2017年2月17日金曜日

政府の強弁とマスコミの対応

「南スーダンに戦闘行為は無い」と強弁し続ける日本政府だが、「南スーダンの反政府軍指導者マシャールがテレビの前で堂々と内戦再開を宣言」との報道が出た。政府の詭弁はどこまで通るのだろう?政党間の論戦で詭弁を論破しきれないのは歯がゆい限りだが、百歩譲って措くとして、マスコミが断罪しないのは遺憾では済まない。マスコミが政府の提灯持ちに堕しては罪は政府以上に重くなる。

一昨日の衆議院財務金融委員会で共産党宮本岳志議員が、ネット上ではかねてより有名になっている大阪市豊中の森友学園問題について質問をしている。僅か30分ではあるが、国有地の払い下げ方法と払い下げられる土地をめぐって国交省が異常な補償をしていること、文科省に対し「土地の確保も学校の所在地も定まらないような学校の設置認可の申請など、受け付けられるはずがないと思うが。なぜ?」と問い質したりしている。

委員会における宮本氏の質問に対しては、財務省、国交省、文科省からの官僚がそれぞれ答弁に立って、何ら違法性がないことを力説強調した。宮本氏の質問には個人名が出てこないが、ネット上では既に明らかになっているように、総理夫人が名誉校長で、寄付を募った文書に「安倍晋三記念小学校」を謳っていることからしても、総理周辺の関与は明らかだ。昨年の甘利明氏の辞職に繋がった事件と瓜二つと言える。

思い起こせば甘利氏の事件でも、国交省とか公団は違法性がないことを強弁して通してしまった。郷原弁護士に言わせると「贈収賄事件としてこれほど分かりやすい事件は無い。ど真ん中のストライク。」であったが、一部週刊誌がフォローしたものの、賄賂を贈った側の筋が少し悪かったことからか。結局甘利氏側は秘書数名の首を飛ばしただけで、本人は無罪放免になってしまっている。要するに肝心のマスコミが市民の側に立たず、悪徳政治家の味方になってしまっているのだ。

この伝で行けば、今回の森友学園問題も事件にはならずに終わる可能性無きにしもだ。せめて野党が結束して予算委員会に持ち上げて騒げば何とかなるかもしれぬが、民進党辺りも脛に傷があるかどうか、イマイチ迫力に欠ける。これでは市民は救われない。

2017年2月16日木曜日

有楽町線車内で

イギリスのEU離脱に続いてアメリカのトランプ政権誕生とか韓国の大統領が職務停止状態に置かれたり、海外では大きな事件が相次ぎでいるようでもある。しかしこれらの事が我が暮らしにどんな影響があるかは全く分からない。また分かる必要もないのではと思ったりもする。歳をとっで暇が増えているので、毎日のように新聞に目を通し、毎日1度はテレビのニュース番組なんぞも観てしまう。

最近は特に知りたいと思う情報は皆無に等しいので、正にざっと眺めているにすぎぬ。従って内容の殆どが記憶に残らない。頭の中はいつも空っぽ状態にしておきたいが、マスコミの他にパソコンもあり、これだけメディアが発達していると用でも無い情報がどうしてもインプットされてしまう。忘れっぽいたちであることがせめての救いだ。

昨年10月個人事務所の閉鎖以降、運動を兼ねて毎朝のように池袋まで歩き、地下鉄を利用して麹町の友人の事務所まで通う生活になった。押しかけ席借り人だから、何も拘束事項は無いが、持ち前の性格で几帳面にほぼ毎日規則正しく通っている。後期高齢者になって数十年ぶりに電車通勤を体験すると、面白いように世の中の変わりようが分かる思いだ。

朝乗るのが地下鉄メトロ有楽町線池袋駅発9:30前後。この時刻を過ぎると最後尾に1両だけ連結されている女性専用車両が男性にも開放される。別に15分もかからぬ距離だから座る必要も無いが、本を読んだりすることが多いので空いていた方が有りがたい。そんなことはさて置き、「こんな時間でも結構混むな!?」との思いだ。一昔前であれば重役の出勤時刻だと思うが、乗り合わせているお客の殆どが普通の勤め人のようだ。

