2012年12月30日日曜日

振り返って

今年も実質今日で最後、明日早朝からお伊勢さん初詣のバスツアーに参加する。何十年も前から伊勢神宮初詣は東海道新幹線を利用して日帰りにしていたが、起業した会社から引退を決めた一昨年からバスツアーに切り替えた。最初の一昨年は31日の夜行日帰りで確か9千円だったと記憶する。安いのは有りがたいが、流石にきつい。昨年、31日朝出発でビジネスホテルで一泊できる1万5千円のツアーを発見して、こちらに切り替えた。

大晦日に外宮を参拝して元日内宮を参拝するのだが、今度は時間に余裕があり過ぎて、鳥羽の真珠センターや魚市場などしょうも無いところで下された挙句、鳥羽港から伊良子までフェリーに乗せられたりする。お参りを済ませ、孫どものお札など買い求めたらさっさと江戸に帰りたいのだがそうはいかない。昨年は新宿着が21時近くだった記憶する。

最も早く帰宅しても家には誰もいない。どうせ夕飯を心配するなら、サービスエリアの店が簡単でいいかもしれぬ。何れにせよ経済性(新幹線で日帰りすれば経費3万円では上がらない)を優先しているのだから、ツアーの内容に文句を言えた義理ではない。この初詣もいつまで続けるのかなぁと考えているが、今のところ決心がつかない。今回は、一番上の孫が来年高校受験なので、「よくお願いしてきてくださいよ。」と念を押されている。その伝からすれば来年はその弟ということになる。

先のことはあまり考えても仕方ない。出来ることは、何らかの理由で出来なくなるまで続ければいいのか。振り返って今年を思ってみよう。何よりも天地の神々とご先祖に感謝すべきは健康で過ごせたことだ。ひょっとすると丸1年間風邪をひかなかったようだ。医療費を詳細にチェックした訳ではないが、生まれてこの方風邪をひかなかった年は一度無い筈で、これは相当珍しい。仕事が無い代わりに健康おたくになった効果かも知れない。

これを健康と言っても、体力は順調に落ちているのを実感している。昨年も暮れに雪が多かったし寒かった。その寒さの中12月23日に三つ峠で山歩きをし、直ぐ29、30日と志賀高原でスキーをしてから、31日バスツアーで伊勢に出発している。今月寒さで家にちじこまっていたことと比べると別人の感がある。だから風邪もひかずに済んでいるのかもしれない。来年も只管健康に留意するだけで、無理をしないだけの人生としたらあまり面白くなさそうだ。

少しは楽しく面白いことをと考えましたが、相も変らぬつまらぬ話になってしまいました。来年も同様では困りますが、今のところいいアイディアはありません。にも拘らず、小生にとって唯一の楽しみであるこのブログにお付き合頂いたことを厚く御礼申し上げます。

末筆ながら、来年が皆様にとって良い年であることを願ってやみません。

2012年12月28日金曜日

たった一人での納会

今週は月曜日が休日だったことで週末が早く来てしまった。同時に世の中は御用納め、あっという間の1年間だった。昨年までは人並みに挨拶回りに行く先もあったが、今年は何もない。気楽と言えば気楽だが、世の中の動きと波長が合わないのも少しも気にしないと言えば嘘になる。仕方なしに昼飯時に一人で納会としゃれ込んだ。

現役時代は昼までに男子は挨拶回り、女子がオフィスの掃除をして寿司やサンドウィッチを買いに走り、1時前後から冷酒とビールで乾杯したものよ、と思いつつ一人淋しく和牛ステーキと赤ワインを1杯だけ飲んだ。これから毎年こんな事では味気なさすぎる。来年の暮れにはも少し賑やかになってほしいが少し贅沢かな。

本当は今年少し仕事を手伝ったNPOの友人二人と忘年会もしたかったが、今年はあれよあれよという間に御用納めになってしまった。友人二人とせめて今日の昼飯でもと誘ったが、二人とも忙しすぎて時間が取れない。今年は彼らの働きを間近に見てきたが、ある意味で驚異的である。何十年と関わってきた広告営業なるものが、如何にいい加減なものであったかを改めて思い知らされた。

NPOの目的は大学に眠っている研究成果を意欲ある企業(主に中小企業を目指しているが、稀に1部上場企業もある)に結び付けて実用化し、世に出すことにある。言うは易くしてとはこのことのようだ。世に出ず眠ったままの状態の研究成果も意欲的な企業も極言するとごまんとあることを先ず知った。しかし、実用化にのためにはフィージビリティースタディーと一口に言えば簡単に聞こえるが、企業側での更なる何重にも実証テストが必要となる。その度に開発した学者と企業側の合同検討会が行われるが、これを仕切るのが我が友人の大きな役目になる。

学者先生と企業側の拘るところが大きく異なるのは当たり前のこと。文書を保存するだけの小生には、試験結果の種類や検討会の議事録を見ても殆どチンプンカンプンである。ここを調整していくのだから体力知力共に相当ななプレッシャーの筈である。同時並行的に商品化のためには、市場分析の必要性も勿論ある。悪名高い許認可に関する役所との折衝、特許申請に関わる弁理士や弁護士との折衝も頻繁にしなくてはならない。

現在の同時並行で進行しているプロジェクトが数件あるので、友人二人は正に八面六臂の大活躍で東奔西走の1年だったと言える。しかもこの1年でNPOに入ったお金は雀の涙にもならないくらい。事業化されれば企業側からコンサル料が入ることになるが、全て成功報酬の形になっているので現時点では全て自腹である。事務局を仰せつかった小生は1銭も出していないし、むしろ代表を引退した会社に仕事を頂いてしまった。

来年は友人の努力が実り、いくつかの事業が実際に動き出しそうな気配がある。関連して小生にも新たな仕事ができる事を期待して新年を迎えよう。
相変わらず他人頼みの年の瀬だ。

2012年12月27日木曜日

正月は休みか?

サンデー毎日の人間にとって正月は休みとは言えない。しかし世の中の殆どがお休みになるので、暇つぶしを考えるのが却って面倒くさい。つい忘れてしまっていたが、もう明日で普通の会社や官庁は御用納めだ。ご用初めは5日と言う職場も多いので9連休になる人がきっと多い筈だ。関連して少し気になるのが、若い独身者のレジャー志向だ。全く大きなお世話だろうが、最近は車の運転はしない、酒は飲まない若い人が多いと聞く。給料が上がらない、上がりそうにないとなれば賢い選択かもしれれない。

それは良しとして、普段の休日もさることながら大型連休にはどんな行動をとるのか聞いてみたい。勝手に想像すれば、若くても結婚さえしていれば、二人でどこかに出かける相談になるだろう。まして子供もいれば(核家族であればなおさら)祖父さん祖母さんのところに里帰り行動が日本人の必然ようだ。最近はお父さんの実家にお母さんの実家と丁寧に廻る家族も多いようで、これには大型連休は最適だし、連休が経済をある程度活性化させる筈。

働き盛りの若い夫婦にとって、里帰りの経費は馬鹿にならない。祖父母はこんな時こそ溜め込んだ中から、若い夫婦にたんまりお小遣いを渡すべきだ。
問題は独身の若い人たち、いくら不景気だからと言っても、この間ずっと家でテレビを見続ける訳にもいかず、さりとて余りお金がかかることはしたくないと困っている人はどうするのがベストか?少なからずの人数だと思うが、テレビのコメンテータではないので適切な答えなりアドバイスは何もない。

思うに小生も諸般の事情があって、独身の若者と似たようなものだ。辛うじて大晦日から元日はお伊勢参りをし、2日に土産を家内の実家にご挨拶に伺う。お陰で3日間は潰せるが、年のせいかスキーに出かける気にもならない。残りの6日間は相も変らぬネット碁でもして過ごすしか考えられない。全く脳が無い話だ。現代の若い人にはきっと、我々の時代とは異なる安くて楽しい遊びがあるのかもしれぬ。教えてほしいものだ。

