことではなかろうか。

今朝の報道によると、今日、安倍総理が10年後の年収を150万円アップする政策を発表するそうだ。勿論また根拠のない与太話のようなものではあろうけど、成熟している国家のリーダーとして何故もっと真面目に「豊かさ」について思いを致すことが出来ぬのか?国家といえども、嘗ての栄光時代に一旦所有した無駄を省くことが、如何に全体の「豊かさ」を増すことに繋がるか。出来もない年収アップを口にする前に、深く考えてもらいたいものだ。

2013年6月4日火曜日

無理筋でないことを祈る

囲碁をしていてしょっちゅう思うことに「勝手読み」がある。囲碁は相手と一手ずつ交互に石を置いていくゲームである。盤面はご承知の通り1尺前後の板に縦横19本の線が引かれているだけのこと。これまで置いた石は動かせないから、敵味方双方の配置は隠しようがない。自分に手番が回った時、石を置く前に、その次の相手の1手を想像しなければならない。ところが往々にして自分の想像と全く異なる位置に石を置かれて「ア、」と言っても時すでに遅しで、その場で「投了」(試合放棄)なんてことが小生クラスの笊碁ではよくあることだ。

問題は着手する前の想像力の問題である。要するに己に都合よく考えて考えてしまうので「勝手読み」と言われている。これが続く限り碁は強くならない。「下手な考え休むに似たり」なんてことも言われているくらいで、勝手読みするくらいなら、「第一感で思い浮かんだ着手を選ぶ方が益し」と教えてもらったことがあるくらいだ。もう一つ重要なのは「欲ボケしない」こと。囲碁は「地の取りあいゲーム」一寸説明が難しいが、相手に何も与えずとは言わないまでも、圧倒的に得しそうな着手は「無理筋」と言って、実力に大差が無い限り碌な結果を生まない。

世の中には「勝手読み」や「無理筋」を押し通そうする人の何と多いことか。黒田日銀総裁の読みも「勝手読み」でないこと祈りたい。囲碁の格言には無いが、子供の頃使った「いろはかるた」に「無理が通れば道理が引っ込む」なんて札があったことを想いだしてしまった。一寸不吉な感じだな。

2013年6月3日月曜日

原発セールス、現代の怪談かも

暇だからUouTubeの映像なんぞもゆっくり見ることが出来る。先週金曜日の31日に京都大学原子炉実験所において、同所の助教の小出裕章氏と、生活の党代表の小沢一郎氏による対談が行われたことを偶然に知って、1時間ほどの映像をゆっくり見た。小出氏の話は以前からよく知られていることなので、人によっては小出氏が小沢氏側の宣伝に利用されたと非難する向きもある。そのことは否定できないかもしれないが、小沢氏と同じ程度の知識しか持ち合わせない小生には、認識を新たにすることが出来たので有益であった。

小沢氏が京都まで足を運んで、辞を低くして小出氏の言葉に耳を傾けたことは、悪意にとらず素直に認めてやりたい。
http://www.youtube.com/watch?v=lkVyQrT7sUU
時間がある方には是非ご覧いただきたい。

福島第1原発の事故が収束したと考える人は、収束宣言をした野田内閣の閣僚を含め日本には一人もいないと思う。この対談を聞く限り、今後10年やそこらではとても収束の段階にを迎えることは困難そうで、暗澹たる思いにならざるを得ない。例えば、一つの燃料プールに保管されている使用済み燃料棒には広島原発1万発相当の放射性物質が溜まっていること。プールは建屋の上の方に設置されているので、非常に不安定な状態で空中に浮いてことになっているのだそうだ。

次の震度6クラスの地震が来て、燃料棒が露出すると広島原発1万発分の放射性物質の拡散に繋がる。因みに、今回の事故の爆発で拡散された放射性物質は原発約170個分。何とかその前に燃料棒の取り出しが終わってほしいと願う小出氏に対し、小沢氏が作業のスピードアップを図ることは出来ないかと質問している。東電がどのような形で作業員を確保しているかオープンになっていないが、猛烈な被曝環境の中でのことなので、スピードアップはほぼ不可能みたいだ。

仮にその作業を何年か掛けてやりおおせても、メルトダウンしている原子炉内の燃料棒の取り出しは不可能らしい。結局はチェルノブイリ同様、巨大な石棺をもって発電所を覆うしか手は無いだろう。チェルの事故は原発1基だけであったが、ソ連はこれを石棺で封じ込めるのに60万とも80万人とも言われる軍隊を動員したらしい。福1は4号機を別にしても3基ある。チェルの事故は1986年、約30年経過した現在、石棺の劣化が問題になり、更なる石棺が検討されているようだ。

収束していないと認識しつつもいろんな意味で風化しつつある原発事故。しかし政府関係者はある程度の実態を知っているだろう。でありながら原発再稼働やその技術を海外にまで売り歩く意図は何なんだろう?政治家は救いようがないとしても、一連のことを無批判に垂れ流すマスコミの姿勢が問題ではないか。まともな神経をもってすれば怪談話を聞くような恐ろしさ、幽鬼を目にするような凄まじさに慄くばかりである。

2013年6月2日日曜日

露出はAKB並みでも?

