2013年3月31日日曜日

花見をすれば景気が良くなるのか?

桜が咲いているのに真冬のような寒い日になってしまった。却って花の寿命が1日2日長持ちすることになるだろう。大学を卒業して以来50年、曲がりなりにも事務所を構えて机上にパソコンを置き、毎日自宅から通いパソコンに戯れる。過去1年は収入が無くなったとはいえ、今日まで現役のビジネスマンの真似事が出来たことは我ながら驚かざるを得ない。

改めて思うことは時代に恵まれたの一言に尽きる。今日も通り抜けてきたのだが、書店には如何にも素人向けに思える経済関係の本が沢山並んでいる。曰く、「今の時代をどう見るか」「これから景気はどうなるか」「デフレを克服すには」等々。そして必ず物色している客も立っているのが面白い。今にして思うと、小生その手の本を何冊か買ってしまったのが悔やまれる。ところが何故か今日に限って、目から鱗が落ちた感じがした。

何冊読んでも理解できない経済のこと、理解しようと思ったのが間違いだった。複雑に人間が絡み合う中で生じるお金のやり取り、こんなものに法則なんかある訳がないと最初から決めておけば悩まずに済んだろうに。例えあるにしても、それが自分の経済活動にあてはまるかどうか、本を読んで会社の経営や仕事に成功するなら、誰も苦労は要らない。著者には済まないが、半分は競馬の予想屋と同じじゃないか。中には成功した人が体験をベースにして書いている本もある。それを参考にして成功する人がいたら、著者は困るのではないだろうか。

恐らく今後はこの手の本を手にすることはないだろう。洒落のつもりでビジネス経験を少し書いてみる気になった。半世紀前に入社した会社は今でも立派に存在している広告会社である。入社25年で退社したので、退社以来また25年経った勘定になる。正確ではないかもしれぬが、退職した頃がピークで、現在は人数的にも恐らく半分くらいに縮小していると思う。それでも生きているだけましで、広告業界も激しく変わり、現役時代に隆々たる勢いだったライバル会社も沢山消滅している。

メディアの側も同様で、最大最強であった新聞はテレビに抜かれ、そのテレビも収益性に於いて昔年の面影は無さそうだ。雑誌も勿論例外には非ず、発行部数も広告も縮小している筈。代わりにパソコンや携帯端末の普及で新しいメディアが登場して、新しい宣伝広告スタイルが誕生しているのも事実。しかし、その産業に吸収された人口と、旧メディアの没落で職を失った人口を比較すると、推測の域を出ないが後者の方が多いのではないだろうか。

我々の世代を支えてくれたスポンサー業界を思っても随分な様変わりである。自動車はそれでも健闘しているが、国内市場では大した利益が出ないと仄聞した記憶がある。新聞テレビの広告スペースは変わらなくても、小父さんには意味不明のゲームはまだしも、パチンコからサラ金ではなくローンか、訳の分からぬ広告が大手を振っている。経験から判断する限り、日本国内ではもう大きな需要を喚起するようなものは無いようである。

おまけに既に人口が減っていく一方であるのも歴然たる事実。国民の多くがお腹一杯なら、無理して景気を良くする必要がどこにあるのだろう?第一、何をしても需要が無いのだから、国内景気が良くなる筈がなかろう。実体のない経済活動から遊離したバブルを発生させたり、払いたくない税金を無理に集めて、不要な工事をして人工的構造物を増やせば、それだけメンテが必要となって労働者の吸収が出来るような理論には全くついて行けない。国内はデフレでも茹で蛙でもいいではないか。若い人は外国に行って稼ぐことを真剣に考えればいい。

2013年3月30日土曜日

新旧政権の根本思想ベクトル

前回の総選挙が昨年暮れの12月16日だから、実質的には自公が政権に返り咲いて既に3か月は経ったことになる。今のところ新政権は衆議院の圧倒的多数を背景に、政権運営は何事も順調で国民生活にも大変良い影響を及ぼしているような報道が目白押しだ。反面輸入品コストの上昇で新年度から値上げを予定するものが多く、一般消費者には所得の上昇以前に生活費の上昇が来ると警戒する気持ちが否めない家庭が多いだろう。

我が家は年金生活なので、最初からどこまで行っても所得の上昇はあり得ないが、子供たちのように働き手がいる家庭が喜ぶ話を早く聞きたいと思っている。しかし実際のところは、我々の周辺におこぼれが回ってくるのは相当先のことになりそうだ。だからと言って、報道される景気の良い人や会社の話を妬むのは慎むべきと自戒しているつもりではいる。近い将来日本全体に景気動向の恩恵が及ぶことを楽しみとしながら、少し過去と未来を考えてみた。

最近政治関係のテレビワイドショーを見ていると、政権側の出演者は次のような断じ方をする場合が多い。「景気動向や外交関係でも最近良くなっていることについては過去3年3か月の前政権の間違いを糺した結果で、良い結果に繋がらないことは全て前政権の失政が尾を引いている。」小生も民主党議員を応援したが、前政権は如何にも素人集団でご粗末であったことは多々あったのだろう。現状を見ても官僚との阿吽の呼吸と言うか操縦術では前政権と雲泥の差がありそうだ。ましてや勝てば官軍だから、出演者個人を槍玉に挙げるつもりもない。

但し、番組の全体的トーンが前政権の方向をほゞ全否定するような最近の報道姿勢については疑問を感じている。結構尽くしの報道に余念のないメディアからすると「社会における前向きなことを好んで取り上げてどこが悪い?」と開き直られるだろうし、取材対象個々の扱い方もなかなか文句をつけるのは難しいかもしれぬ。しかし前政権の3年3か月とはなんだったのだろう。馬鹿な小生だけではなく、多くの国民の支持で成立した政権であったことも事実であり、心ならずかどうかは知らぬがメディアも一時はヨイショした時もあった筈。

一番の問題は、前政権の目指した方向と現政権の目指す方向性の違いにある。 前者の政策全てを肯定的に論じないまでも、前者が多様化している社会の中で、つい見落とされがちな社会的弱者に比較的寄り添う努力をしていたことなどについては忘れないようにしてもらいたい。報道の全体的トーンとして、「メディアの中立性」について掘り下げることを期待して言いたいのである。

新政権の方向性が当然とは言え極端に正反対のベクトルになりつつあることを危惧するのである。よく人からコンクリートへと揶揄されるが、もっと基本的なところに問題があるように思う。安倍総理にはあるべき国の形、あるべき家庭像、あるべき働く人の理想像がある。個人的な思いとして否定はしないが、これが国家の政策の骨組みとなると一体どうなるのか?理想に近い家庭も企業も個人もそういるものではない。その辺のところをメディアと識者にはじっくり検証して報道に臨んでもらいたい。

2013年3月29日金曜日

キリギリス・シルバーエイジの侘しさ

仕事をしていれば年度末は何かと忙しくするのだろうが、仕事も無いので何となく張り合いが無い。年度末も新年度も関係なく、淡々と1日が過ぎていくとはこういうことかと一抹の寂しさが湧いてくる。仕事をしている時は、遊ぶ時間が欲しくて休日があんなに待ち遠しかったのに、時間が出来て好きなだけ遊べるようになると、特にしたい事が無い。これは困ったことである。
現役を退いてから大学に入学し直して、かねて関心を持っていた郷土の歴史を学び、卒論まで仕上げた友人もいる。

放送大学の口座を熱心に薦めてくれる友人もいる。歴史の研究にしても、不得意であった科学分野を改めて勉強するのもそれなりに面白そうだし、興味が全く無いわけではないが、今更新しい知識を吸収するのも面倒だし。過去半年ほどはネット囲碁を毎日のようにしてみたが、こんなことを毎日続けてどうするのだとの反省もある。時間が潰れればいいと言うものでもなかろう。かといってガードマンとか列車の清掃とかシルバー向けの仕事も沢山あるだろうが、そんなことにチャレンジするほどの意欲も無い。

人生を意欲的に捉えている友人の多くは、60歳代の早いうちに第1ステージのお金稼ぎから第2ステージである趣味への没頭に路線を切り替え楽しくやっている。最近はこれらの友人たちを敬意を以て眺めるのみで、自分としては何をしていいか判断つかない中途半端な今日この頃である。反省してみると、第1ステージできちんと経済基盤を築くことが出来なかった。キリギリスの喩えで、今後の経済基盤を年金に頼らざるを得なくなった報いだろう。

二つ目としては、若い頃から遊びについても中途半端なことばかりで、本当の趣味らしいものを何も身に付けることが出来なかったこともあろう。孫たちに「よく遊び、よく学べ」と偉そうに言うが、省みて己を見れば反面教師そのものだと気が付いた。