2012年12月26日水曜日

報道姿勢 何年経っても

このブログに態々1項を設けてマスコミ批判めいた事を書き綴っている。それは現代のマスメディアが社会の木鐸精神を忘れ、あまりに無責任無節操な報道をしているとの思いからである。ところが昨日たまたま昭和25年の文藝春秋新年号に掲載された豊田副武氏の手記を読む機会があった。豊田氏とは先の大戦終戦時(昭和20年)に帝国海軍の指揮命令系統トップである軍令部総長という地位にあった人である。

余談になるが、当時の陸軍のトップは阿南惟幾氏で彼は終戦当日に割腹自殺を遂げている。対するに開戦責任については罪が重いとされる海軍のトップ豊田氏は、極東裁判では戦犯容疑者として一旦逮捕されながらも無罪となっている。この辺の事情はまるきりの子供みたい存在であった小生には計りかねるので措くことにしたい。終戦に関する限り、敗戦已む無しの情報をいち早くゲットした海軍の方が、何となく要領よく立ち回った感が無いでもない。

豊田氏が連合艦隊司令長官から軍令部総長に就任したのは昭和20年5月29日、明らかに終戦工作向け人事である(と自ら書いている)。6月6日から天皇臨席のもと軍と政府のトップによって構成される「最高戦争指導会議」に出席。ここから実際の終戦8月15日迄、延々2か月半に亘る小田原評定が長引いた。その間に日本が被った損害を思うと慙愧に堪えない。己の組織を優先して国家国民を二の次に見た当時の指導者については言いたいことは山ほどある。しかし今日の趣旨とは違うのでここも省略しよう。

書きたいと思ったのは当時のマスメディアのことである。具体的には終戦を勧告してきたポツダム宣言についてだ。連合国側は、これを昭和20年7月26日に発表した。同時にアメリカのダレス国務長官が、スイスの駐在武官宛てに正式な申し入れを行っている。これを受けて日本で開かれた28日の最高戦争指導会議が、これを「黙殺」と決定。当日に鈴木総理の記者会見が開かれて、その趣旨の決定があったことを発表している。

当時の新聞まで確認してこなかったが、多分ポツダム宣言については書かなかったか、書いても政府発表の通り「こんなものは黙殺すべし」と書いたに違いない。マスコミは開戦以来大本営発表に沿って戦争報道を行い、国民を戦争に煽り立ててきたのも全くどうかと思う。これに百歩譲ったとしても、20年の7月の時点であった連合軍の勧告について、「政府が黙殺」と発表した時に誰一人質問すらしなかったのだろうか?

記者会見で政府批判は出来ないにしても、質問はできるだろう。「黙殺がどのような結果を招来すると予測しているのか?」位は聞いても罰は当たるまい。28日の時点で何らかのアクションが起こされていればあの原爆は?と考えても詮無いこと。現代は当時に比べれば言論の自由がかなり保証されている筈。「アベノミクス」と怪しげな言葉が踊るが、報道は殆ど権力にすり寄っている。総理記者会見でこれについて疑問を呈する記者が出ないのが不思議でならない。

2012年12月25日火曜日

クリスマス

今日はキリスト教のお祭りクリスマス。死んだら葬ってもらう墓が決まっている上に、娘たちの結婚式を神前にて行った小生からすると、世界最大か2番目の一神教の教祖様のお誕生日を人並みに言祝いで、ケーキでも食わせてもらえば有難いが、普段から甘いものを食い過ぎとて食わせてもらえなかった。残念なり。

キリスト様と娘と婿を契らせてもらった神様のどちらが偉いか、比較しても仕方ないかもしれないが、神様の方はお名前を忘れてしまった。娘は二人だが各々別の神社のお世話になっている。異教徒である小生が名前はおろか誕生日まで知っているのだからキリスト様の方が偉いのかもしれない。でも偉すぎて神頼みは何となくし難いし、してもご利益が薄いような気がする。

幼少の頃より何回となく、己の努力が足りないところを神様仏様にお縋りして凌いできたので、神社仏閣には祀られている主を知らずとも手を合わせたり柏手を打ってきた。でもキリスト教の教会があるからと言って、結婚式や葬式の用も無いのに扉をくぐった事はない。恐らく大方の日本人は皆同じだろう。

その罪滅ぼしで年に一度だけ、聖歌を聞いて祈る格好をつけていると考えれば辻褄が合いそうだ。善いか悪いかは別として、日本人の宗教心は本当にいい加減で無節操と言われても仕方ない。しかしその割には日本人がとりわけ野蛮かと言えばそうでもない。アメリカのように何億丁とも言われる銃が国内に氾濫する文明国の方が余程物騒で野蛮に思われる。

最近は少し乱れてきているとの指摘もあるが、日本人の礼儀の正しさ、丁寧な言葉遣い、公私のけじめ、他人への思いやり、自然に対する恐れ等々。宗教心がいい加減と指摘されても、宗教心があるとされるキリスト教徒やイスラム教徒に何一つ引けを取らないと思う。

ただ一つだけ少し問題かと思うことがある。我が同胞は、神様仏様を友人知人と同列に捉えるところがあることは多くの識者が指摘しているし、小生にもそれは否定できない。故に重要な意思決定をする時、どうしても他人の意見と目線が気になってしまう。常に己が宇宙でたった一人の絶対神と直接契約して繋がっていると思えば、もっと強い意志を発揮できるかもしれぬ。

残念ながらこちらは典型的日本人だ。

2012年12月24日月曜日

足るを知る

来週発足する自公政権の経済政策が非常に危なっかしいものであることは多くの人が指摘している。新しい与党内には多数の人材がいるのだから、中にはブレーキを踏む人も居るはずだが、組閣早々に10兆円規模の補正予算を組むことは間違いなさそうだ。口先ではばら撒きはしないと言いながらも、実際に予算を編成するのは官僚そのもの。実態的には彼らに予算を大盤振る舞いするのだから、一種のばら撒きとしか言いようがない。

受けて立つ官僚は待ってましたとばかりに己の田に水を引くことだけ考えることになる。この結果思わぬところで商売にありつく企業が出るのは当たり前。それをもって景気が良くなったとするならこんな楽な経済対策は他にない、誰にでもできることだろう。これはテレビインタビューに答えた市井の一老人の言葉である。只でさえ年間百兆円に膨れ上がっている政府予算を何の必要があってさらに膨張させねばならぬか。

入ってくる税の見込みがないまま徒に借金を増やす、現在の予算でも既に20兆円を超す費用が借金の利払いに充てられている事くらい小生でも知っている。借金を重ねるのは馬鹿な極道息子と相場が決まっていたが、これからは富山県警の警部補でもあるまいに、親父が借金をしまくると家族に向かって宣言しているようなものだ。とどのつまりに殺人を犯して自殺を図るなんて事態にならぬようご注意申し上げたい。

以前も少し書いたが、昭和20年第30年代と多くのご同輩同様貧乏な生活を体験しているせいか、年金暮らしになって諸事倹約するようになった現在でも、自分の生活に対する不満は全くない。現役時代に可能だったことも手元不如意になったら、しないで済むだけの話。その結果今までお付き合い頂いた方々から多少疎んぜられようと、そういう年齢に達したからと諦めればいいだけだ。しないで済むとはものぐさ太郎には有り難い話でもある。

この3連休はゆっくり寝ていたので小生は見ることが出来なかったが家内が、昨日の早朝5時から始まるNHK「演芸図鑑」の対談ゲストとして出演した作家の山本一力氏が良い事を言ったとのこと。即ち、日本人は昔から「足るを知る」価値観をとても大事にしてきた筈だが、最近この価値観が非常に薄れたと言うか忘れられている。聞いて尤もなことだと思う。

我が家のことはさて置き、この日本で新たに借金を増やしてまで手当をしなければならないこととは一体なんだろう?家にあるものを大事に使うように、国でも暫くは新しいものは道路やダムに限らず、一切作らない覚悟を決めると何か不都合があるのだろうか?