勤め人の労働時間が政治問題化している昨今、混雑する車内で熱心にスマホに見入る男女を見ていると「なんで政府が勤め人の労働時間を規制しなければならぬのか?」労使関係とはあまりにも多様で取り上げにくいが、疑問を感ずるばかりだ。百歩譲って、いわゆる事務職の女性であれば超過勤務時間を制限してもらうのは嬉しいかもしれぬ。しかし一般的に見て、勤め人は仕事の成果に応じて報酬が出されるものであれば、何時間働こうが誰にも制限されるべきものではない筈だ。

ましてや広告代理店なんぞはその典型と思うが、電通社員の死が騒ぎに拍車をかけていることが不思議極まりない。

2017年2月15日水曜日

嘘つきの罰

アメリカでスパイの親分だったような人物が新たな政権で要職に就いたと思ったら、なんと電話を自国のスパイ組織か正規の法執行機関か知らぬが、に盗聴されて公開されたらしい。それが違法であったにも拘らず、上司のうその報告を上げたとの指摘をけて、あっさり要職を辞任との報道がある。盗聴の公開も不思議なら、違法の指摘も誰がしたのかよく分からない。

日本の実情と併せ考えると分からないことだらけではあるが、アメリカでは公職にある人間の「うそ」即ち虚偽発言は相当重大なこととして扱われるようだ。この認識に間違いがないとすれば、日本の国会程いい加減な茶番はない。政府答弁を聞いていると言いたい放題、嘘のつき放題で、それを誰も咎める者がいないではないか。質問する側に「うそ」を突き止めるだけの力が無いから仕方ない、と言ってしまえばそれまでだが。暫くして「うそ」がばれても「遺憾です」で終わりである。

何故アメリカではそれが通用しないのだろう?同様に思う人がどのくらいいるか分からないが、一寸嘘を言ったくらいで要職を棒に振るのは不思議に思う。ひょっとすると「釈迦の方便」を慣用句として頻繁に引用するくらいだから宗教感の相違だろうか。「嘘は泥棒の始まり」とも言うのだからいけないとはされているが、余程潔白性の人でない限り「絶対嘘はつかない」と断言できる人は少ないだろう。

たまたま昨日、図書館で終戦直後の古い図書を借り出して読んでみた。題して「戦争責任者の問題」著者は伊丹万作氏である。どこかで聞いたような名前だとお思いでしょうが、その通りあの伊丹十三氏の父上である。1900年の生まれで終戦の翌年1946年に46歳の若さで亡くなっている。よく調べると十三氏より優れた映画人で著名だったらしい。略歴に「シナリオに『無法松の一生』(三船敏郎主演でなくて阪東妻三郎主演のもの)『手をつなぐ子等』など。」とあってびっくりした。両方ともしっかり観ていた。

ともあれ、内容は非常に薀蓄あるものだったが、中にこの一文が入っている。今日はこの触りだけの紹介に留めよう。
「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。」

2017年2月14日火曜日

言葉の軽さ

昨夜何気なく観たテレビに帰国早々の安倍総理が出演していたことにはびっくりしたが、他に少し引っ掛かったことがあるので、このことは取り敢えず措こう。次の場面で登場してきた木村太郎氏である。木村氏についてはNHK出身のジャーナリストであり、昨年のアメリカ大統領選について、日本でトランプ氏勝利を予言した数少ない一人だとは知っていた。彼の発言が気になっていたので、改めて調べてみるとアメリカ生まれで慶応高校を退学になっているとか、少し知って驚いてもいる。

彼の発言で気になったのは「ポリティカル・コレクトネス」と言いう言葉である。何度も聞いたことがあり常識的な言葉のようだが、お恥ずかしいことに意味を全く理解していなかった。今更であるかもしれぬが「政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のこと」だそうだ。更に少し敷衍すれば、英語でpolicemanをpolice officerと言い換えたり日本語で痴呆症を認知症と言い換えたり、<めくら>や<つんぼ>と言わないことだそうだ。