2013年3月28日木曜日

本物であってほしいアベノミクス

長女の婿殿の勤務先が1部上場の半導体大手ルネサスエレクトロニクス。小生には難しいことは分からないが、立派な会社だと思う。婿殿は理系でもともとNECに在籍していたマイコンディザイナー、半導体業界再編に伴い自動的に新会社のルネサスに移籍となった。今日の報道では、ルネサスは今年夏の賞与はゼロで、昨年7月から実施している月給の7.5%削減についても、4月から1年間延長する、と出ている。娘は昨日も孫を連れて我が家に来てくれていたが、婿殿の収入に関しては一言も話には出さず、機嫌よく昼からビールを飲んでいた。

しかし、娘には何も言わないのだろうが、婿殿の心中は察するに余りある。能天気な娘に心配を掛けまいと遣り繰りをしながら、自らの小遣を減らし続けているに違いない。内容は詳らかでないがアベノミクスとやらで日本中の景気が良くなり、そこそこの企業は夏のボーナスを弾むと報道されても、非常に限定的な話であろうとは思っていたが。身内にこんな窮状に追いやられている者がいると、本当にこの政策の延長上に日本の幸せが来るのかどうか心配になってくる。

同時にこれも今日のニュースで知ったが、2040年には我が国の高齢化率(65歳以上の人口比率)が30%を超すだろうとのことである。これからは労働生産年齢、いわゆる働き手がどんどん減り、年金に頼らざるを得ない老人が急速に増えていくことは明々白々なわけである。道路を作り続けても車に乗る人口が減ってくることは決まっている。なのに「国土強靭化のために公共投資を増やし、一方でマネーを供給して流動性を高める。」政策が、本当に必要なことなのか、或いは狙い通り広く国民に恩恵をもたらす効果が出るのだろうか?疑問が湧いてくるばかりである。

日銀新総裁が言う2年後になって例え効果が上がらなくても、ズルズルとお金を刷り続けて3年後なり4年後に効果が出始めれば良しとしよう。しかし逆に財政赤字などのマイナス効果で、国力がますます低下するなんて事態になったらどうするつもりだろうか。政権は選挙で信を問うのが責任の取り方だと澄ましておられる。柔道連盟の幹部が責任を問われて、取り敢えずは第3者委員会にお任せとしている、と逃げるのとは訳が違う。極端に言えば柔道連盟のことなんかこちらには全く関係ない。

アベノミクスは訳が分からなくても、デフレ退治なるものが出来なくても、我が身内たちの生活にも直接良い影響を及ぼしてくれそうなので大いに期待しているのだ。是非期待を裏切らないでほしい。

2013年3月27日水曜日

鼻持ちならぬか、内輪の自慢

次女の長男が高校入試に合格した報告を兼ねて、母親と一緒に我々祖父母を訪れてくれた。進学する都立三田高校は今の梅ヶ丘中学からは2人だけとのこと。併せて長女と幼稚園年少組から来月年中に進級する孫も来たので、1日賑やかなことになった。特に高校進学を果たした孫は1年数か月ぶりでの面会だったので、その成長ぶりは驚くばかりだ。先ず身体がでかい。身長が182㎝もあり、以前見たときとは見違えるように肉がついて逞しくなっている。

鴨居の遥か上に頭が出るの、鴨居に頭をぶつける心配はなさそうだ。顔つきも声もすっかり大人びているが、実に優しい。幼稚園児の従弟が手を引っ張って連れまわし、遊び相手として離さない。小さい頃からガキ大将と聞いていたが、そんな気配は全く感じられない。むしろ友達の面倒見なんかもいいらしく、PTAで次女がよそのお母さんから礼を言われたリしたそうで、狐につままれたような気がする。

女の子にももててよさそうだが、その気配も感じさせない。カモフラージュしているとすれば大した演技力だろう。卒業にあたって後輩や同期だった女の子から、身に着けていたものを譲ってくれなんて話も一切なかったとのこと。長女は、私の時は大変な申し込みだったと自慢している。長女が甥に女友達について話を振ったら、すかさず「高校にもお母さん程の美人はいないから安心だよ。」と返す。この辺の呼吸がこの子の持ち味で、将来漫才師にでもなりはしないかと少し心配したくなった。

次女はこれで一安心かと思うとそうでもない。来年また次男が高校受験、大人はああでもないこうでもないと勝手な憶測をしているが、どうなることやら。今日来た長男は3年生の春にレギュラーメンバーだったバスケ部を退部して、自ら勉強すると宣言して受験に備えたとのこと。次男は同じバスケ部だが、完全に補欠の球拾いらしい。早く辞めさせればいいじゃないかと傍では言うが、本人は辞めるつもりは全くないらしい。

彼が何を考えているか全く分からないが、大人が思うように子供は考えない証拠だ。小生は子供の将来についてアドバイスしたり、リードしたことが全くない。責任放棄もいいとこで、何もかも家内に任せきりだった。次女の家庭では旦那さんも真剣に子供ことを見守ってくれているのも有難いし、今日聞くと、次女自身がPTAの役員をしており、先日校長先生に意見を述べたとのこと。

1年前、4月から幼稚園に通う孫のおしめを外せるかどうか、自分の名前をうまく言えるかどうかと心配していたのもまるで夢のようだ。従兄弟同士の孫が小生の部屋で仲良く遊んでいるのを見て、天の恩寵を感じてしまった。

2013年3月26日火曜日

学生時代

もう1か月以上前になるが、来週月曜日の4月1日慶應義塾大学の入学式に招待された。案内文には次のような文言が並んでいる。「・・・・さて、義塾では、大学入学式に卒業五十年の節目をお迎えになられた塾員の皆様をお招きして、新たに社中の一員となる塾生諸君を祝福して頂くことにしております。・・・・」式が15時から始まるので14時半までに入場してほしいそうだ。

実は自分の卒業式に出席しなかったので、今回は出席の返事を出した。同級生からも連絡が来て、式の後で日比谷の帝国ホテルの地下にある三田倶楽部で同窓会もするからこっちにも出席してくれとのこと。勿論同意した。今頃になってやっと式の大切さに気付くのもどうかと思うが、後悔先に立たずで、情けないが大成しない凡人のなすことは大抵こんなものだ。こんな事から書き始めたのは場所が東横線日吉にあるので思いついたからだ。

学生時代、普通の学部は日吉に2年通うが、何故か文学部だけは1年しか通わず、2年生から三田校舎に行くことになっていた。日吉の校舎も懐かしいだろうが、小生の最寄駅千川から日吉まで副都心線1本で行けることになったので、この電車に乗って見たかった意味も若干ある。学生時代に通っていた当時は新宿の西口から青梅街道沿いに歩いて6,7分の柏木1丁目に住んでいた。

青梅街道は既に地下鉄丸ノ内線の工事が始まり、夜掘り返しのためは度々通行止めがあった。今や副都心となって高層ビルが立ち並ぶが、当時の新宿西口には淀橋浄水場が大きく構えていたので、駅周辺は猥雑なマーケットがあったものの人通りも少なく日が落ちればかなり暗くなって、駅前の広場の端に街娼のタバコの火がぼんやり見える風情だった。

新宿から山手線に乗り渋谷で東横線に乗り換えるので、学校帰りには友人と渋谷で遊ぶこともままあった。映画を見たり恋文横丁でラーメンを食ったり10円ずし屋に入ったり、時にはパチンコ屋や矢場に入ったりしたもした。そうだ、宇田川町には「テネシー」なんてジャズ喫茶もあった。ここで歌っていた平尾昌晃が慶応の学生と聞いて「へえー」と思ったことも記憶している。

いずれにせよ信州から出てきたばかりなので、自分では相当都会人のつもりだったが聞くもの見るもの皆物珍しく、東京出身のスマートな同級生にいろんなことを教わった。最近はめったに食べないが、同じラーメンでも塩バタラーメンなんてものも初めて食ったのが渋谷だった。何れにしても渋谷もかなりかなりごちゃごちゃした街だった印象が強い。道玄坂でパチンコをしていた時のこと、学生帽をかぶっていたわけでもないのに、後ろから声を掛けられた。「おー、学生さんか、安藤組だ、球を少し貰うぜ。」

同時に横から手が伸び、皿から一掴みの玉が掬い上げられた。多分若いあんちゃんだったような気がするが、怖くて顔も碌にみることが出来ずにすくんだままだった。当時のカルチャーショック、今となればすべてが懐かしい。今でも渋谷は歓楽街の筈、でも来週月曜日は直通電車だから下車する必要もないし、しようとも思わない。