2012年12月23日日曜日

天皇誕生日

どこの家にも国旗は掲揚されていないが、今日は天皇誕生日の祝日。皇居には祝賀の人が大勢詰めかけているらしい。皆さん日の丸の小旗を持っていらっしゃるが、ご家庭の門前にも国旗を掲揚していらっしゃるのだろうか?アメリカあたりに行くと、なんでもない日にあちこちに星条旗が掲げられているのを目にする。あれも最初は不思議に思ったが、考えてみれば幼い頃からアメリカ人であることを意識させるには有効かもしれない。

幼稚園、小学校から大学は勿論、公共的な建物では毎日国旗を掲揚すれば善いと思う。しかし、なまじ文科省なんて役所があるので、却って学校ではやり難くそうだ。天皇の存在と役割については憲法で規定されているが、多くの国民はその内容を知らず、一人天皇陛下だけがそれを深く理解され、忠実にその役割を果たされていると聞く。察するに陛下には私人としての時間が殆ど無きに等しいのではないか。

満79歳になられた陛下は今年心臓の手術を受けられているし、身体も相当弱っていて不思議はない。周りの者どもも公務を少し減らすことを進言しているようではあるが、陛下はもう暫くこのまま公務を続けると仰っているようだ。直接存じ上げているのは昭和天皇と今上天皇のお二方だけだが、我が国の天皇陛下は、俗な言葉で言うと少し真面目すぎるかもしれない。

2670年以上の長年に亘り日本を作った神の代理人として、国家の祭祀を司っている自覚の成せることではあろう。だから拝むだけでも有難がる人が多いのだ。この雰囲気は日本人のDNAに埋め込まれた独特の宗教観から湧いているのだろうから否定しても始まらない。誕生日を寿ぐ気持ちは勿論あるが、お身体を大事にして頂きたい。憲法に摂政の規定がどのように書かれているか知らぬが、身体をいたわる意味からも皇太子に地位を譲られてはと思ってしまう。

論点が少し飛躍するが、天皇と皇室については様々な議論が絶えない。中には首相公選で総理を元首になんて意見もあるらしい。ここ20年くらいの首相を思い浮かべるとゾッとしないので、「何をぬかすか、この不逞者め!」と一刀両したくなる気持ちもあるが、天皇サイドから見るとこいつらも赤子の一人。無視はできぬ意見だろう。個人的には天皇陛下には京都にお帰り頂き、少し政府と距離を取られた方がいいとも思っている。

天皇制についての議論は結構だし、小生歴史は詳しくない。ただ思いはたった一つ、1945年の終戦で日本の独立が守られたのは、日本に天皇の存在があったればこそだ。これからどんな国難が襲ってくるか分からない。その時のためと言ってはあまりに恐れ多いかもしれないが、陛下と皇室の弥栄を祈念。

2012年12月22日土曜日

一陽来復

昨日は冬至、夕食前にゆず湯で暖まり、夕食では婿さんの実家から戴いた南瓜で作った自家製パンプキンスープを美味しく食べた。サラダもゆずの皮が入っていて非常に香ばしかった。風呂の中で黄色いゆずと皮がむけた白いゆずが混じっていたので不思議に思っていたら、皮を食用にするために意図的にしたのだそうだ。皮を剥いて冷凍保存するといろいろな料理に役立つらしい。

更に昨日は、少し仕事を手伝っているNPOでも極細やかながら年内に一定の仕事のけじめがつきそうとの報告があった。内容的には喜ぶには程遠いが、それでもけじめが着くだけでも善いではないかと思っている。タイトルに使ったように冬至は陰の極でどん底を意味したらしい。太陽暦の現在では冬はこれからだが、陽が数秒ずつ長くなるのだから少しは明るい気持ちなろうと思っている。

NPOの仕事も、来年は少しずつ社会に認められるようになることを期待したいし、そうなるだろうと思っている。それにしても昔の人はうまいことを言うものだ。太陽が再び戻ってくる日を意味するのだろうが、教養が無い小生はてっきり「来福」だとばかり思っていた。当然多くのお馬鹿さん達が小生のように考えることを前提に言葉を作ってくれたに違いない。

それに引き換え昨今の政治家の語彙のご粗末さだ。ここ数日何度も聞かされている「政府と日銀でアコードを結んで」とは一体何のことだろう?テレビでは「政策協定」とテロップを出してくれるが、だったらそう言えば良いではないか。余程後ろめたいので、昔あった車の名前なんかを持ち出して誤魔化そうとしているとしか思えない。日銀サイドの白川総裁も意気地がなさすぎる。中央銀行の独自性も矜持もあったものでない。サッサと白旗を掲げている様子で、こっちも見苦しい。

序でに言えば、過度の謙譲は傲慢に通ずと言うがこれもその通りだ。自民党の石破幹事長、二言目には「我々は民主党と異なり、野党の皆さんの声に謙虚に耳を傾け・・・・」と枕詞を使う。本当に謙虚な人が己のことを謙虚になんて言うか。細い目でしかも三白眼も珍しいが、喋る時に両手を前に出して妙に長い小指をひけらかされると気持ちが悪くなる人がいるみたいだ。

自分のことを棚に上げ、他人をけなす芸風も困ったものだ。折角の一陽来復を契機に芸風を変えることが出来ればいいのだが。雨も上がって陽が差してきた。カレンダーなどを差し替えることにしよう。

2012年12月21日金曜日

師走の三連休

普通の人にとっては一番忙しいと思われるこの時期に明日から3連休が入る。自分自身は関係ないとはいえ、周りで忙しく働いている人にとっては迷惑な話だろう。こういった事を法制化するのはどこの役所だろう?旧労働省か内閣府のどこかか、或いは総務省か、いずれも余りしっくりこないからどこか他の役所かも知れない。昭和天皇の誕生日は未だに昭和の日と称して祝日だし、大正節は無いが明治節も生き残って文化の日となっている。

現天皇が崩御されると12月23日は一体どんな扱いになるのだろう?こと祝祭日については担当部局がどこにせよ国会の認証が必要な筈だ。この決められ方を見る限り、如何に国会の審議が無原則でいい加減かが分かる。たかが祝祭日だからどうでもいいかもしれないが、少なくとも国民の目線に立った原則が無いのは明らかだ。今回の総選挙で自民党総裁や維新の石原代表は憲法改正を口にしている。

元々口先ばかり滑っているお二人だから目くじら立てても仕方ないかもしれないが、ひょっとすると駒が出てしまうかもしれない。自民党の草案なんて読んだことは無いが、ネットで見ると室井佑月さんなる女性タレント兼作家(逆かな)がかなり心配してくれている。一部引用させて頂くと・・・以下

>よくよく草案を読んでみると、憲法の第12条と、第13条と、第29条は、もともと使われていた「公共の福祉」という言葉が、「公益及び公の秩序」に変わっているのだった。ちなみに、第12条は人権保障についてで、第13条は人間の尊重について、第29条は財産権について。
 「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」では、どう違うのか? あたしの解釈だけど、「公共の福祉」とは、集団で生きている中の道徳みたいなことじゃない? でも、「公益」とは国の利益のことだし、「秩序」とは道徳より厳しい、罰則もあり得る決まりのような気がする。
 自民党は国の権限を大きくし、そこに生きる人々のことは軽少にしていきたいってことなのね。そうそう、憲法第18条の、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」も削除したみたいだし。<

こちらは現憲法すら知らないのだからどうでもいいと言えばそれまでだが、5月3日の憲法記念日なる祝祭日はどうなるか、つまらぬことが気になってしまう。そもそも日本人の大部分が本心から目出度いと思う価値は一体なんだろう?150年ほど前までは盆と正月で、国旗こそ掲揚しなかったろうが国をあげて仕事を休み家族でご馳走か白米を食べたのではないだろうか。

現代は一方で景気拡大を叫んで企業の利益の拡大を図りながら、他方で労働者の賃金は低くなる一方のようだ。更には物価を意図的に上げるような政策を取りたいと言う。どこか核心がずれているような気がしてならない。


2012年12月20日木曜日

爽やか忘年会

昨夜は下町の鳥越神社近くのおかず横丁にある居酒屋でご馳走になった。夜台東区まで飲みに出かけるなんて何年振りのことだろう。その昔は下町情緒満点で夜も賑やかだったに違いないと思うが、何たる寂れ方だ。6時頃から熱燗をたっぷり飲んで9時過ぎに店を出てみると、極端に言えば通りに人っ子一人歩いていない。