木村氏が言うには「これまで日本の外交において安倍総理も非常に重視していた概念に<普遍的価値観。即ち自由、民主主義、基本的人権、法の支配>がある。がしかし、これはオバマ前大統領のポリティカル・コレクトネス(お題目か念仏と同じ)である。トランプ大統領の出現で、こんなものは雲散霧消してしまった。今後は実質が重視される。」一ジャーナリストが言ったことだから気にするほどのことでもないかもしれない。しかし氏は?せても枯れてもジャーナリスト、これまで普通に使用していた言葉をこう簡単に捨て去っていいのだろうか。

氏からすると「誰が使おうと、以前からまともに聞いてなかったよ。」と答えるかもしれぬ。総理が今後もいろんな場面で、この価値観の共有を発言するかどうかは分からない。確かにチェックしてみるとトランプ氏は「ポリティカル・コレクトネス」を全く無視した発言を重ねている。総理がどのように今後トランプ氏に対応するのか、そんなことはどうでもいい。ただ普遍的であった言葉の意味がそんなに簡単に変わるものとは思わなかった。他人のこと言う前に、普段軽々しい言葉遣いを続けている己の馬鹿さ加減を反省すべきかもしれぬ。

2017年2月13日月曜日

友情

寒さの中ではあるが、桜の蕾も大分大きくなってきた。桜が咲けば齢既に77才になる。思えば遥けくも来つるものだ。既に幼いころから親密な関係であった友人が相当数幽明境を異にしている。早く逝った友人は高校時代10代の末に一人と大学時代に一人いる。以降20年くらいはいなかったが、39歳の時に一人、会社関係で世話になっていた先輩が亡くなり、友人とは言えないかもしれぬが生まれて初めて弔辞を読むことになった。

45歳の時に親友の一人が亡くなり、これはショックだった。それからポツリポツリと昔の友人の訃報に接するようになり昨年末にもまた一人の訃報に接することになった。逝きし友については未だに時々思ったり、夢に見ることがある。かけがえなく思っていた優れた友人程早く逝くのが口惜しいが、彼らはそこから永遠に年を取らないのが羨ましいとも言える。あの世に行って会いまみえる時「お前、随分年を取ってしまったではないか。」と馬鹿にされそうだ。

我が国の総理とアメリカの大統領が友情を育んだとの報道で思い出すのは我が友人のことばかり。互いに言いたいことを言い合っていたあの日が懐かしい。総理と大統領が仲良くなるのも結構なことだ、多くのお仲間の中で二人だけが浮かねばいいが。お互い言いたいことが言えているかは分からないが、3日間の付き合いで厚い友情が育まれることがあるのもまた善しだ。それにしてもこのお二人、世界のお仲間に比べ余程暇らしい。悪漢に事欠かぬ世の中故、我が国やアメリカ国民にも災いが及ばぬよう祈りたい。

2017年2月11日土曜日

日本という国

昼過ぎに有楽町に行くと、駅前に右翼街宣車が止まって一人のおじさんが演説をしていた。可愛そうに立ち止まって聞いている人間は一人もいない。遠くに公安警察らしき男が二人立っているのみ。時間はたっぷりあったし立ち止まってもよかったのだが、恥ずかしいので遠巻きにゆっくり歩いて少し聞いてみた。実は彼の声を聴くまで今日が「建国記念日」であることを忘れていた。朝からテレビも見ていたし、新聞も普段よりは丁寧に読んだつもりだったが、安倍・トランプ会談と山陰の大雪情報で霞んでしまったのかとも思って、帰宅して新聞(朝日)を確認した。すると題字下2月11日の下に土曜日とあり、その下に同じ活字で建国記念日とあり、それに関する記事は全く無い。

今日の首脳会談はどちらが仕掛けたか分からないが、アメリカの仕掛けとすると、「またか」の感がある。アメリカは嘗て皇太子殿下の誕生日に戦犯の絞首刑を執行したりして、時々嫌味なことをするので定評がある。トランプ大統領も人のよさそうな風情で日本の総理を破格の待遇をもってご接待してくれているようだが、本音がどこにあるか分かったものではない。一般的に言われるのは、国と国が互いの国益をかけて交渉するするに、個人的な信頼関係なんか関係ないらしい。