2013年3月25日月曜日

そんなに簡単ではない再就職

今年はえらく早くから陽気が良くなって桜が例年になく咲いてしまった。我が家は全く関係ないのが癪だが、景気も大分良くなっていると言われ、先週末から景気の良い花見の宴会があちこちで始まったと報じられている。嘘か本当か分からないが、花見の弁当やデパートなんかの売れ行きも高級シフトで大分伸びているらしいし、銀座の飲み屋さえ景気向上の影響で客が増えているそうな。

昔からどんなに景気が悪かろうと銀座の飲み屋に客が絶えたためしがない筈だ。いつの世でもあぶく銭を掴む層はあるし、その層が散財する為に存在する街だから、そんなところにインタビューに行く報道機関のセンスは推して知るべしだろう。それでも土曜日は池袋西口あたりで花見をしたり、大道芸人のマジックショーに感激して、前に置かれたシルクハットに率先して貴重な100円玉を投げ込んでしまった。

ところが今日はお天気が一転、冬の寒さに舞い戻ってしまった。昨日クリーニング屋さんで冬物を山のように持ち込んでいた人がいたが、あの人たちはきっと後悔しているだろう。景気は気分のものとも言われるが、持っている株が上がったり、夏にボーナスをはずむよと言われたりしていい気分になっている人たちの気持ちがどこまで継続するか、政治家の先生には期待を裏切らないように頑張ってねとしか言いようがない。

聞くところでは来月から、法律で日本の会社は定年を65歳に延長しなくてはいけないらしい。一寸聞くと現役世代には喜ばしく聞こえるが、実態はそんなに甘いものではないようだ。個人的な持論であるが、現役時代に本当に仕事に打ち込める年齢は35歳から45歳の10年間と思っている。純粋の肉体は既に下り坂だろうが、肉体と精神の双方が相当タフなストレスに耐えられる年代であると経験上知っているつもりである。

この期間の仕事の成果が45歳以降管理職の道を拓くの訳だが、その路線に乗ると緊張感が途絶えるせいか、本当の仕事が出来なくなると思っている。当然のことながら、50歳も過ぎると部下からはウザイ親父と見られても仕方がない。既に我々現役時にも部付部長などと言って訳の分からぬ管理職まがいが出現していた。今のように人件費をぎりぎりまで絞ろうとすると、管理職になったは良いが、数年で給料が下がり始め、60歳になったら会社に残ってもいいけど給料は半分よ、てなことになるのだろう。

個人的な経験で言えば、現役サラリーマン生活25年目47歳で自主退社をした。正直次の就職先が見つかったのは運がいい方だったと思う。50歳過ぎての離職となれば多分どこも雇ってくれなかったに違いない。47歳であったから次の就職先を聞かれ「タクシードライバーかガードマンでもします。」なんて悪態もつけたが、後1,2年遅ければどうなったか。考えるにゾッとする。景気が良くなろうとどうなろうと中高年サラリーマンにとって再就職は厄介な問題である筈だ。

2013年3月24日日曜日

老化のスピード

土日は朝一番で9時半から水泳をすると決めているが、プールでこの時刻に毎週顔を合わせる人は大体決まっている。そのうちの一人で。2歳年下の人がここ2週間か3週間、回数的には4回か5回だと思うが顔を見なかった。どうしたのかなと気にしていたら、こちらが上がる準備でミスとサウナルームに居たら「お早うございます」と入ってきた。普通であればほぼ同じくらいの時間運動して、上がるのも大抵同じだったので名前は知らぬが、よく話をしていた。

彼は確か独身で近くのマンションに一人住まい、毎日プールに通っていると聞いていた。どうしたのか聞くと、数週間前に上がりのシャワーを浴びている時に気持ちが悪くなって、脱衣室で倒れ込んでしまったらしい。救急車を呼ぶほどではなかったようだが、医者に行って風邪と診断されたのでしばらく休んでいたのだそうだ。確かに顔色が余り良くない。小生も若い人から時々言われるが「大事にしてあまり無理なさらないように」と声を掛けて先に出た。

リタイアして毎日プールに来ている人はもう一人知っている。こちらの方は多分74歳、2年前まで税理士の仕事をしていたそうだ。顔を合わせるのは土曜日だけだが、月曜日から週に6日通うのを日課にしているとのこと。やはり時々話をするが、現役時代は隔日で通っていたそうだが、リタイアしたので週6にしたとのことで、こちらは体調が格段に良くなったとのこと。血圧だったか血糖値の薬を毎日飲んでいたが、もう飲まなくともよくなっているらしい。

彼は泳ぐ時間が長い(しかも平泳ぎで多分1500メートルぐらい泳いでいるみたいだ)が水中歩行やプールサイドでのストレッチは一切しない。風邪を引いた方は泳ぎがクロールで精々300~500メートル、水中歩行とストレッチをかなり念入りにしている。小生はその中間で、水泳クロールで1000メートル、歩行500メートル、ストレッチ30分(合計1時間20分)と決めている。土曜日は私を含めて爺様3人がそれぞれのやり方で運動をしているので傍から見ているとおかしいだろう。

規則正しい運動、特に水泳や歩行は身体に善いに決まっているが、それでも人間の身体はそんなに簡単に健康維持が出来るものでないことがミスとサウナでの会話で改めてよく分かったような気がする。休養の取り方が相当問題だろう。自分は毎日プールに通う訳ではないが、風邪なんぞはしょっちゅう引いている。今日もそうだが、土日に水泳の後で囲碁をすると必ずと言っていいくらい成績が悪い。疲労感が無いように思っていても脳の働きが相当悪いみたいだ。

運動と休養のバランスを保つのは容易ではない。特にこれからは運動も適度にペースダウンした方が善いと思っているが、その方法も問題の一つだ。ミスとサウナの彼はピンピンころりと逝きたいと言ったので適当に相槌は打ったが、実際はそうではない。これまで十分元気にやって来た、ここから先は彼のように余り頑張らず、緩やかに老化していきたいのが本音だ。

2013年3月23日土曜日

中国の個人的な見方

先日中国関連の本を読んだことから中国のことと言うか、中国と日本の関係について何となく気になっている。昨日は財界の中国訪問団が帰国し、米倉経団連会長が記者会見の中で、李源潮国家副主席と会談できて、中国側は、尖閣諸島をめぐる対立は両国にとっての不利益として、話し合いによる解決に前向きな姿勢を示したと報告している。この訪中団の計画も昨年予定されていたのだが、尖閣の問題発生で取りやめになっていた。

規模も大分縮小されたようだが、それでも今度の全人代で大抜擢と言われている李源潮国家副主席と会えたのは結構なことだ。新政権でもこれをきっかけに関係改善への努力されることを願ってやまない。安倍さんもオバマ氏から「あまり尖がったことは言わない方がいいよ」と釘を刺されたことでもあるようだし、これを機会に少し歴史を勉強してみたらいい。

中国は実に不思議な国である。何度も書くが小生のようにものを知らなければ勉強もしたことの無い者にとっては、とても計り知れないほど複雑で懐が深すぎる。現在の中国、即ち中華人民共和国は1948年に出来た国家だ。少なくとも小生より若い。当然ながら日中戦争で戦った相手ではない。しかし多くの軍人が捕虜になったり処刑されたりしている筈だ。このこと一つでも我が子や孫の世代になれば、もっと分かり難くなるだろう。

であれば我が国が戦ったのは誰か?「中華民国」であり、その少し前にあった戦争は日清戦争と呼ばれ、対戦相手は「清国」である。この3か国が全て中国ではあるが、単に政権が代わったので国名が変わったなんて単純なものではない。それぞれ支配する地域も異なるだろうし、中華民国は中華人民共和国勢力に国を追われても、台湾に本拠を移して現在でも政権を維持している。若い人は「台湾」なる国が存在していると思っている人も多いだろう。この台湾の政治体制について同時に書くとなると混乱するので、書いていることは中華人民共和国に絞らせてもらう。

この中国だが最近非常に事故やトラブルが多い。ニュースを聞いて気の毒になるくらいだ。昨日も建築中のビルが倒壊して8人死亡と報道されている。しかし経済的にはアメリカに次いで世界第2位で、その存在感は世界何処の国でも無視できないのも事実。政治体制や社会構造も日本人には凄く分かり難い筈である。社会資本主義と俗に言われても何のことか分かりはしない。日本にも中国人いっぱいいるので、そこから「中国人は」なんて言っても誰のことを言っているの?てなものだろう。

でも大抵の場合日本人が「中国人は」と言うと上から目線の場合が圧倒的だろう。それは知る範囲のことで話しているのだから仕方ないとしよう。しかし、北京の政権トップに存在する権力者たち、数千人か数万人か分からないが、彼らの識見、洞察力、指導力が、残念ではあるが我が国の政権トップに位置する人たちをはるかに凌駕しているように思えてならない。これは現在形作られている権力構造が、非凡な人間しか登れない構造になっているせいである。詳しく述べる力ないが、軽くてパーの奴がトップにはなれない構造になっていることは小生にも断言できる。