店はこじんまりしているが、メニューの品数も酒の種類も結構豊富でマスターの料理も美味い。マスターはほぼ同世代、下町の居酒屋と言えば大概そうだろうが、奥さんと二人で切り盛りしているようだ。店の名前は「まめぞ」となっている。おかしな名前と思って案内してくれた友人に由来を聞くと、フランス語で私の家を「マ メゾン」と言うのでそこから取った名前だそうだ。下町らしからぬ洒落た名前に思わず笑みがこぼれた。

我々が6時頃から自公政権を毒づきながらおだを上げている最中に入って来たお客はたった二人だけ。マスターが気の毒だ。ホームページはないが雰囲気が善いので是非お勧めしたい。地図サイトhttp://www.mapion.co.jp/route/でおかず横丁で検索すると出てきます。勘定を払っていないので正確には分からないが、メニューを見る限りではそんなに高くない筈。単価千円以上の品の方が少なかったと思う。

後から来た客のうちの一人が、美人の女性一人。たまたま友人と少し顔みしりだったようで紹介された。初対面であまり深くは突っ込まなかったが、なんでもSNS(mixi)絡みでの友達らしい。もう少し若ければ「お一ついかがですか?」とちょっかいを出したくなる雰囲気だが、こっちは相当出来上がりつつあったし、飲みっぷりを盗み見れば彼の女性の方が強そうだ。おかしな気を起こす前にお先に失礼を被ったが、楽しいひと時だった。

しかし帰り道は鼻水が止まらない程寒かった。帰宅が10時半を過ぎていたので、婆さんから「遅くまでご苦労様、風邪を引かぬよう風呂を止めてすぐ寝た方がいいのでは。」と労われてしまった。一瞬そうしようかとも思ったが、身体がすっかり冷えていたので気を取り直して、一風呂浴びてよかった。熟睡して今朝起きると気分が爽快である。何年振りかで忘年会をした気分だが、現役時代と異なり朝の辛さが無いのは有りがたい。こんな爽やかな酒を飲めるのもリタアメントの特権と言えよう。

2012年12月19日水曜日

孫たちのこと

昨日は4歳の孫の幼稚園のクリスマス会。本当は観に行きたかったのだが、娘が言うには、どんな顛末にあいなるか、見当もつかないので不安。因って今年はお祖母さんだけにして。てなことで婆さんだけ行かせて頂いた。今朝顛末をゆっくり聞くと、10分と落ち着いているのを見たことがない孫が、同級生と一緒に壇上で歌を歌ったり(これが何と、Twinkle little starを英語でやらかしたらしい)踊ったりするのを見てすっかり感激してしまったようだ。

80歳の大変厳しいお婆さんが園長で、厳しすぎるが故に入園希望者が少ないと噂される幼稚園らしいが「幼稚園の先生方は本当に偉い。」と言うのだから相当感激したに違いない。今まで孫と小生は会話らしい会話も無く、我が家では二階から階段沿いにボールを投げるのを拾いに行かせて頂いたり、プラ電車模型遊びのお相手をさせて頂くのが精一杯で、歌を歌うことなど想像もできなかった。先生の仕切りで、予定された秩序ある行動がとれるとあれば、日本語の理解力もかなり上がっているのだろう。

考えてみれば今年の春、4月頃は未だおむつの心配をしていたのだから大したものだ。来年のクリスマス会を今から楽しみにしたい。何でも年長組で選ばれし子数名は、英語で挨拶したとのこと。(予め父兄にはプリントされた英文と和約が配られていて、園児一人の分量は勿論ワンセンテンスずつぐらいだったらしいが)これにもかなりびっくりしたらしい。外国人がたまに来るとは聞いていたが、幼稚園が英語教育の種を播いてくれたり、水泳に毎週連れて行ってくれるとは有り難いことだ。

先日来た時に「プールは楽しいかい?」と聞くと「うん、楽しいよ。」と答えていたので、もうギャー泣きして先生に迷惑を掛けることはなくなったのだろう。今日からもう冬休みで、来春になるとプールの母親参観が許可されるらしいから、報告が楽しみでもある。当初は、連れ合いも娘自身も、3年保育の必要があるのか悩んだらしいが、結論的には「団体教育でここまで立派に育てて頂けるとは思ってもいなかった。これでは2年保育で入ってくる子がいるとすれば可哀そう。きっと付いて行けないだろう。」

とのことで大正解としなければならないらしい。もう一家族の孫は、一人が高校受験を目前にして猛勉強中、一人は中2でバスケ部活動に夢中。祖母さん達が「バスケ部なんかやめなさい。」と盛んにちゃち入れるらしいが、「辞めないよ。だって楽しいんだもの。」と馬耳東風とのこと。今週の日曜行われた東京中体連バスケ部のホームページを見ると、彼の所属する梅ヶ丘中学バスケ部は決勝戦で敗れ、準優勝となっていた。大人も子供も楽しいことをするのが一番だろう。

2012年12月17日月曜日

選挙結果

結果は予想通り或いは以上に自公の圧倒的勝利となっている。地元の民主党候補を応援していたので少し残念な気持ちがあるが、民主主義は多数決を尊重することになっているし、そのこと自体は賛成なので厳粛に受け止めたい。
また来年の夏には参議院選挙があるので、圧倒的過半数の自民党もそんなに無茶なことは出来ないだろう。早速自公での連立維持なんて言っている。

公明党も何で自民党と一緒に居られるのかよく分からないが、宗教法人がバックであれば政権内部に巣食わないと何かと不便ではあろう。小沢一郎氏の存在感がすっかり失墜してしまったので、当分野党を纏める力のある政治家が出ない可能性もある。野党第一党の民主党は既に自民党野田派と言われるほどだから推して知るべしだし。個人的に好きではないが、橋下徹氏と渡辺喜美氏に頼るしかないのか。

歴史は後戻りすることはないと言われるが、今回ばかりは完全な先祖がえりであるのは明らか。これが短期間の揺り戻しでないとすれば、日本の針路はどうなるのだろう?対米追従は前内閣でも大差が無かったが、3年前の民主党第1期の頃には少し進路が変わるかと期待があった。この路線は当分望むべそうにないのは残念。徐々にアメリカの戦争にお付合いをせざる得なくなるのかと心配になってくる。

アメリカの若い人たちも、先週発生した小学校の銃乱射事件なんかをどのように捉えるのか知らないが、少し変わってくれることを期待するしかない。
しかし個人の自由と自立を原則とする彼国は、組織を貴ぶ我が国とは根本的に異なるところがあるので、期待する方が無理かもしれない。どこまでこの体制が持つかに依るが、経済的格差が更に拡大することと、それによって人間関係が微妙に変わり、社会がますますギスギスしてくることは心配だ。

安倍さんの教育や歴史に対する認識果たしてどの程度のものか分からぬが、衆議院だけで320人からの与党議員がいれば、そんなにとんでもない方向に行くことはないだろうと信じたい。日教組に問題があるようなことばかり強調するが、教育問題の根本は違うような気がする。子供たちも青年たちも大人の背中に学ぶことが一番多い筈。実の子に背中を見せたことがない安倍さんには少し分かり難いのだろう。

くだらぬ心配ばかりしても始まらない。自民党公明党の皆さん、日本を取り戻したのだから大いに頑張ってもらいたい。

2012年12月16日日曜日

総選挙と健康法

今日は衆議院選と都知事選の投票日、婆さんはこちらがまだ寝ている時刻、早々と7時少し前に投票所に行って投票してきたらしい。既に10人以上の人が待っていたとのこと。日曜日でも仕事に行かねばならない人もあるので、イライラしていた人もいたとのこと。それでも投票をする意思は立派なものだ。そういった国民の声が十分生かされるといいのだが、今の選挙制度については、死票が多いとか政策論議が深まらないとかいろんな議論があるようっだ。

この制度も回数を追って改善されていくだろうと期待するしかない。従って制度の問題に帰す訳にはいかないが、自公だけで320議席なんて予想まである。少なくとも解散少し前までに言われていた、過半数を占める勢力が無いので選挙後の政界再編は全く必要が無いみたいだ。来年夏の参院選まで参院で過半数割れしているので完全に思うがままでもないらしいが、もし320議席を取ってしまえば自公のやりたい放題だろう。