トランプ大統領も記者団に「安倍首相とはウマが合う」と言ったらしいが、「気が変わったらそう言うよ。」と付け足したとのこと。決断が速いことでは大統領自身もさることながら、周りを固めるスタッフも相当なものと思わなくてはいけないだろう。ここまでのところ、日本の言い分は全て完璧に先読みされてリップサービスとご接待が充てられている。総理以下提灯持ちの評論家連中は大喜びのようだ。手元に引き付けるときは徹底的に引き寄せ、切り離すときは冷酷に切って捨てる。遊び友達になるつもりでもあるまいに、商売人でなくても当たり前のことだ。

ましてやリップサービスと思えば何でも言える。南太平洋の件で中国を牽制したと喜ぶ論調が多いが、一方で習近平との電話会談の全容が分かっているのだろうか?右翼のおじさんが絶叫していた。「アメリカ大統領のつぶやきに一喜一憂するのではなく、自国の自主性を大切にしましょうよ。」

2017年2月10日金曜日

読後感「毛沢東」遠藤誉 著

サブタイトル「日本軍と共謀した男」となっている。著者は1941年生まれの物理学者であるが、満州の長春生まれで1952年日本に引き上げてくるまで、即ち小学生の半ばまで中国で過ごさざるを得なかった。当然先の大戦末期から中国内戦を経て共産党支配が確立した中国で厳しい実体験しているわけである。物心のつき始めに体験した地獄から命拾いをし、初等教育で共産党思想を刷り込まれているので共産党思想に凝り固まっているかと思いきや、逆に中国国内の複雑な社会事情に関心が移り、複数の言語に堪能なことも加わったせいでもあろう、日中関係については立派な歴史研究家となり、このような著述になったようだ。

著者の思想的立場についてもう少し敷衍すると、一般的な共産党思想はさておき、中国を統一国家ならしめている思想、即ち毛沢東思想に疑問を持っていることだけは間違いない。読者の感想として言えば「社会思想なんてものは所詮権力者の闘争用の道具にすぎぬ」かのようである。著者は実体験した中国の内戦から日中戦争まで遡って歴史を探求している。そして幼いころに、徹底的に「悪」と刷り込まれた中華民国と国民党政府、そのリーダーであった蒋介石の思想などに惹かれ始めたのである。

そして中華人民共和国内で神にも等しい存在となった(なっているかな)毛沢東について深く知れば知る程疑問が湧いてきたのだろう。その疑問符が付いた部分を検証した事実を披歴したのが本書である。毛沢東の生い立ちから簡単に述べてくれているが、(著者が小学生時代に中国の人口は6億人と教わったようだ)これだけの人口を掌握するに至った人物であるから相当非凡な人物であるのは確かだ。田名角栄氏に似てなくも無いがスケールが大分違うかもしれぬ。

政権を奪取するまでの道のりに立ちはだかったのは蒋介石だけでなく、国内には他にもいるし、日本軍とか敵は重層的に存在しているわけである。お互いにある時は味方となり敵になりを繰り返して、最終的に権力を手にすると、不都合な過去を知る者は全員殺してしまう。毛沢東が殺した自国民は7000万人とも云われるらしいから凄まじい。

前世紀前半の中国は清王朝なんて言っても、江戸末期の日本以上に群雄割拠の状態だったに違いない。ここに世界中の先進国が侵略してきたわけであるが、中でも突出していたのが日本だったようだ。毛沢東は当初ソ連のコミンテル(共産主義)も利用したが、侵略してきた日本軍も巧みに利用して、結果的には最大のライバル蒋介石を台湾に追い落として自分の帝国を完成させたようで、これが本書のサブタイトルになっている。

この間の権謀術策はとても日本の極楽とんぼ連中には理解できないだろう。スパイ小説が好きでよく読むが、小説の世界だけのことかと思うことが現実に存在したことでもあり、現在も存在しているだろう。兎に角、歴史を正しく理解することが難しいことだけは確かである。