小生が知るごく僅かな中国人でも日本人と決定的に異なる点一つを上げると、彼らは揃って字が綺麗である。今の日本の政治家の字の下手なこと、他人のことを言えた義理ではないが本当に恥ずかしい。国家として中国の政治行動を知ろうとする時、香港返還の経緯を分析する必要がありそうだ。香港がイギリスに99年租借として割譲されたのは「清国」時代のこと。中華民国も共産党が政権を握っても満期が来るまで、これを人質にしたような言動は一切なかったらしい。

2013年3月22日金曜日

高校同窓会学年幹事

昨日だったか、来月からすることが無くて困ったみたいことを書いたばかり。多分このブログを読んでくれている高校同期生から、心中を察して同情してくれたのであろう。早速昨夜お声が掛かって、東京長高会(首都圏在住同窓生の会)幹事会に誘って頂いた。どうせ暇だろうからとて学年幹事役に取り立てて頂けるそうだ。母校は既に創立100年を超える長野県きっての名門校、我々は昭和34年卒業の高校11期生と呼ばれている。県立中学が高校になったのは昭和23年だが、当時は長野北高と称していたので、長中、北高卒業者と区別して高校××期生とカウントしている。

昭和34年から数えるとこの3月は54年目なので、今春は高校65期生が卒業している筈である。1期ごとに学年幹事が1人ずつでも相当な数の出席者がいてもいいのだが、残念なことに30人足らずだった。それも圧倒的に年寄りばかりで、若い人は殆どいない。飛びぬけて一番若い人が高校45期だから推して知るべしである。出席者一人一人が自己紹介を兼ねて簡単な挨拶をした。皆さん一様に総会参加者が減っていることを嘆いておられる。小生もここ数十年皆勤賞ものだが同様の実感は持っていた。

どうもいろいろ聞くと、メールなんかの発達で、各学年とも同期の会は結構集まりが良いみたいである。ところが同窓会総会に参加しない理由は、一つに若い人がメリットを感じないことらしい。1期か2期後輩の方のお話では、嘗て我々の時代は、総会に出席すると、あらゆる社会で活躍している多くの先輩会ってコネ付けすることが出来た。それが実社会で非常に有益だったとのこと。小生はとてもそんな大それたことは考えもしなかったが、同感を表明した人が多いことからも実際にそうだったのだろう。

確かに昔は現役で活躍している先輩の参加者も多かったし、我々常連は現役時代から参加している。残念ながら後輩を引き立てる相談に与ったことは一度も無いが。30年間に比べて参加者が3割ぐらいに落ち込み老人クラブのようになっているのが東京長高会の現状であるのは間違いない。ここ数年は高校33回と言うから約50歳の幹事長が一生懸命引っ張る努力をして下さっている。確か山梨大学のの教授と伺っているので、このために東京に出てくるだけでも大変だと思う。

同窓会総会の現状を見るに、確かに年次を超えた歓談はそう多く見ることはない。しかし、ここ数年続いている同窓生による講演は非常に意味深いようにも思う。これを若い人にとってもより魅力的なものしていく方法があるかもしれない。ともあれ、蟷螂の斧でも何かお役にたてればと思うが、同窓会を立て直すのも容易ではなさそうだ。

*東京長高会は来月から東京長高金鵄会に改称します

2013年3月21日木曜日

読後感「おどろきの中国」 橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真二

先月20日に発売され、今日までにいろんな場所で頻繁に書評が上がるし、書店では平積みが続いているから好評な売れ行きなんだろう。3人の社会学者による中国の観方を鼎談で纏めている。現在我が国から中国を見るといろんな問題を抱えているし、個人的にも中国には親しみを覚えていたが、毒入り餃子から始まって最近の環境汚染の状況を知るにつけ、2度と中国旅行をする気が失せてしまった。世論調査をすると、中国を嫌いとする人が8割に達しているようだ。

私はもう旅行はしないだろうというだけで、別に中国や中国人が嫌いと言うことではない。ただ広大な国土と我が国の10倍以上の人口を考えると分かり難い国であるのも事実。その解明の一助になればとの思いもあった。著者3人が社会学の先生でもあり、橋爪さんは特に中国研究についてのスペシャリスト、夫人が中国人で中国関係の著書もあるとのこと。この本の執筆に当たっては橋爪夫妻のアレンジで約1か月3人で中国各地を取材旅行をしている。

この本の冒頭にも記されているが、成程我々現代の日本人は非常に近い国でありながら、中国のことを知っているようで知らない。明治維新までの知識人は、逆に世界のことを中国経由で情報を吸収していたので、現代人と比較にならない程中国を知っていたし、知ろうと努力もしていた事だろう。さて本の中身であるが、普通の見聞録とは異なり、互いに学者の知識を前提にしてのことだから少し読むのが大変かもしれない。日中間の歴史だけに留まらず、明治維新以降の国際情勢を含む世界の文明史や宗教問題についてもある程度分かっていることを前提に話が展開される。

勿論多くの知識を持ち合わせない小生にとしては、読破に時間がかかったのもやむを得ない。しかし、鼎談の中身は非常に濃く、現代の日中間の問題が何に起因するかがぼんやり分かった思いである。そもそも中国は「国家」なのかと言うことから論議が始まっている。確かに歴史的には多民族国家として2千数百年又は4千年と言われる歴史を持っているが、現在の北京政府がずっと続いていたわけではない。ごく当たり前のことだが、これとて我が国と比較して考えてみれば不思議なことだ。

唯一歴史を貫いている事柄は漢字を用いていることに尽きるかもしれない。余計なことだが確かに我が国も中国の辺境の一部であった時代も否定はできない。結局3人の偉い先生が議論を交わしても、中国を一言で括ることは出来なかった。だが、中国人の行動様式や中国政府の態度については、かなり理解できる解説をしてもらえた。日中関係の行き違いについても見解が述べられているが、どうも日本側の歴史認識が、囲碁で言うところの「勝手読み」になっているようにも感じてしまう。

石原慎太郎氏に読ませたいとの書評もあったが、どうしようもない年寄りではなくて、若い人にぜひ薦めたい。

2013年3月20日水曜日

昼と夜の長さが同じになる日

天気が悪くなるとの報でハイキングを諦めたが、結局昼間は雨が降らなかった。少し損をしたような気がしないでもないが、たまに終日のんびりするのもいいものだ。婆さんがご先祖へのご挨拶で実家に出かけたので、一人で近所の桜を見ながらお散歩。先週末から季節が焦ったように早くなっている。この分では来月8日からの週で入学式の学校では桜散ってしまっていることになりそうだ。

3月も未だ10日以上あるのだが、代表を退いてはいるが丁度10年前に立ち上げたマイカンパニーも、昨日、唯一のクライアントと請負業務契約の終了について合意文書を交わした。2年前に代表を代わってもらった青年にはクライアントとの間で何もトラブルもなく、円満に業務を終了してもらったことに心底感謝してお礼を言いたい。同時にこの10年間、このど素人を支えてくれた大勢の若いスタッフにも同様である。

あぁ、やっとか、え、もうかは分からぬが、振り返れば10年である。若かったスタッフももう子供さんが小学生になっている。自分だけ年を取らない筈もない。ある意味で一つの区切りはつけた。問題はこれから何をするかであるが、少し休みながら考えるのがよさそうだ。

2013年3月19日火曜日

「南海トラフ」て何のこと?