彼らのやりたい放題で国民がハッピーになればいいが、その保証はどこにもない。既に社会補償はもっと抑制的にあるべきだとか、インフレターゲットだとか年金生活者には恐ろしい言葉が踊り始めている。選挙が終わったら政治関連で面白いニュースが始まるかと期待したが外れのようだ。他人頼みはやめて、もっと自分でできることを真剣に考える必要がある。

今朝テレビを見ていると、職業を失うと家に閉じこもる人が70%を超すらしい。閉じ籠るには狭すぎる意味もあるが、幸いまだ家に閉じ籠ってはいない。もう一つ大事なことは男性高齢者の場合無駄なお喋りが少なすぎるとのことだ。それは確かに言える。いつもどうすればあのように下らぬことをピーチクパーチク喋るのかと苦々しく思っていた中高年女性の会話、これが精神衛生上も非常に良いらしい。

この放送で今日もこの日記を書く気になった。小生にとってこれが下らないお喋りの代わりになっているのは間違いない。

2012年12月15日土曜日

男はつらいよ

今朝早くまだ食事の最中に上の娘から電話が来て、来週のクリスマス会の案内状を届けがてら、お祖父さんに孫の子を久さしく見せていないので、これからそっちに行きますとのこと。土曜日のパターンは9時に家を出てプールに行くのだが、孫の顔を見ることができるならばそんなことはどうでもよくなる。孫が通う幼稚園はキリスト系の教会が経営するものらしい。

昔田舎にいた頃日曜学校に通った経験があるので憶えがあるが、来週の火曜日に娘宅と我が家の中間に位置する東武東上線大山駅近くに会場を借りてするらしい。日本語もやっと少し喋るだけの年少組にも演目はあるのだろう。両親の他に祖父母もご招待しますとの趣旨らしい。今年は孫の演技がどの程度か不安なので、お祖母さんだけに来てほしいのだそうだ。

しかし年内にお祖父さんにも顔を見てもらいたいとの嬉しいご配慮で、短時間ではあったが久しぶりに娘の家族と顔を合わせることができた。水疱瘡になったとか風邪を引いたとか聞いて心配していたが、元気そうで一安心。我が家に来るとお祖父さんお部屋に大好きなプラレールと電車の模型が置いてあるので、早速その電車遊びに興じてあまり会話ができない。

最初母と一緒に我が部屋に行っていたが、娘の方が出てきてしまった。どうしたんだ?と聞くと、電車の電池が切れて電車が動かなくなってしまったらしい。交換してやればいいじゃないか。と言うと、自分でお父さんに頼みなさいと言ってきたとのこと。理由を聞くと幼稚園で、親が余り手際よく子供の意思を汲み上げることを控え、子供に意思表示をさせるよう心掛けてくださいと言われているらしい。

結局孫は出てこなかったので、暫く動かない電車で遊んでいたようだ。同じクラスでも女の子は喋りが達者な子が多いそうだが、男子は平均的に遅れ気味だそうだ。我が孫は特に遅いのだろう。余計クリスマス会で孫の演劇を見たい気持ちになるが、兎に角今年は我慢して来年まで待ってくれとのこと。男はつらい。

暫くお茶をした後、娘家族と一緒に池袋まで出かけた。孫は一寸手を放すとすぐに駆け出すのでハラハラする。しかし交差点に来ると必ず立ち止まって、「右、左、右」と唱えながら首を左右に振る。心得ているのだ。しかし、母親がその前に「とまれ!」とか「ストップ!」大声をかける。こっちも習慣みたいものだろう。地下鉄のホームで孫が黄色い線から少し線路側に踏み出すと、母親がまた大声を出して「ダメ!!」と叱りつけた。

孫が小さな声で「大きな声で言わなくても分かっているよ」と言ったように聞こえた。婿さんが手を引いて母親のところに連れた行った時、こっちを見た孫の目に涙が浮かんでいた。転んでも滅多に泣かない子っだけに余計不憫だ。「あゝ、男はつらい」

2012年12月14日金曜日

情報操作

昨日「忠臣蔵」関連で高まったと思われる忠義の徳目について書いたばかりだが、昨夜NHKのBS「歴史ヒストリア」で同じテーマの放送があった。どうして忠臣蔵がこんなに国民的に人気が高いかを専門家が分析してくれた。

元禄と言えば関ヶ原の合戦から既に100年を経過し、社会が安定してきて武士の暮らしも段々苦しくなりつつあったのではと想像しながらである。戦争が無いのだから、武士の売り物はプライドだけな訳で、これを強固に支えていたのが善悪は別として「忠義」であり、被支配者もこのことは十分承知していた。昨日小生は不良就職浪人の集団暴行事件のように悪しざまに書いたが、松の廊下の刃傷事件以降既に当時の世論として家臣による敵討ちの期待が高まっていたようだ。

但し、大石内蔵助の偉かったところは世論に軽々しく乗らなかったことらしい。1年半以上の時間を使って、この騒動が武士の一分を立てる義挙に他ならないことを後世に残すため周到に準備を進めた。殿様の刃傷は何が原因かはっきりしないが、もとより厳しく禁じられている殿中での刃傷沙汰である。
しかも相手の老人は切りつけられても刀を抜いていないので、喧嘩とも言えない全く一方的な狼藉である。

一方的な攻撃にも拘らず相手を取り逃がして、自分は現行犯逮捕されてしまっている。武士とすれば相当にみっともない所業で、自然に考えればお上の処分自体(今風に言えば破産処理)は非難に当たらないだろう。ここからが大石の手腕を評価すべきところとなる。彼の立場は従業員約300人を抱えた地方企業の47歳かの代表取締役専務と同じ。破産処理と言っても、城の他に従業員の家屋敷を含む不動産全てを将軍に返却すると同時に、藩札を回収する義務もあったらしい。

当然、従業員の再就職を含む行く末についてもある程度の責任は免れないだろう。幕府(政府)の温情でお家再興(会社再建)できればとの思いもあって当たり前。しかしそれがなかなか難しいことと判断に至る。言えば殿の所業が筋悪に過ぎたのではないか。そこで殿の所業を喧嘩に仕立てた上で相手を殺す。そうすれば武士の一分も立ち、残された者どもの役にも立とうとの決心を固めた次第とのこと。

そのために彼は非常に巧妙な情報操作を行うのだが、これが悉く狙い通りとなり、後世に美談として伝えられることになる。彼が発信した情報は吉良邸の門前に掲げた文書以外にも多々あるようで、出演している早稲田の先生(女性)が詳しく解説してくれて大変面白かった。

2012年12月13日木曜日

「徳目」考

明日は、時は元禄15年極月半ばの14日、赤穂義士が吉良邸に討ち入り主君の仇上野介の首を取ったとされる日にあたる。と子供の頃から何回となく聞かされ、講談本や小説を何冊も読み、映画やテレビドラマを観ては感動したものだ。大石内蔵助は武士の鑑で日本人の誇り、対する吉良上野介はとんでもない大悪人と刷り込まれてしまっている。

元禄15年は1703年だから310年も昔の話である。それより更に遡ること1000年くらい、大陸からやっと文字が輸入された頃からの伝説が沢山伝わる国柄だから、不思議と言えないかもしれぬ。現代のようにマスコミが無い時代の出来事が、全く色褪せずに現代に生きていることには先ず驚かざるを得ない。褪色せずと書いたが、最近やっと疑問を感じ始めている。

芝居や小説の類ではなく、まともとされる歴史においても、伝承される事実は極く一部で、周辺の色付けによって相当な脚色があることを意識するようになったからだ。当然日にち場所まで特定されているのだから、当日本所松坂町の吉良邸で事件があったことを前提に少しひねくれて考えてみたい。

一人の老人(父だったか岳父だったか?)が身を寄せる松坂町のある大名屋敷に、当時不景気で江戸市中に沢山いたかと思われる食い詰め浪人(現代であればハローワークに通う立場だろう)数十名が徒党を組んで押し入り、乱暴狼藉の上その老人を殺害する事件が発生した。将軍お膝下を恐れぬ不逞の輩とて、捕えて調べると、全員旧浅野家家臣で死を覚悟して主君の仇討をしたと判明。司法の判定は勿論死罪である。