梅雨空が戻ると予報が言っていたが、相変わらずの五月晴れだ。久し振りに書店を覗いたが、結局買いたくなるような本が見つからなかった。昼飯の後少し昼寝をして、今朝放送されたフジテレビの「新報道2001」を漫然と見たが、興味を引くようなネタは何もない。出演者は自民党中谷元(元防衛庁長官)民主党前原誠司(元外務大臣)三宅邦彦(元外務省官僚)榊原英輔
(元大蔵省財務官)朱 建栄(上海出身、東洋学園大学教授)野村修也(弁護士、中央大学法科大学院教授)

期せずしてほぼ全員の意見の一致したのが、最近よく聞く「中国包囲網」安倍政権の外交政策を指してマスコミがよく使っている。中国の存在は大きすぎて、日本なんかに中国を包囲できる筈もあるまい。たまたま、政権発足直後の総理の発言が余りに右傾化しすぎていたので、向こうが警戒して会おうとしていないだけのこと。総理も軌道修正しているから、参議院選の終了後に本当に考えを変えていることが確認されれば、首脳会談も可能になるだろう。

そうこうしているうちに、双方が国柄の違いを乗り越えて歩み寄り、米中関係が強固になっていくと、日本が米中双方から益々軽んぜられることになりかねない。中谷氏は黙って聞いていたが、与党寄りの論客とされる三宅氏からも発言があった。兎に角今週行われる米中首脳会談を政府関係者は固唾を呑んで見守っていると言うことらしい。参議院選は経済政策1本に絞り、憲法改正やら東アジア外交等ヤバそうなものには全て蓋をして乗り切る戦略の安倍政権だそうだ。

一体彼らの考える経済政策とは何なんだろう?株価を操作して株高を計り、原発を再稼働させたり外国に売り込んでハッピーになる国民がはたしてどれほどいるのか?あと2か月一寸株価を維持できれば参議院選勝利、10月には来年4月からの消費税アップもOK?消費税アップは全て社会福祉財源とし、年金を安定させる約束ではなかったか?何故年金支給額が減額されることになるのか?

アフリカ大陸に50以上の国があるとは知らなかったし、これらの国にばら撒くお金がどこから湧いてくるか知らぬが、これがどのような意味を持つか、納得できる国民がどのくらいいるか?分からぬことだらけだが、ご本人達もひょっとして分かっていないのではと心配にもなってくる。地震は予知できないと改めて教えて頂かなくても分かっているよ。オクラホマの竜巻は1ヵ月も経たないうちに再襲来があって、2度被災している。

明日にでも311並みの大地震が駿河湾や若狭湾で発生したらどうなるだろう?安倍総理、茂木経産、石原環境の3大臣の顔を思い浮かべると、未だ菅、海江田、細野3大臣の方が益しに思えてくるから不思議なものだ。総理は芸能人と違うのだから、テレビの露出が多ければいいと言うものではあるまい。済と言ったら経済を真面目に考えてもらわないと困る。

2013年6月1日土曜日

趣味の山歩き

先週の週末は山に行っていたので2週間ぶりにプールに行った。水泳をしてからいつものストレッチまがいをしたが、片足ずつ膝をたたんで上体をそらすと、いつもと大分感じが違う。未だ大腿部の筋肉が突っ張っている。正座の姿勢から上体をそらして頭を簡単に床に着けている他人が羨ましくて仕方がない。もともと身体が固いが、復元力の無さも年相応か或いはそれ以下か。どちらにしろ己の身体について思い知らされる。でも今回は腰を痛めなかっただけでも良しとしよう。

先週顔を見なかったからだろう、「山にでもいらしたのですか?」と声を掛けてくれた常連さんがいた。昨日今日の天気の良さからすれば、この週末も山に出かけても不思議はない。今朝婆さんもそんなような発言をしていたが、とてもじゃないが山は1か月に1度がいいとこだろう。パソコンの中に「山行録」と銘打ったエクセルファイルがあり、2004年9月20日以来の記録を残している。今年9月で10年になる。時々スキーに行ったりしているのも記録しているので正確に山行きだけではないが、101回になった。

大凡月1回のペースだったことが分かる。山頂に達せず途中で引き返した山もあるが、1回の山行きで複数の山を歩く場合もあるので、登った峰は数だけで言えば優に100を超えてしまった。子供の頃には好きだった山遊びだが、64歳を過ぎてから再びこんなに熱中?したとは、我ながらちょっと不思議な気もする。今のところ余り人様に迷惑もかけずに済んでいるが、体力の劣化を考えると、そういつまでもそれで済むとは考えられない。急にやめる必要もないだろうが、ペースダウンしながらもう少し楽しむつもりだ。

山の楽しみはいろいろあるが、小生の場合は何と言っても山頂からの景色を眺めるのが一番だろう。従ってお天気の良い日に登るのが必須の条件となる。名山と言われていながらも天気に恵まれなかったので印象が薄い山もあるし、知る人は少ないだろうが、いつも天気を見極めて登る故郷の飯縄山は、小生にとって名山中の名山となる。もう一つの楽しみは、山では見知らぬ者同士がすぐ親しくなること、山の頂で、或いは山小屋で交わす会話の和やかさ。これが又何とも言えない心の安らぎに繋がるのだが。

困ったことに、これが又未知の山への好奇心を掻き立ててしまうことだ。思うに、10年近く山歩きを続けてしまった大きな要因のようだ。