暑さ寒さと言うものの、春の暖かさを通り越して暑いくらいの陽気になった。明日ハイキングにでも出かけようとも思ったが、どうも明日は天気が降り坂のようなので、無理はしないでゆっくりする。只でさえ鼻水やくしゃみが出て様子がおかしい。しかも明後日は今日より気温が10℃以上下がるらしい。寒さは苦手だが、明後日の夜は19時から銀座で高校同窓会幹事会への出席を引き受けてしまった。体調管理が難しいが、もう一息の辛抱だろう。

今日の朝刊トップ記事は「内閣府発表、東海沖から九州沖の「南海トラフ」でマグニチュード9クラスの巨大地震が発生した場合、経済的な被害は最悪で約220兆円に上るとする作業部会の試算を公表」である。これってどういう意味なんだろう?誰かが試算をするのは勝手だろうが、こんなことは殆ど小松左京のような小説家にでも任せておけばいいことではないか。

我が国では1995年の阪神淡路や一昨年の東北を引き合いに出すまでもなく、数年に一度の割合で大震災に見舞われている。もちろん日本海側であれ信越国境の山中であれ震災を経験しない、震災の恐れが全くない地方なんか無いといっても過言ではなかろう。何で東海沖から九州沖と限定して特筆大書するのか。内閣が国民に防災を呼びかけるのであれば、何故もっと素直な形で言えないのか不思議でならない。

少し前にも書いたが、地震発生のメカニズムはこれだけ科学が進歩しても明確ではなく、地震予知は不可能が世界の常識であるらしい。たまたま我が国の地震学会には偉い人がいるらしく、もう少しで予知が可能になりそうな素振りで、毎年結構な予算を税金から受け取る仕組みが出来上がっていると仄聞している。似たような例は他にも沢山あるのだろうから、そんなことをいちいち文句を言うつもりはない。

只内閣府が大々的に発表して、マスコミがそれを垂れ流す真意が、政府与党がぶち上げている国土強靭化の提灯持ちだけとすれば笑って済ましていいものだろうか。しかも昨日の担当大臣の説明では、原発は被災しない前提での試算とのことであった。現在国民の大多数が抱く不安の一つが原発への不安だろう。ここに隕石が落ちたら、テロで電源を切られたら、地震や津波が来たらどうする気なの?タイミングよくとは言いたかないが、昨日は福島第一原発で電源が落ちてしまったとのこと。

原因すら明確になっていない。こっちの方こそメディアは真剣に追及してもらいたい。巨大地震はいつか必ず発生するし、起これば悲惨な結果になることぐらい庶民は十分学習している。それに備えが必要なことも分かるが、無い袖は振れないので諦めているだけのことだ。関東大震災60年周期説も最近はとんと聞かなくなった。南海トラフなる説がいつから出てきたか忘れたが、100年に一度であれ1000年に一度であれ、何時でも何処でも起きる可能性があるのが地震だろうに。

2013年3月18日月曜日

お国自慢

たまたま今朝のこと、高校同期生のメーリングリストで友人の一人が「長野県が男女とも長寿日本一になったとのことご同慶の至りです。」と送信。それを受けて別の友人がフォローして、長野県が全国1位になっている事象が他にも沢山あることを教えてくれた。老人医療費が断トツで低いこととか高齢者就業率が高いことを知ると、忸怩たる思いも無いではないが、長野県出身の老人として出身地の名を汚さないように頑張ることにしたい。

二人の友人が示してくれた長野県が全国1位は実に沢山あって、それをなぞって読んでいくと、我が故郷が如何に自然に恵まれ風光明媚、且つ県民の勤勉性と人情の豊かさが実証された思いで気分がいい。これも知る人が多いと思うが、長野県には古くから(多分100年くらいは前のことだろう)県歌
「信濃の国」があり、国歌斉唱が行われない学校があるかもしれないが、県下の小学校で式典の際にこれを斉唱しない学校は無い筈だ。

小学校入学が昭和22年だったが、いの一番であったかは兎も角、この「信濃の国」を覚え、高校を卒業する昭和34年までの間何度歌った事だろう。東京に出てからも、故郷で結婚式があると出席者全員で歌う事が間々あるし、現在でも高校の同窓会では必ず斉唱することになっている。多分他の高校同窓会でも同じような事ではなかろうか。意味も分からず経文のように覚えた歌詞も、最近はやっと意味を理解できるようになった。

100年以上前から自然は大きく変わろう筈もないし、人々は勤勉だったのだろう。歌詞にはもちろん謳われていないが、裏を返せば昔から貧しい国であったに違いない。しかしプライドは高く、志を高く持って生きるのが信濃の国人と解釈している。思えば郷関を出て早半世紀以上が経つ。一時の帰郷ではなく、再び郷里に帰るのは墓場に納まる日になると思うが、やせ我慢の精神だけを頼りに江戸で頑張りたい。

長野県歌 「信濃の国」の1番の歌詞は下記の通り。貧乏人のやせ我慢が丸出しで楽しい限りだ。

信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
聳(そび)ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し
松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃(ひよく)の地
海こそなけれ物さわに 万(よろ)ず足らわぬ事ぞなき

2013年3月17日日曜日

経済:何が正解かは判断できないが

昨日のブログで安倍総理が唱える「努力した者が報われる社会」に対する漠たる不安を書いたばかり。偶然ではあるが、今朝恒例にしているTBSの「時事放談」を見ると経済学者の浜野矩子氏と自民党政調副会長の塩崎恭久氏が出演していた。この対談を聞いていると、漠たる不安が現実にならいとも限らない。浜さんはうちの婆さんが大ファンで、小生もおっかねえ顔の割に面白いことを言うおばさんだとは思っていた。うちの婆さんの親近感は経済のことより趣味の大量飲酒で繋がっているのかもしれない。

彼女の執筆した本を未だ1冊も読んでいないので詳しくはないが、雑誌への投稿やテレビ番組では度々見ているのである程度のことは知っている。特に印象に残っているのは、昨年円高が進行している最中に「円が対ドル50円くらいになることを覚悟すべき」との論陣を張り、新書も出版していることは知っていた。今日書店で探してみたが見当たらなかったので近いうちに図書館ででも読んでみたい。今朝のテレビを見て思ったのは、TBSがよくこんな発言を許したと感心するほどアベノミクスをケチョンケチョンに批判していること。

ネットで調べると今月5日にもBSフジの「プライムニュース」にも出演して同様の発言をしているので、マスメディアの中では許容の範囲と言うことなんだろう。今日の対談相手の塩崎氏は第1次安倍内閣の官房長官で安倍氏とはもっとも仲の良いお友達とされた人だが、何故か今の内閣では冷遇されている。日銀の出身でもあり、生まれも育ちも良さそうな見てくれではあるが、数か月前の文藝春秋では気の弱いところが災いしたように書かれていた。


今日は日銀総裁人事も話題になったが、塩崎氏が黒田氏をよく知っているとしてべた褒めに対し、浜さんは「日銀の役目は通貨の番人であり、政府の出先機関ではない。」と正に一刀両断で切り捨てていた。他にもいろいろあって、彼女がこれほどまで安倍総理の経済政策に対して批判的であるのを知らなかったので、非常に新鮮に感じた。彼女が謂わんとしている根本は、経済成長によって多くの問題が克服され、日本社会を良く良くなるという発想自体が間違っている。

日本は既に十分豊かになっている。謂わば育ちざかりを過ぎて成熟した社会では、ヨーロッパのように手に入れている富をどう分かち合うか、という分配の問題に焦点をあてるべき。と言っている。毎回書いているように経済の問題は誰の言うことが正しいか、判断する能力は全く持ち合わせない。しかし今日の議論は聞いていて非常にすっきりしたのは事実である。

昨日のブログを書き終わってから、あるメルマガ読んでいてやはり共感を覚えた事がある。その昔、我々が若いサラリーマン時代、我が社の社長の年収は我々の約10倍であった。新入社員の給料が年間200万円なら約2000万、300万なら3000万円としたものだった。言われてみれば確かのそれが日本社会であった時代もあった。昨日これから拝金主義社会の予感と書いたばかりだったので、非常に懐かしく思った。

2013年3月16日土曜日

努力した者が報われる社会

安倍新政権は声高らかに「日本を努力したも者が報われる社会にする」と宣言してくれた。ごく当たり前のことでどこが悪いのかと言われそうだが、このセリフどこか胡散臭く思えてならない。TPPへの参加表明にしても、そもそもTPPが如何なる目的で参加国が何を取り決めようとしているのか、一部の学者を除いて正確に理解できている日本人は殆どいないのではないか。
アメリカの参加で新たな枠組みの検討が始めってからでも既に2年も経ち、
今年の10月には最終合意に達すると言われている。

何故か知らぬがこの交渉への参加にのめり込んだのは、当時の政権党の菅総理や野田総理で、自民党はこれに強く反発していた筈である。当時の民主党内でも強い反発があり、結局党が二つに割れて空中分解するに至ってしまった。言わば曰く因縁付の縁起の悪い経済協定と見るのは小生の見方。民主党がアメリカに対してお断りした「構造改革年次要望書」を纏めて突きつけられそうな危うさを感じている。

ともあれ、協議の内容は非公開が原則だから、余程海外の情報に通じている人間でないとその意味するところを正確に理解するのは至難と言えよう。情報の提供を官僚に頼るしかない政治家や報道機関の諸氏に、すでに参加している各国の思惑が正確に理解しろと言いうのも無理かもしれない。各国と言ってもたかが9か国されど9か国で、中でもアメリカの思惑が奈辺にあるかは掴みにくいと思う。

仄聞する限りではアメリカ国内にさえ、「企業による国家の乗っ取りが画策されている」と非難する市民運動まであるようだ。その事は措くとしても、アメリカ人はお金を沢山稼ぐことを最大の善とするようである。彼等から見ると日本人は少し変わっていて、個人が大金持ちになろうとしない可笑しな国民に見えたらしい。しかしこの可笑しな国民が世界で2位の経済大国にのし上がってしまった。もちろんこれもあまり愉快ではなかったらしい。