法務大臣の立場に誰がいたか知らぬが、当時こういった重い判断は政権を担当するお上のトップ将軍様がしたとされる。問題はここからで、当然のことだと思うが、メディアが未発達の時代だから事件がそう簡単に広く知れ渡ることはなかったろう。しかしウィキペディアに依れば、事件4年後には、この事件に題材をとった近松門左衛門作の人形浄瑠璃『碁盤太平記』が竹本座にて上演され、以降、浄瑠璃・歌舞伎の人気題材となり、数作品が作られる。

いつの世も小説家とか戯作者は庶民感覚を汲み取る嗅覚を持っているものだ。本格的流行は事件後約半世紀近くからで、明治なると絶対外れない題材と言われるまでになった。特に明治以降は上から下に至るまで全員が「義士」と呼んで美化してきている。「義」は当時から現代に至るまで日本人にとって最高の徳目とされてきた。このことはお上にとって実に都合がいいし、組織を統制する上でも便利に違いない。

歴史がどこまで真実か分からないが、我が国では「義」と言う味付けで処理される伝承が多い。しかし最近になって「仁・義・礼・智・信」以外に「侠」(縦ではなくて友のように横のつながりらしい)という徳目が中国辺りでは最重要視されることを知った。他に、同世代の人から「子供頃受けた教育の殆どをもう一度見直してみろ」とのアドバイスもある。いろいろ考えてみたい。

2012年12月12日水曜日

「驚」

昨日だったか、山中伸弥教授がノーベル賞を授与された後、感想を漢字一文字で表現するとどうなりますかと聞かれ「驚」と答えていた。ここ数日の大雪も、フィギュアスケートグランプリファイナルも、大谷君の日本ハム入団も、勘九郎さんの死も、今日の北朝鮮のロケット発射もにびっくりの連続なので、山中先生の応答はいつも軽妙洒脱であるばかりか、社会的にも絶妙のタイミングであることに感心するばかりだ。

望むらくは選挙結果で予想を覆す驚きの結果が出れば言うことないが、残念だがこちらは大方の予想通りになるのだろう。この齢になると何事にもびっくりしないようにしたいが「驚」は大事な概念かも知れない。考えてみれば人生は予定調和であっては面白くない。明日は何が起きるか分からないところに不安もあろうが、案に相違して楽しいことも面白いことも沢山ある。

それにしても北朝鮮のロケット発射についてはびっくりなんてものではない。これで、発射10分も経たずに我が国に着弾が可能で、戦争ごっこの真似が何の役にも立たないことがよくわかった。北も死にもの狂いなんだろうが、昭和20年初頭の日本と比較すれば、アメリカに対してある種のプレッシャーをかけている意味で、まだ現在の北朝鮮の方が頑張っていると言えるかもしれない。尤も国民はたまったものでないことでは一緒だろう。

日米韓3か国が協力して見張っていた中での今日の発射だ。親分アメリカの偵察力は衛星からの監視だけではないと思うが、一体どうなっているのだろう?

2012年12月10日月曜日

冬来る

今朝の気温は都心でも3℃、と言えば真冬の寒さだ。冬来たりなば春遠からじで、冬は冬らしいのが善いかもしれぬ。個人的な事を考えると、今年はいろいろな面で緩い坂道をゆっくり降っている実感が湧いてきた年だったような気がする。山歩きに例えれば、幾つかの山頂はとっくの昔に踏み終えて降りにかかって10年以上、やっとこの道が山麓への一本道だったことに気が付くようなものだ。ひょっとしたら昨年ぐらいまでは、もう幾つかピークが現れるかもしれないと思っていたのかもしれぬ。

昔は地図を持たずに山を歩く悪い癖もあったが、我が人生は正に同じことかもしれぬ。恐らく大概の人は似たようなものだろう。これからは降り道の心地よさを満喫しながら更にゆっくり歩を進めることにしたいものだ。小生にとって平成25年の太陽が何時くらいに位置しているか分からないが、少なくとも今のところ陽は未だ明るい、3時か4時くらいにしておきたい。しかし外を見ると既に真っ暗だ。冬至まで後12日、日が暮れるのがめっきり早くなった。

2012年12月9日日曜日

元気を出そう

朝起きて顔を合わせるなりいきなり言われた。「政治家が馬鹿ばかりなので政治にはうんざりだが、明るい話題を提供してくれるのは若いスポーツ選手ばかりね。」だそうだ。アイススケートのグランプリファイナルで日本勢が活躍し、スピードスケートやスキージャンプでも日本の少女が活躍したかららしい。それはそれで結構だが、選挙も中盤戦でいよいよ佳境かと思うが、トンネルの事故とか大荒れの天気とかで、政治関連のテレビについぞお目に掛かれない。

婆さんが「見てもくだらない。」と意識的に他の番組ばかり選んでいるせいもあるのかな。もう意思決定しているのでこちらは不都合はないのだが、ちと寂しい。投票用紙が来なかったので気になっていたが、昨日やっと届いた。16日はすることが決まっているので、今週の前半には期日前投票を済ますつもりだ。昨日は長野高校の東京同窓会に出席。首都圏在住の同窓生が150人ほど集まった。我々は昭和34年卒業であるが、かなり名簿の上、即ち年寄りの部に入っている。

10年先輩の方が出席者中の最長老だったのだろう。校歌斉唱の音頭を取られ、その声の大きさと若さは感動的だった。立食のテーブルが6年先輩の方同席、我が世代と同様ほぼ400人卒業で亡くなられた方は約100人程だろうとのこと。5人いらしたが、やはり全員お元気で楽しそうに話をしながらお酒を沢山召し上がっていた。それを見ているとこちらも元気を貰うような気がする。

地元から来られた校長先生のお話では、難関大学への進学率が松本深志を抜いて県下1位に復活したとのこと。何でも東大への入学人数かで、全国でも50番前後らしい。今や上位校の殆どが私学で公立では結構いい線いっているとのこと。己とあまり関係が無いと思うが、婆さんが浅田真央の優勝に感激するようなもので、何となく嬉しくなってくる。但し、在校生の45%ぐらいが女性と聞くと複雑な気分になるのは否めない。

2012年12月7日金曜日

愛国者(patriot)?

明日の開戦記念日に日記を書けないので今日のうちに一言書きたい。大東亜戦争は私が誕生した翌年満2歳にならないうちに始まり、学齢にも達しない満5歳で終わった。しかし戦争については沢山の記憶を持っている。父が遥か南洋のバリ島と言う島に出征したこと、疎開のつもりで越した長野でさえ敵アメリカ機の空襲があり、更に山裾に逃れて一夜を過ごしたこと、終戦と同時に父は音信不通となり、母は半分その生存を諦めかけたこと等々である。

同年齢でも満州や朝鮮にいた人達、大都市在住で空襲に被災された方々に比べれば比較にならぬほど安全でのんびりした生活ではあったと思うが、それでも戦争と敗戦によって与えられたインパクトは強烈なものがある。我が両親がアメリカ人であったら、結果が勝ち戦になるので印象もかなり異なるかもしれない。敗戦は物心つかない子供の心さえ少し傷つけたかも知れない。
しかし、基本的には勝ち負けの世界だから今度戦う時に勝ちさすればいいじゃないかぐらいのことで、大分後まで戦争を詳しく知りたいと思っていた。

いつの時代も同じであろうが、庶民は今日と明日の暮らし、即ち何を食うかが第一であり、子供は第二も第三も無い。昨日までの戦争のことなどすぐ忘れたし、丸五年間父親がいないことも不思議に思わなかった。余談になるが、半分死んだと思っていた父は、幸いにも終戦二年後の春に突然帰ってきた。
あれから70数年か、それを記念すべきかどうかは別にして開戦の日が明日になる。日の丸を掲げて祝ってはいけないだろうが、日本人全員があの戦争に思いを致すことが必要ではないだろうか?