そこで日本を第2の敗戦に追い込むため、始めた様々の手段の一つが例の年次要望書でもある。これを何をトチ狂ったのか民主党政権が受け取らないと言い出した。勿論アメリカは怒るまいか、当然の帰結が政権も政党も空中分解で、敗戦国で植民地風情が何をぬかすか、ざまーみろと言ったところだったのだろう。

安倍ちゃんも民主党が宗主国に叱られているうちは、尻馬に乗って民主党を叩いたが、いざ自分が宗主国に向き合うとなると、やはり宗主国様の言う通りにせざるを得ない。しかし民主党のように無様な姿は国民に見せられない。考えた末にひねり出したのが「努力した者が報われる」だろう。アメリカ式拝金主義で行こうではありませんかを言い換えている悲しい現実だと思う。

これからは官僚の採用に当たっても英語の資格試験(TOFEL)が採用されることになるそうだ。属国とすれば当然のことだろう。

2013年3月15日金曜日

冬が去っていく


卒業式のシーズンが始まっているのだろうか、袴姿の女性を見かけるようになった。低気圧の発生と北方からの寒気の影響で、昨日までは風が冷たい日が数日続いた。今日からは春らしい本格的な暖かさが戻るだろうとの予報だったので、アンダーシャツの上に着こんでいたチョッキを脱いで、下着とシャツとセーターの3枚にして見たが、晴れている割に結構肌寒い。それでも少しは身が軽く、心も微かに浮き立つ気分があるのは、やはり冬が去り春が近づいている証拠だろう。

何があっても季節は巡りくる。地球の回転軸が太陽に対して垂直でないことを先日弟の嫁さんに教えてもらったばかり(本当は小学校か中学校で教わっている筈だろう)。そんなことも関係してくるかどうか分からないが、南北の緯度が同じような国であれば、日本同様の四季があるのだろうか?春夏秋冬が1年をきれいに4分割している訳でもないだろうが、生活実感としてはそう感じるのが日本の良いところだ。

この生活実感と関係深いのが俳句であって、これこそ我が国固有の文化で、外国には例を見ないようだ。菜の花のお浸しを食べながら蕪村の句を思い出したりしたが、自らは句をひねる才能が全く無いのが残念である。あと1週間足らずで春分の日、この頃には東京でも桜が咲くらしい。春を色に例えると青らしいが、個人的には何となくピンクを連想してしまう。桜のイメージから来るのだろうか、何れにしても明るく軽い。

心も軽く身も軽く頭の中はもっと軽くて空っぽ同然。でも東京に住んでいてさえ感じることが出来る我が国の恵まれている天然自然や季節感だけは大事にしたいものだ。

2013年3月14日木曜日

狐につままれる思い

昨日ぶろぐを更新出来なかったので、朝一で思い付きを書く。

アメリカで大騒ぎになっていた財政の崖の期限が先月末日でタイムアウトになってしまったので、財政の崖から転落して予算の大幅縮小から深刻な経済状況が出現するのかと思っていた。ところがアメリカでは今月に入って株価が連日高騰しているそうだ。日本も似たようなもので、自公新政権の誕生で何がどう変わったかはっきりしないが、20年近く続いていたとされるデフレスパイラルから手の平を返すように脱却したように明るい報道が続いている。

そもそも経済なんてもの自体よく分からないし、我が家の家計とはいつも無縁のものでもある。だが若い娘夫婦もいることであるし、お手当が多くなることは孫の為にも結構なことだ。昨日春闘の山場と言うことで、多くの会社の労使交渉結果が発表された。残念ながら婿さんの会社は報道されていないが、殆どの会社が一時金せよ労働者側の要求に応え、お定まりの街頭インタビューではサラリーマンの喜びの声が流されている。景気が良くなることは大いに結構なことだ。

北朝鮮ではないから、まさか皆やらせとは思いたくない。景気と言うものも分かり難いが、不思議で仕方ないのは労使交渉で企業の大部分が労働者側の要求を呑んでいること。確かに円安効果で今年度決算がかなり改善される見通しが立った企業もあるだろう。しかし過去1年間の業績に関して10か月はデフレの苦境の中にあったのではないか。過去の苦しさは忘れて明るい未来を共に見直そう、てなことで手を打ったとすれば日本の経営者たちは善い人ばかりと言える。

皆明るい気分になっているのに水を注すのも如何なものだが、なにか狐につままれる思いだ。この景気の良さが長続きし、我が娘夫婦の家庭にも恩恵のおこぼれが流れてくることを願ってやまない。

2013年3月12日火曜日

つもり違い10か条



年度末が近付いてきたことでもあるし、陽気が随分良くなったので、少し事務所の中を整理しようと思い立った。普段できるだけ余計な書類はは処分するように心掛けているつもりでも、不必要な書類の多さにびっくりする一方で、今後絶対に必要になるであろう書類が見当たらない。時々こんな整理みたいことをするのだが、きっと勘違いして捨ててしまったりしているのだろう。困ったものだ。

作業の最中に1枚の紙焼き写真が出てきた。2006年6月の日付で見覚えはあるのだが、なんでこれが紙焼きになっているかが分からない。山歩きを始める準備運動のつもりで、最初に高尾山に登って写した写真である。高尾山が故郷の飯縄山に祀られた神社の分社と知ってびっくりしたのも懐かしい。
神社のお使いである烏天狗の銅像の横に掲げられた大きな額を撮った写真である。内容は以下の通り。

つもり違い10か条
1.高いつもりで低いのは「教養」
2.低いつもりで高いのは「気位」
3.深いつもりで浅いのは「知識」
4.浅いつもりで深いのは「欲」
5.厚いつもりで浅いのは「人情」
6.薄いつもりで厚いのは「面の皮」
7.強いつもりで弱いのは「根性」
8.弱いつもりで強いのは「我」
9.多いつもりで少ないのは「分別」
10.少ないつもりで多いのは「無駄」


どれもこれも思い当たることばかりである。写真は仕舞ったので再び目にすることは当分ないとだろう。捨てるものが多くて、肝心なものが見つからないのは「無駄」が多くて「分別」が少ない証拠だ。他の8項目も拳々服膺すべきなんだろうが、鶏と一緒で3歩歩くと忘れる癖がある。忘れる前に一度ブログに書いてみた。

2013年3月11日月曜日

ある市民運動

生まれてこの方市民運動とは全く無縁で、大学2年生の時の60年安保のデモにさえ一度も参加したことが無かった。首都を席巻した「安保改定反対」の熱狂的環境の中にあって、東京に在住しながら1回も国会周辺に足を運んだ経験が無い方が珍しいだろうと思っている。昨年の梅雨時分になって、友人からの誘いで、毎週金曜日の夕方総理官邸を囲んで行われた反原発デモに1度だけ行ってみた。参加者も多く、周辺は結構盛り上がっていたが、虚空に大声を張り上げるのはどうも性に合わない。

反原発の趣旨については賛同するが、デモにはついて行けず結局1回で参加を止めてしまった。昨日同じ友人からの誘いで、杉並公会堂(荻窪)で行われた『3.10「原発」国民投票大集会』に行ってきた。友人が主催者側に居るので、会場整理をボランティアで手伝ってくれとのこと。昨日もプールの休館日でもあったので、運動がてら丁度いいと、内容も十分理解しないまま気安く引き受けた。夕方6時半開場で9時までとのことで5時に集合が掛かったので、少しお腹が空いた意味はあるが善い経験だった。

前日の9日、日比谷公園で行われた0310反原発のデモが大変な盛り上がりと新聞報道で知っていたので、1000人は収容可能と推測できる杉並公会堂でも参加者を収容しきれるのだろうかと内心心配であった。ところが、会場整理の最初の仕事が、中央客席約200脚以外をテープで封鎖して使用させないようにする事であった。そして開場後は、参加者をその中央部分に順序良く詰めていく作業。何か勝手に勘違いしていたようで、結局参加者は主催者の予定通り約200名ほどだった。

後から友人に解説してもらったのだが、反原発の市民運動にもいろいろあって、勿論主催者は全部異なる。市民運動てやつはリーダーシップが難しく、指導者内部に序列が無いし、こういった事をする人は自意識と言うのだろうか、が強く、しかも妥協が無いとしたものらしい。昨日の会は単に反原発と声を上げるだけでなく、原発推進の人も巻き込んで国民投票に持って行こうとの趣旨である。この運動は一昨年3月の福1原発事故直後の5月から準備を初めて6月には組織を立ち上げ、12年度中に国会での法案成立を前提として国民投票の実施を目指したらしい。