尊い命を落とされた300万人を超えるとされる方々や遺族の方々には誠に申し訳なく残念ではあるが、小生は今、結果的にあの戦争に負けてよかったのではと思うようになっている。負けたから徴兵にも取られず長生きできたとのケチな話ではない。富国強兵で突っ走ってきた日本が終戦から67年、少しアメリカの手先として戦争にコミットしてはいるが、概ね戦争をせずに今や独立国としての地位を保っている。

識者に言わせると世界的にも稀有なことらしい。願わくば子や孫の時代も同じであってほしいものだ。領土も大事かもしれないが、そのため意味なく殺されたり殺人をするよりは、極論して領土なんかに拘らない方がいいかもしれない。貧乏は殆どの人が我慢できるだろう。国の平和を維持するためには、国家指導者の並々ならぬ政治的手腕が必要であるのは分かるような気がする。

たまたま北朝鮮のミサイル発射準備にかこつけて子供の戦争ごっこみたい騒ぎが持ち上がっている。マジなのか冗談なのか分からないが我が国指導者の思考回路を疑いたくなる。

読後感「デフレの真犯人」北野一著

読んでも分からないくせに経済関係の書物にまたまた手を出してしまった。預貯金も殆ど無くて、デフレを心配するのも漫画チックだと自分でも思う。案の定、内容については消化不良もいいところだが、アリバイ作りで一応何か書きたい。

先ず著者の職業は所謂経済学者ではない。JPモルガン証券株式調査部の日本株ストラテジストと紹介されている。会社自体は日本の会社らしいが、どんな職業か想像がつかなかった。投資家に損をさせないようアドバイスするコンサルタントのようだ。勿論実務経験もある。

いきなり結論を書くが、著者にも真犯人は分からないようだ。従ってデフレ脱出の妙手は当分見つからないことになるのだろう。非常にざっくりと犯人臭い奴を一人あげるとアメリカ経済かもしれない。「アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく、アメリカが風邪を引けば日本は肺炎」はかなり前から知られた喩えではないか。

この本を手にしたきっかけは著者が「安倍自民党総裁の金融政策は正しいのか」という問いに対して寄せた一文を読んだことにある。同じ質問に数名の経済学者が答えているが、多くの回答はやや否定的だ。しかし誰もが、「それでも正しいと言えることに繋がる可能性は否定できない」とまるで蛇かミミズか分からない回答をしている。

著者の北野氏はこの質問に対して一切回答をしていない。そして日銀の金融政策がここに来て報道でクローズアップされていることに疑問を投げかけ、本書を読んでくださいと宣伝をぶちかまし、その宣伝にうっかり乗せられてしまったのである。結論的には、円高やデフレの責任を日銀に押し付けても始まらないとのことだろうが、そりゃそうだろう。問題は誰が解決策を持っているかだが、それは特定されていない。

要は、解決策なんて無いのではと思えてくる。代わりに少し分かったこともある。先ずデフレの対語になっているインフレの意味である。これが意外に重要で、日本のインフレ率が常にアメリカのインフレ率-2%になっていること。因果関係は別にして事実が継続している。故に先ほど書いたように日本のデフレ脱却はアメリカ経済次第となってしまわざるを得ない。

もう一点言うと輸出産業が苦しんでいるとされる円高の問題である。実質実効円相場で見ると現在の80円も2001年の125円も同等になること。マスコミが大騒ぎするほど誰も困っていないのかもしれない。公定歩合や国債金利にインフレ率やら難しい計算式が沢山出てくるが、皆すっとばして感想を書けば、思った通りで騒ぐほどのことではない。


2012年12月6日木曜日

師走の風景

巷には宅配便と選挙の街宣車が走り回って慌ただしい雰囲気だ。年金で辛うじて生きている身なので実感が無いからかも知れないが、不景気という言葉について疑問を抱かざるを得ない。夕べなんぞ宅配便の配達が夜の8時頃あった。対応した婆さんによれば「まだこんなに残っているのですよ。」と伝票の束を見せつけられたそうだ。いくら歳暮のシーズンに入ったからと言っても、本当に不景気なら物流がこんなに活発になる筈もあるまい。

数日前のことになるが、公務員住宅の家賃がほゞ2倍になるとの報道もあった。これまでかなり安い家賃であったにせよ2倍とは、ゼネストが起きても不思議はないと思うが、これに関する後追いのニュースを聞かない。公務員の子供だっただけに、今の公務員はそんなに余裕があるのかと変な安心感を持ってしまう。小泉内閣時代の構造改革で日本社会は経済的格差が拡大していると聞くが、ウィークデイの昼間に街中で見かける老人連中は誰が金持ちで誰が下層階級か見分けがつきかねる。

同じ観察眼を以てこちらを見ても、経済階層の奈辺に属するか見当つけるのは難しいだろう。個人的には、日本は相変わらず羊羹型社会に思えてならない。尤も、本当のお金持ちはその辺をうろうろなんかしていないのかな。でも先週帝国ホテルに行ったが、ここでも日本人は皆似たように見えてしまった。婆さんに言わせると「最低!」と切り捨てられる日本の政治家であるが、今回の選挙をに立候補している面々の人相、有権者に訴える内容、これらも全て羊羹型に見えてくる。

ここ10年か20年くらいの間、収入が飛躍的に増えた人が殆ど無く、大部分の人が贅沢を慎み、平均的に少し貧乏になっているならお歳暮の数も大幅には減らないし、師走の街の風景にも大きな変化はないのだろう。10日先の投票結果で、党会派の優先順位は多少入れ替わるのだろうが、大多数の人間にとって如何程の変化がもたらされることになるか。殆ど何も変わらないと思うのだが、そうなったらなったで喜ぶべきか残念とすべきか悩ましいことだ。

このように極めて平和な日本をメンテナンスしてきたのは一体誰と言えばいいのか?政治的に言えば基本的な骨格は自民党が作ったようにも見える。しかし笹子トンネルではないが、自民党が官僚に丸投げして作ってきた国家も経年劣化してきているのは否めない。これから先は自由主義路線を行くか民主主義路線を選ぶか本気で考える必要もあろう。どちらを選ぶにせよ、軌道に乗るまでこちらが生きていられるかどうかは分からない。

2012年12月5日水曜日

映画感想「三等重役」東宝昭和27年の作品

夜テレビを観ようとすると選挙関連の話題が多くてつまらない。そこで昨夜はNHK衛星放送で1952年に製作された映画「三等重役」を観た。当時は最大の娯楽が映画だったので、祖母に連れられて西部劇や時代劇は見せてもらえたが、このように大人向けの娯楽作品には縁がなかったようだ。ストーリーはドラマ性に乏しく、喜劇としてもそんなに面白いとは言えない。役者も現代的に言えば大物が沢山出演している。しかし演技については批評できるほどの見識が無いし、素人感覚で言えば大部分は「くさいなぁ」と言いたくなる。

画面は白黒、繋ぎ方も1秒か2秒真っ黒の暗転があったりして、上手い下手以前に時代を感じさせるものがある。しかし終戦から7年目、小学5年生の時に作られた映画である。ずっと引き込まれて見入ってしまった。何よりも記憶の底に眠っていた当時の風景風俗が鮮やかに甦ってくるのが、何とも言えないくらいに心地よい。タイトルの「三等重役」が示すように、当時の流行作家源氏鶏太の人気サラリーマン小説がベースになっている。

背景は架空の田舎町だが、心象風景はこちらの記憶と一緒である。会社の偉い人でも家に帰ると和服の下にラクダかメリヤスのアンダーシャツがのボタンが覗いている。会社の女子社員は皆スカートにブラウスの洋装だが、男子社員の奥さん連中が外出する時は全員和服姿である。この町の最優良企業が舞台だから当然だろう。面白いし、そうだったと思い出させてくれたのは、本社にも東京の出張所にも「給仕」がいて、お茶を汲んだりしていること。

確かに小学校時代は職員室にそれらしき学生さんがいた。こちらの記憶には全くないが、さもありなんと思ったのは、社長が東京出張の際に妾を同伴して、帰りに箱根でゆっくりすることを企てること。この社長の妾を演じる女優が藤間紫、これが何とも妖艶で美しい。昔猿之助、今の猿翁が浜木綿子みたい美人の妻を振って、何であんな婆さんと引っ付いたのか、不思議でならなかったがやっと納得した。