発起人には小生でさえ名前を知っている若手の社会学者がなっている。もちろん12年度に目的が達成されることはなかったが、この1年10か月ぐらいの間、全国各地で住民投票に基づく自治体への働きかけをしてきたらしい。<詳しくはこちらを参照願いたい:http://kokumintohyo.com/>
昨日の集会は、そのめげずに頑張っているリーダーたちが全国から集う集会だった訳だ。ここに集まった人たちは「反原発」を選挙を通じて政治的に実現することは殆ど不可能と見切っている。

小生も、残念ながらその考えはある程度当たっていると思わざるを得ない。しかし、ここで提案されている国民投票の実施も、日暮れて道遠しの感が否めないのは残念なことだ。

2013年3月10日日曜日

読後感『「原発事故報告書」の真実とウソ』 塩谷喜雄著

昨年来原発事故調査委員会が政府と国会別々に設置されたことに強い違和感を覚えていた。国会の事故調については時折ネットで途中経過を見たりしていたし、分厚い報告書が出たことは知っていた。しかしその結論がどのように国会で活用されたかについては何も知らされていない。と言うより、野党が中心になって起ち上げた調査会にも拘らず、結局国会ではこの調査結果を何も生かしていないと言うことであろう。

政府が起ち上げた事故調については、政権自体が崩壊したので当然かもしれぬが、何のための調査だったかと言う意味では一緒のことである。本書によれば事故調はこの他に民間事故調と東電事故調のの二つがあり、それぞれが既に分厚い報告書を作成、公表している。著者はこの4件の報告書を完全に読破して、内容を吟味比較してみせる。著者は元日本経済新聞の科学記者だけに、素人である私にも非常に分かりやすく、考えさせられるところが多かった。

新書版で読みやすい割には内容的に多くの示唆に富む素晴らしい著作である。
4件の報告を読み比べて先ず指摘しているのは、同じ事象を分析しても全く異なる結論が引き出されていることが結構多いこと。検証の手掛かりになるべき殆どのデータ大部分の出所が、どの委員会でも東電に頼らざるを得ない事情にあったこと。東電は先日も国会事故調に対して、嘘をついてまで4号炉の立ち入り調査を拒否したことが明らかになったように、都合の悪いデータを提供していない可能性を否定できない。

この情報源の問題点は深刻で、著者は東電の無責任な企業文化を厳しく糾弾している。冒頭に4つの報告について5点満点で格付けをしているが、国会事故調が3.5、政府と民間が3.0、東電は評価すべきところはゼロで-1としているほどである。各論に於いて述べているところは、今回の事故の本当の原因がどこにあったかについてであるが、どの報告も結局断定するには至っていないし、津波が主原因とする一般的評価については、国会が事故調が書いている地震による被害を高く評価している。

しかし評価が比較的高い国会のそれでさえ、日本の原発が抱える地理的、構造的、社会的特性の問題点に踏み込んでいないことに大きな不満を持ったようだ。どの報告書も、誰それの責任と言う点については意識的に明確化することを避けている。著者にはそれも大きな不満であったに違いない。最後に章を設けて「アカデミズムとジャーナリズムの罪」を論じている。調査結果ら浮かび上がってきた菅政権と東電のやり取りの事実については認識を新たにすることが多い。メディの安易な報道姿勢についての糾弾も厳しい。

四つも報告書がありながら、今後のエネルギー政策に対して資するところが殆ど見られないことに対する苛立ちが伝わってくる。事故原因が解明されないまま原発再稼働に向かおうとしている我が国の空気に大きな警鐘を鳴らす書である。たまたま反原発の集会を手伝う日に読んだので感銘を覚えた。

2013年3月9日土曜日

志賀高原での老人スキー

東京は桜が咲きそうな陽気だが信州のスキー場も快晴の春日和だった。6日の水曜から昨日まで志賀高原でスキーを楽しんだ。昨日は滑らず、昼過ぎには帰宅したので実質1.5日だが、足腰に筋肉痛が残るくらい堪能した。6日の朝長野駅発志賀高原行のバスで小中学時代からの親友に偶然出会った。正に竹馬の友で、スキーを始めたのも彼のお陰。彼は一橋大学スキー部のキャプテンまで務めたが、こちらは競技とは無縁だった。


しかし学生時代も社会人になっても、毎年のように一緒に滑る機会を互いに作ってきたものだ。昨年の八方に一緒に行ったが、今年はもう一緒に滑れないだろうと諦めていたので本当にびっくりした。彼は丸池泊まり、こちらは一の瀬でスキー道具を借りる予定になっていたので、一旦丸池で別れ東館の山頂で2:30に出会うことにした。午後1時に一の瀬に到着、昼飯を簡単に済ませて、1時半から一ノ瀬ファミリーでスキーを開始。

一旦寺小屋から東館の麓まで降って、ゴンドラで東館山頂に登り返す。友人と再会、暫し歓談の後、二人でファミリーと寺子屋から東館ブナ平の麓まで滑って友人と別れた。彼とは子供の頃から一緒に滑っている仲なので、呼吸がぴったり、快感そのものであった。6日の夜は志賀高原の玄関口、上林温泉の住まいする弟の家で厄介になる。7日は朝9時半に蓮池で高校時代の友人たちと合流。夕方5時近くまで、それこそ丸池から見える全山のスキー場を走破。

即ち、丸池、志賀山ジャイアント、西舘、一ノ瀬ファミリー、焼額、寺子屋、東館、ブナ平の各スキーゲレンデをそれぞれ2,3本ずつ滑走。これまた年に似合わぬタフな事をしてしまった。案の定と言っては失礼だろうが、最後の最後で、友人の一人がリフトを降りる時に隣の人とスキーが絡んで転倒、膝を故障してしまった。それを見て急に怖くなって、昨日のスキーをやめてしまった次第。残った5人の友人は今日まで滑り続けた筈。敬服の他無しである。


それにしてもなんとスキー場が空いていることよ。ここで事業をしている弟のお陰でリフトは無料で乗れるので、これを言っては罰が当たるかもしれないが、事業者にとっては厳しい状況だろう。兎に角滑っている殆どが爺ばっかりでは話になるまい。大学生たちがスキーをしない理由の一つが、就職活動と関係があるらしい。まごまごすると2年生の春休みから就職活動に入る学生がいるそうだ。年寄りが嘆いても始まらないだろうが、採用する企業側の姿勢にも問題があるように感じてならない。

2013年3月5日火曜日

中国 厄介な隣国か?

歩く時に手袋を外したのは何日ぶりのことか、やっと春を思わせる日和となった。底のすり減った運動靴を買い替えたこともあって、足取りが軽く心まで軽くなる思いである。明日からは志賀高原にスキーに行くにはもってこいの天気。つい先週まで気が重かったのが嘘みたい。こういう人間をお天気屋と蔑称するのだろうが、事実だから仕方ない。明日は弟と、そして明後日には高校時代の仲間達と邂逅が楽しみだ。ブログは暫くお休みする。

ところで、今日から15日までだから10日間、5年に一度の中国の全国人民代表大会なる催しが開かれる。日本の国会かそれ以上の決定権を有する国家唯一の議会なるものらしい。向こう5年に亘る様々なことが決められるとされている。すでにお馴染みの習 近平氏が正式に国家主席に就任するのもこの大会に於いてとのことだ。1党独裁の国家に、民主主義国家の議会に似たようなこんな仕組みがあるとはつい最近まで知らなかった。

共産党の独裁国家だから中国共産党全国代表大会がまた別にあって、全人代より強大な権限を持ってはいるらしいが、こちらも5年に一度の開催。党のトップが党総書記で、習 近平氏が既に昨年11月に就任しているので問題は無さそう。知ってみると分かりやすい意味もある。我が国の政治の仕組みを見ていると、通常国会だけでも半年近くだらだらとしている。比較して中国の仕組みは向こう5年間の政治体制の骨格を僅か10日で仕上げる訳だ。

国家主席であるか党中央委員会総書記であるかは兎も角、トップが率いる我が国で言えば大臣、中国で言えば常務委員とかになるのだろうか、幕僚が何人居て、その下に繋がる組織と官僚の数は分からないが、我が国の10倍を超える人口を抱える国の統制機構が、しかも向こう5年は変更しないことを前提に、僅か10日間で固まることについては少し日本でも勉強してもいいのではないか?無駄な経費と時間のロスが民主主義のコストと言う向きもありそうだが、そんなこと言っている間に国の土台をシロアリに食い荒らされるのもいい加減にしてもらいたい。

だからと言って中国に住みたい気持ちにはならない。空気と水と土壌の汚染状況を側聞すると、とても人間の住めるところではないと思ってしまう。願わくば他の惑星であってほしいのだが、隣国となると他人事ではない。強力な指導力を以て、早期に清浄化を果たしてほしいものだ。我が国にしても半世紀ちょっと前までは似たような状態にあった事実がある。そこから脱したのもまた事実。これらの経験を生かして大いに協力したらいいではないか。

きっと我が国にも大きなビジネスチャンスが巡ってくるだろう。それにつけても我が国政権の対中姿勢は問題でないか。特に尖閣の問題に関して領有権の主張とか国益云々はいいけれど、「固有の領土」「領土問題は存在しない」で済むとは思っていないだろうね。我田引水を絵にかいたような言葉だ。知ったかぶりは書かないが、歴史を冷静に勉強してからものを言ってほしい。

2013年3月4日月曜日

半世紀ぶりのお勉強

もうこれ以上余計なことを考えたり、するのはやめようと思ったばかりで、そんな趣旨で昨日のブログを書いてしまった。なのに、先週末に中学時代の友人から下記のメールを受信してしまった。NHKの放送大学視聴のお薦めである。

<本日、H25年3月1日(金)の22時15分~23時00分
  第15回が地デジTV、122CH、放送大学(2チャンネル)
  で放送があります。 (24年度の最後の回)

   注)1CH~3CH放映あり。内2CHです。 

 ご興味ありましたら、手始めに本番組もご覧ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     第15回 まとめ---自然科学はどこまで行けるか

        「地球温暖化」と「CO2の増加」が果たして
        因果関係があるのか、反論している学者も
        あり、この様に決着がついていない事象に
        つき、「疑う」ことも科学的態度として重要。

     との趣旨を、講師の「海部 宣男」教授が、
   特に発言しています。
       <鼎談>
    星 元紀 (放送大学客員教授)
    海部宣男 (国立天文台名誉教授)
    ゲスト:大橋理枝(放送大学・准教授)
             ・・ゲスト大橋氏も中々鋭い
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>

夜中の10時過ぎから始まる番組を見る元気はとてもないが、折角のお薦めなので昨日暇に任せて録画を見てしまった。これが週末に放送されるワイドショーと言うのだろうか、訳知り顔の解説者が一言二言毒にも薬にもならない事を喋る番組より遥かに面かった。最も印象に残ったのは現代人に求めたい科学的態度。分かっていることと分からないことを知る(分かる)ことだそうだ。確かにワイドショーの連中は司会者を含め、皆全てが分かっている風情である。

番組を視聴していて、顔見知りなどが出てきて、偉そうに話をするのを見て腹が立つのはこのことだと納得した。もう1点は日本の科学者に顕著らしいが、分野が余りにも専門的に分断されている。故に専門以外の分野に口を出すことを自己抑制すること。これは原子力村だけでなく、人文分野でも同じことだろう。欧米の大学では学部時代にジェネラルサイエンスで徹底的に絞られるので、上のコースに来た時に物理学の専門家でも生物学の基礎的造詣をかなりしっかり持っているし、その逆も真である。

日常的に異分野の人間が真剣に意見の交換ができることが重要ではないか、との示唆があった。この2点にについては深い共感を覚えた。但し相対性理論とか光速度不変の原理と言われると頭が痛くなってとてもついて行けない。メールをくれた友人は来月から始まる新年度の時間割まで送ってくれている。どこまで実行できるか分からないが、棺桶に入る直前でのお勉強も有りなのかなぁ。

2013年3月3日日曜日

性格自己分析

昔から他人様からも言われるし自分でもそうだなと思っている事がある。生来の「オッチョコチョイ」「ガッテン太郎」「慌て者」。何でも思いついたらすぐにやらないと気持ちが悪い。勉強や仕事であれば褒められる場合もあるだろうが、勉強なんぞは先ず思いついたことが無いので困ってしまう。先週高校の入学試験を愛かった孫が「高校に行ったら部活はやらずに勉強をしたい」と婆さんの実家に行って婆さんの母親の前で宣言したとのことで、皆びっくりしている。

何をするにしても取り掛かりが悠長すぎるのもどうかと思うが、ある程度段取りについての見通しを立てないといけないことが少しずつ分かってきた。トゥーレイトの感無きにしもではあるが、年のせいもあるだろうが、したいと思う新しきことは殆ど無いのが実情だからだろう。数年前から携帯電話の端末が進化して携帯パソコンになっていることは何となく分かっているが、どうして興味が湧かない。ブログを毎日のように書いているのにと不思議がる友人もいるが、ネットに携帯でアクセスする気にならない。

先日友人から小生の骨董品のような携帯電話にメールが来たのでびっくりしてしまった。携帯のアドレスを教えてあるのは従妹とめがね屋だけかと思っていたので、どうやってアドレスを知ったのか心配になってしまった。しかし聞くと簡単な話で、どんな携帯にもショートメールなる機能が設定されていて、電話番号が分かれば簡単なメールが送信できるらしい。少し前だったら早速使い始めるところだろうが、こちらかショートメールを送信する気にはなりそうにない。

少し次元の違う話になってしまったので話を戻す。実は慌て者癖を意識的に治したいと思っているのである。自分の性癖を改めて考えてみた。勝手な結論だが、どうもこれは欲張りから来ているのではないか。<早くしたい>とか<沢山したい>気持ちが根底にあるからいけない。ここまで来ると、いくら急いでも、沢山したいと思っても出来ることは知れている。

これを意識しだしたせいかは少し疑問だが、お金が減り健康が劣化の一途なのに、このところ囲碁の成績が少し良くなっている。囲碁の場合は相手があるので、少し前まではどうしても相手より多くとか、スピードを上げる気持ちが出てきたものだ。ところが最近多くは望まない気持ちになる時がある、相手と五分であれば十分と思えるようになってきた。すると不思議な事に碁盤が少しずつ大きく見えてくる。囲碁を知る人にとっては当たり前のことらしいが、同じくらいの棋力の人同士の場合、一見勝ちすぎていると必ずどこかで破綻が生じている。

そんなことがやっと少しずつ分かってきたのかもしれない。このところたまたまで、地金がすぐに出るかもしれないが。兎も角あと何年健康で生きられるか分からないが、新たにしたい事は殆ど無い。遊びであれ、食いものであれ、何事も少しずつ欲張らずに時間を掛けて楽しむことを心掛けたいものだ。

2013年3月1日金曜日

原発再稼働反対

昨日国会では安倍総理の施政方針演説があったようだ。夜7時のニュースでちらりと見たが、普段成績が悪いのにたまたま運動会の駆けっこで1等賞になった悪餓鬼が、クラス会で急に偉そうに何か喋っているようで、馬鹿馬鹿しくてまともに聴く気もしない。とは言っても世論調査の結果で高い支持率が示されているのだから、6割近い国民には何を言っても許されるのだろう。

内容的にはどうせ大したことは喋っていないのだろうが、今朝の新聞報道で1点気になることがある。原子力規制委員会で安全性が確認できればとの前提をつけてはいるが、原発再稼働を臆面もなく堂々と宣言したみたいだ。アメリカさん以外には怖い者がいないみたいな調子で、アジアの諸国に無礼な言動を働くのは百歩譲っても、自国の国民が半分以上反対している事案について、かくも抜け抜けと言い放つ神経は許されるものではないだろう。

読後感を書くのがいつになるか分からないが、今、友人から借りた『銃・病原菌・鉄』を読んでいる。この著者ジャレド・ダイアモンド氏が言っていることに次のフレーズがある「文明が進むに従い、人々は危険に対して鈍感になっていく、、、。皮肉です。」著者がニューギニアに何度も調査に入って未開の地の暮らしを観察すると、彼らはジャングルの中で転んだりして骨折なんかしても医者がいない。ちょっとした怪我でも命取りになりかねないので、ジャングル内の行動が都会から行った著者の想像を超えて慎重らしい。

100回に一度あるかもしれないリスクでも、何千回も繰り返す行為であればいつかそのリスクが現実になることを明確に意識しているそうだ。言われてみると確かに文明人はリスクに対しては鈍感かもしれない。だからと言って、一旦事故が発生したら治せる医者がいないのは勿論、極めて危険な燃料の後始末さえ方法が無いとされる原発再稼働を、そう簡単に許せるものではないだろう。この本を貸してくれた友人から昼飯を誘われてご馳走になりながら、今日は久しぶりに安倍政権と原発について話をした。

彼は憲法改正の国民投票より「原発」について国民投票をすべきと主張する市民グループをボランティアで手伝っている。このグループが今月10日に杉並公会堂でアッピールの集会を企画しているので、良かったら手伝ってくれとのこと。もちろんお引き受けした。
http://kokumintohyo.com/310demonstration