ストーリー的に面白くないみたい書き方になったが、描かれた終戦から10年足らずの日本社会を形作っていた様々な人間関係、或いは家庭、或いは会社、或いは飲み屋、そこで織りなされる人間模様は思いのほか明るい。戦後10年を経ずしてこういう娯楽作品を生み出したエネルギーはどこから来たのだろう。現代のテレビドラマ映画は先ず見たことがないので当たらぬかもしれないが、映像はやたらに明るいが、後味が暗いものが多いように思う。

暗いと思って忘れていたあの時代の、何か大切なものを思い起こさせて貰った気がする。

2012年12月4日火曜日

師走の反省

月捲りのカレンダーも最後のページになってしまった。何もしていないのに時の速さは増す一方である。我が人生もこれから先どのような道筋になるのか、考えるだに恐ろしい。では考えなければいいじゃないかと思うのだが、そう思うことが既に考えている証拠だ。子供の頃から遊ぶことだけは得意で友達も沢山いた。今では昔のように「遊ぼうよ。」と声を掛けてくれる友達も極めて少なくなった。

先週には、社会に出てから親しくさせてもらい、仕事を離れてお付き合いを続けさせて頂いた方のご遺族から喪中挨拶を頂いて愕然とした方が二人もいた。年を重ねれば当然のことで、何れはこちらに順番が回るのだろう。一昨日の早朝NHKの「演芸図鑑」の中で『死ぬなら今だ』との落語をしていた。朝っぱらから縁起でもないなと思ったが、話自体は結構明るいのでほっとしたところだ。

後期高齢者になるまで残すところ2年半、先日も元気な高校同期生が集まっておだを上げたが、殆どが80歳までは生きるつもりでいるらしい。勿論生きたい気持ちは同じだが、何をするためか、どのように日々を過ごすかと考えると、答えが見つからないで困ってしまう。ここまで書いてその数日前大学同期会の話を思い出したので、話を大きく飛ばす。

一人の友人が言った「今の学生の考えが我々と異なるのは仕方がない。」曰く「我々の時代は卒業して就職さえ決まれば、その後の全人生をその企業に預けて生涯を全うできると考えたものだ。しかし現代はそうはいかない。例え今超一流とされる企業であってもいつ潰れるか、或いはリストラされるか分かったものじゃない。」トヨタやパナソニック、都市銀行に電力会社、言われてみると成程と思うところがある。ここから先、我々と比較して何れがハッピーかについて少し議論が分かれた。

学生に限らず今の若い人たちは、かなり若い時から将来を真剣に考えている節がある。我々のように昨日の延長に明日があると単純に考えずに、行く末の可能性とか不確実性を教えらずとも感覚的に分かっているのではないだろうか。当然ながら結果的に明日とか将来を自分で考える力もついてくるだろうし、チャレンジ精神が旺盛になるかもしれない。

若い人を可哀そうだとか、困ったものだと言う前に己を反省した方が良さそうだと話が落ち着いて大笑いだった。この年の瀬に、これから如何に生きるべきかみたい寝言を書き始めて、この会話を思い出し反省しきりである。

2012年12月3日月曜日

何事も想定の範囲

中央高速のトンネルで遂に大事故が発生した。今年もバスで何回も通った道だけに他人事でなく思う。人間が作った構造物が原因は何にせよ、いつか壊れるのは当たり前のこと。原発、トンネル、橋梁、鉄道に飛行機何一つ例外はあるまい。地震雷台風豪雪豪雨天災に事欠かない我が国である。今回の事故に遭遇された方は実にお気の毒であった。しかし新幹線の海底トンネルで崩落が起きたらどうなるだろう?

考えるだけでも恐ろしいが、全くあり得ない話とするわけにはいかない、少なくても小生には全て想定の範囲。願わくば事故発生のときその場に居合わせないよう神仏に祈るしかない。北朝鮮がロケットかミサイルを発射の予告をしただけで、自衛隊に防衛出動なんか命令するより、笹子トンネルの救援に出動させる方が余程意味があると思ったが意外と簡単にはいかないらしい。

友人の一人が言うには自衛隊も自然災害であれば出動要請しやすいらしいが、民間の事故に対して出動させるのは難しいらしい。しかし御巣鷹山日航機墜落の時は自衛隊が活躍していたから、全く駄目ではないと思う。高い銭を出して買った(買わされた)役立たずのミサイルなんかをこれ見よがしに展開するなんて、悪い冗談としか言いようがない。おまけに、拉致被害者家族が期待していた局長級会談まで棚上げしてしまう。

民主党内閣も自公内閣に引けを取らないくらいアメリカの言いなりは既に明らかになりつつあるが、オスプレーの訓練開始も同様で、もう少し国益の観点から問題の軽重を考えてもらいたい。社会のお荷物になり始めている爺が、己の余命よりもっと寿命が短そうな内閣にいちゃもんを付けても始まらないか。明日からはいよいよ衆議院議員候補者選びが始まる。我が東京10区には小林興起氏のポスターがべたべた張られているが、聞けば彼は急遽愛知13区から出馬と決まったらしい。

果たして明日はどんなポスターが出そろうことやら。まだ出たい人が沢山いるから救われるが、孫たちの代になったら、出ろと言っても出る人がいなくなってしまうのが心配だ。少なくとも我が孫は「総理大臣?お祖母ちゃんそれだけは勘弁してくれ。」と言ったとか。
今回の選挙は「消費税増税法案が成立したら、必ず国民の信を問います。」国民とのとの約束で行われることになった。となると問われた我々は先ずその消費税増税について答える必要があるのかなと思うが、人それぞれだろう。

2012年12月2日日曜日

慶応義塾ってスゲー

昨日もそんなに忙しくなかったので少し書こうかなと思ったが、何故かパソコンが妙に重い。パソコンにもバイオリズムみたいものがあって、今日は不機嫌なんだろうと察して機械を1日休ませてみた。気のせいか今朝は普通にサクサク動く。多くの方が同じ経験をされていると思いますが、理由が分かる方には是非ご教示願いたく存じます。

一昨日の夜2年振りで大学の学部同窓会に出席してみた。慶応の文学部であるが入学当時の募集生徒数が確か600人だったような記憶がある。高校から上がってくる生徒が計算に入っていなくても精々650人前後であろう。
だが、一昨日の同窓会出席者はたったの11名。幹事の挨拶を聞くと、前年の出席者が20名ほどで、そのうち2名の方が今日までに亡くなられたそうだ。1年間に2名の方の葬式に参列するのは辛いものがあるとのことだ。

中学高校までは学校と行っても勉強と遊びが相半ばしているので、友人も沢山出来るし、友人同士の絆が強い。大学ともなると互いに人生の目標が定まりつつあるせいか、部活とかゼミのように同じ目的意識を持った仲間の絆は強いが、学部なんてものは、今進行中の選挙における政党のようなものだと思う。目的なんぞは二の次で取り敢えず当選(入学)できそうなところを選んでいるに過ぎない。但し学友名誉のために言えば、飽く迄個人的な感想。

だから学部同窓会なんぞ最初から無視して掛かる人が多いのは当然だろう。小生はたまたま同級生で学年幹事をしている友人と個人的に知っていたので、誘ってもらうことができた。もう大分前になるが最初に参加した時は、初対面の挨拶代わりに必ず「ゼミはどちらですか?」と聞かれ、ゼミを取れなかった者として常に恥ずかしい思いをしたものだ。勿論部活に関しても同じことである。でも流石こんな奴でも残り11名のうちに入ると同志扱いをされるので嬉しい限りだ。

やはり健康で長生きは有りがたい。序でに友人幹事の挨拶から面白い話を一つ。この友人1部上場企業の社長まで登りつめたが今や悠々自適で同窓会活動に力を入れている。昨年我々の卒業50周年を記念して各学部の幹事が母校への寄付を決め、文学部の目標3000万円に決まったらしい。友人はこの活動に力を入れ、あらゆる友人に寄付依頼をした結果、今日までに4300万円に達したので目標を5000万円に上方修正するのでよろしくお願いとのこと。

700人いたとしても1人平均7万円以上、自分のことを思うと恥ずかしい限りだが、不景気と言われる日本にも金持ちはいるものだ。やはり慶応義塾は素晴らしい。彼とは友人関係にはなかったらしいが、お願いの手紙2本で100万円を振り込んできた人がいたそうだ。彼の名前はニュースキャスターの森本毅郎さんとのこと。